グローカル雑記帳

異文化理解や国際交流、中国のこと、日本の地方創生などについて。
また、日々の思ったことなど。自戒も込めた記録です。

私の中国観1/2

2019年03月04日 | 中国や大連のこと
 「中国を好きかどうか」と聞かれれば、私は「好き」と答えます。私は、大連で暮らしていた期間を通し、たくさんの中国の方々と知り合いました。中国には親友や仲間がいて、大連を離れた現在でも、付き合いは続いています。大連へ渡る以前、大学時代にも中国出身の先生がいて、とてもお世話になりました。親友や仲間、恩師がいますから、中国を嫌いになれるわけがありません。私は、中国が好きです。

 少し話がそれますが、「国」とは何でしょうか。よく「愛国心」と言いますが、愛国心を持つ人や愛国者は、いったい何を愛しているのでしょうか。「愛国」とは、「国を愛すること」なのでしょうが、では、「国」とは何を指しているのでしょうか。時の政権や政府でしょうか。その国の元首でしょうか。その国の国籍を持つ人々でしょうか。または、その国の文化や伝統、歴史などでしょうか。「国」は、非常にあいまいな概念です。だからこそ、恣意的に利用されやすいのかもしれません。

 話を戻しますと、私の場合、「中国が好き」という場合の「国」、つまり中国とは、先ほども挙げた親友や仲間、恩師たちです。ですので、中国が好きではありますが、それは中国の政治体制(独裁体制)を肯定するのでは決してありません。はっきり言いますと、中国の政治体制は嫌いです。

 では、私はどの様に中国を見ているのか。厳密に言いますと、中国のみに対する見方ではなく、広く他者全体への対し方ですが、次のような見方をしています。

 私は中国を見る時、両極端ではない中正堅実な立場を大切にしています。意見は、「好きだから言いたい」という観点から考えます。この「好きだから言いたい」とは、『日本が好きだから、言いたい!』(2000年、大森和夫、スリーエーネットワーク)という本に由来します。大学1年の時、授業で先生が紹介してくれた本です。現在は、もう絶版になってしまっているようですね。同書は、日本語を学ぶ東アジアの大学生たちの作文を集めたものです。日本が好きだから、日本を一方的に美化している文章が並んでいるわけではありません。日本が好きだから、日本にもっと良くなってもらいたいから、あえて批判的なことも言わせてもらう。そんな文章も含まれているのです。

 そして、私が思う両極端とは、批判を目的とした批判や美化を目的とした美化です。私は、反中本や嫌韓本は読みませんので、詳しい内容は分かりませんが、それら反中本や嫌韓本の多くは、前者にあたると思います。
 盲目的な美化や肯定は、後者にあたります。友好はもちろん大切ですし、私も友好を望んでいます。だからといって、中国の全てを肯定することが、友好につながるのでしょうか。友好のために、前述した独裁体制、それから派生する強権や諸々の弾圧も肯定するというのでしょうか。それらは断じて、肯定できないはずです。

 次回へ続きます。
コメント
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