グローカル雑記帳

異文化理解や国際交流、中国のこと、日本の地方創生などについて。
また、日々の思ったことなど。自戒も込めた記録です。

方方日記(1月26日) 日本語訳2

2020年05月06日 | 中国や大連のこと
方方日記(1月26日) 日本語訳

 皆さんのフォローと感心に感謝。武漢市民にとってこの重要な時、人々は初期の混乱や孤立感、焦燥感、緊張から抜け出し、現在はかなりの程度で落ち着いて安定している。だが、依然として皆さんからの慰めや激励は必要だ。今日までのところ、多くの武漢市民はすでに驚き慌てる状態ではなくなった。実は、12月31日の時点から回想し、この期間に私自身が体験した警戒から安堵までの全過程を記そうと思っていた。しかし、それを書くと長すぎる。そこで、まずは随時に日々の感想を書き、その後でゆっくりと「都市封鎖の記録」を書こうと思う。

 昨日は1月2日で(訳注:旧暦の1月2日)、雨と風で寒かった。良い知らせもあれば、悪い知らせもあった。良い知らせとは、国の支援の程度がますます大きくなり、より多くの医療関係者が武漢へ来てくれたこと、そのほか諸々だ。これで、武漢市民がどれほど安心できたことか。これらは、周知の事実だろう。

 そして、私自身の良い知らせとは、今のところ、家族に感染者がいないことだ。弟(訳注:年下の男のいとこだと思われる)は、感染症の中心地に住んでおり、彼の家は華南海鮮市場と漢口中心病院(訳注:漢口は武漢市の区、武漢市漢口区)の近くなのだ。弟の体調は良いとは言えず、前からあの病院には出入りしていた。だが幸いに、彼ら夫婦に大事はない。弟は、10日分の食料は確保しており、全く外出しないと言っている。私と私の娘、兄一家(訳注:年上の男のいとこだと思われる)は、武昌(訳注:武漢市武昌区)に住んでいる。長江を隔て、危険の程度は、漢口と比べて低く、(武昌は)落ち着いている。家から出られないとはいえ、つまらないという感覚もない。私たちの多くは、外出自粛に慣れた人とでも言えるだろうか。ただ、他の都市から帰省してきた姪と姪の娘は、やや気をもんでいる。もともとの予定では、23日に高速鉄道で武漢を離れ、広州へ行き夫と夫の両親と会うこととなっていた(実のところ、広州へ行けたとしても、日々の生活が武漢より良いとは言えなかったかもしれない)。しかし、都市封鎖となり、武漢から出られなかったのだ。都市封鎖がいつまで続くのか、仕事や子供の学校に影響するのか、全てが問題だ。だが、彼らが持っているパスポートはシンガポールのもので、昨日シンガポール政府から通知があった。それによると、近日中に武漢へチャーター機が飛び、シンガポールへ帰れるようだ(シンガポールの華人や華僑は、武漢に少なくないようだ)。彼らは帰った後も、14日間は隔離される。この知らせがあり、みなは一息つくことができた。もっと良い知らせもある。娘の父親(訳注:夫のことだが、中国語ではこのような言い回しもする)は上海で入院しており、レントゲンで肺に影が見られたが、昨日は警報も解除され、普通の風邪であり、新型コロナウィルスには感染していなかった。そして本日、退院となった。ついこの間、娘は彼と一緒に食事をしていたが、陰性が判明したため、自宅での厳しい隔離を受けることもなくなった(旧暦の12月30日、私は雨の中、車で彼女へ食事も届けたのだ!)。この様な良い知らせが毎日あるようにと、どれほど願っていることか。外出できないとはいえ、少なくとも、私たちの心は少し楽になっている。

 悪い知らせももちろんある。昨日の昼間、娘が私に告げた。彼女と親しい人の父親(肺癌を患っている)に感染の疑いがあり、病院へ送られたのだが、応急手当を受けられず、3時間で亡くなったそうだ。これはおそらく、2日前のことだ。電話で、彼女はとても感傷的なっていた。昨晩は仲間の李さんから電話があり、私の暮らしている文聯大院(訳注:団地のような居住区の名前)でも2人の感染者が見つかったと言われた。30歳代で、家族感染らしい。(李さんからは)気を付けるように促された。彼らの家は、私の家から200~300メートルの距離だ。しかし、私の住んでいる所は独立しているので、それほどの心配はいらないだろう。とは言っても、彼らと同じ建物に暮らしている人たちには、やや緊張感がある。今日は、また同僚から話を聞いたが、彼らは軽症の感染者で、自宅隔離で治療するとのことだ。若いし、(治療)体制もしっかりしており、感染も軽症、きっとすぐに症状を克服できるだろう。彼らの早い回復を願う。

 昨日、湖北省の記者発表は、話題となった。かなりの言われようだった。政府職員3人の表情は、悲しみと疲労に満ち、間違いも多く、心の乱れを物語っていた。実は、かわいそうでもある。彼らだって、家族が武漢にいるはずだ。彼らの自責の念は真実であると、私は信じている。どうして事態がここまで来てしまったのか、正常に戻れば、それも自然と分かるだろう。武漢政府は、初期の段階で感染症を軽く見ており、また都市封鎖の前後で職員は対応に窮していた。それが、市民に大きな恐れを与え、全ての武漢市民が傷つけられる結果となった。このことは、細々と文章にしていきたい。しかし今、私が言いたいことは、湖北省職員の対応の良しあしは、実のところ、中国の政府職員としては平均的ということだ。彼らが、他と比べて劣っているなどということは決してない。彼らは、運が悪かったのだ。職員たちは、書類に従って業務を行う。しかし、書類がなければ、なす術もない。今回の事態が、同じ時に別の省(訳注:省は日本の都道府県に相当)で起これば、そこの職員たちの対応が武漢より良いなどということはないだろう。官界が不運にも淘汰された悪しき結果、政治の正しさについて空論を述べ、事実に即して問題に対処しなかった悪しき結果、真実を口にすることを許さず、真相を報道させなかった悪しき結果、私たちはこれらを1つ1つ味わっているのだ。武漢がまず最初に、大きなものを食らったというだけだ。
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方方日記(1月25日) 日本語訳1

2020年05月05日 | 中国や大連のこと
方方日記(1月25日) 日本語訳(意訳の部分もあります)

 私のWeibo(訳注:中国のSNS、中国版Twitterと言われることが多い)がまだ発信できるか分からない。先日、若者たちが街で集り悪口を繰り返すことに反対したら、Weiboがロックされてしまったのだ(しかし、私は今でも自分の観点を堅持している。つまり、愛国を表現するのであれば、街頭での罵詈雑言を良しとするわけにはいかない。これは文化水準の問題だ!)。訴えても意味がなかった。そのため、Sina(訳注:漢字では「新浪」、Weiboの運営元)には大変に失望し、二度とWeiboなどするものかと考えていた。

 しかし、武漢がこのような重大な事態になるとは思ってもいなかった。武漢は全国的な注目の中心となり、都市封鎖が行われ、武漢市民はいたるところで毛嫌いされ、私もこの街から出られなくなるなんて。今日、政府は改めて指示を出した。それによると、中心区域は、本日の深夜0時から自動車の通行が厳禁となる。私は正に中心区に住んでいる。たくさんの人が私たちを案じ、また個人的に連絡をくれた人もいた。皆さんからの関心や問いかけは、私たち家から出られない人たちを温かい気持ちにしてくれた。先程、雑誌「収穫」の程永新氏から連絡があり、「都市封鎖記」を書いてみたらどうかと言われた。これを聞き、もし私のWeiboがまだ文章を発信できるのであれば、続けるべきだと感じた。それはまた、武漢の真の近況を伝えることにもなる。

 ただ、この文章を発信できるのか全く分からない。もし、誰かがこの文章を見たならば、コメントを残し、発信できると私に知らせてほしい。Weiboには、発信できたと思っても、実は誰も見ることができない、という技術がある。この技術を知ってから、私は思い知った。「高度な科学技術が悪をなせば、急性伝染病の比ではない」と。

 では、まず発信してみる。
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封鎖下の日々をつづった「武漢日記」、海外出版で中国人作家に国内から批判

2020年05月04日 | 中国や大連のこと
gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/afpbb/world/afpbb-3280534

方方氏の日記が記事になっていました。
(ここでは「武漢日記」となっていますが、「方方日記」の方が一般的だと思います。)
私はまだ読んでいませんが、確かに中国のSNSなどでは批判の対象となっていましたので、どのような内容なのか気になっていました。
検索したところ、「方方日記」が見つかりました。
「方方日記」に目を通し、今後のブログで抄訳などを載せていければと思います。

【追記】
Wikipedia(中国語)によると、方方氏については次の通りです。
1955年5月の生まれ。本名は汪芳。江蘇省南京市で生まれ、湖北省武漢市で育つ。武漢大学を卒業(中国文学を専攻)。湖北省作家協会の首席などを歴任。代表作は「風景」「軟埋」などで、受賞歴もあり。
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「天安門事件」と中国の政治

2019年06月04日 | 中国や大連のこと
 中国の「天安門事件」から30年となった。情報統制の関係で、中国国内では事件について知る人は少ないようだ。だが、海外で暮らしたことのある人たちは、海外の報道に触れているわけだから、事件についても知っている。国際派の人たちは、自分の出身国が独裁国家であるということにも冷静な目を向けている場合が多いので、天安門事件に関しても、海外の情報も含めて考え、複合的に見ている。

 中国出身であっても、海外経験者(または在住者)は、天安門事件についてかなりの事実を知っているはず。しかし、中国国内にいながら、事件について最も知っている、事件の真実を知っているのは、弾圧を行った当事者である中国共産党だ。

 天安門事件に関連して、大連時代に経験したある一幕が思い出される。もう4年前か5年前になると思うが、私はある夜、中国共産党員の人と食事をした。

 少し脱線するが、中国共産党員には2種類ある。1つは、純粋な党員で、中国共産党の仕事をしている人。
 もう1つは、党員として、名前だけ中国共産党に登録している人。これらの人たちは、共産党の仕事をしているわけではなく、一般企業などに勤めている。中国の履歴書には、「政治的態度」という項目のある場合が多い。私も、そこに「党員」と書いてある履歴書をたくさん目にした。
 だが、後者の人たちは、必ずしも中国共産党に忠誠を誓っているわけではない。独裁国家で生きるのであるから、その政党の党員になっておけば、不利益を被ることもないだろう。職場にもよるだろうが、党員なら昇進が早いなど、優遇されるかもしれない。私も個人的に、「正当な評価を受けていないのでは」と思える大学教授を知っているが、彼は党員でなかった。

 さて、本題に戻ると、私が食事したのは前者の共産党員だった。彼は、天安門事件について次のように言った。

 「もし学生たちを鎮圧せず、中国共産党の独裁体制が崩れていたら、中国は大混乱に陥っただろう。その混乱はアジアや世界にも影響し、経済的にも世界に大損失を与えただろう。このような大混乱を防いだわけだから、天安門事件は正しかった」

 この考えには賛成できないが、私は「やっぱりな」と感じた。中国共産党は、このように事件を正当化するのかと知った。

 また、彼は若かったので、事件当時に党員だったとは思えない。入党してから、共産党の内部で、事件について知らされたのだと想像できる。犠牲者の人数はうやむやにされているかもしれないが、「中国共産党が天安門広場で弾圧を行った」という事実は、それを正当化する理屈とともに、中国共産党の内部で語り伝えられているようだ。

 「共産党の独裁体制が崩れれば、中国が混乱する。その混乱は世界にも悪影響を及ぼす。だから、独裁体制の維持のためなら、武力行使も正しい」。こんなことをいう大国を、世界は受け入れてくれるだろうか。毎日新聞は、社説で中国を「異質な大国」と評しているが、私も同感だ。

 事件当時の最高権力者であった鄧小平は、中国共産党を守るために武力行使に踏み切ったとも言われている。おそらく、多くの中国共産党員にとって、共産党を守ることは、至上命題であり、また、死活問題でもあるだろう。
 ある日、中国の民主化が実現し、共産党の独裁が崩れたとしよう。そんな世界で、元共産党員を待っているのは、どんな現実だろうか。かつての独裁集団に、市民はどんな目を向けるだろうか。

 だから、中国共産党員は、党を必死に守るだろう。だからこそ、中国の政治は「中国共産党の中国共産党による中国共産党のための政治」なのだ。やや天安門事件から飛躍してしまったが、私は中国の政治を、この様に見ている。
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【書籍の紹介】大連・旅順歴史ガイドマップ(木之内誠・平石淑子・大久保明男・橋本雄一 著)

2019年04月22日 | 中国や大連のこと
大連に関連する書籍が出版されました。
『大連・旅順歴史ガイドマップ』(木之内誠・平石淑子・大久保明男・橋本雄一 著)です。

「大連・旅順の街並みの変遷を、現在の地図上に再現」と紹介にある通り、現在の地図(地名)の上に過去の地名が重ねられています。
正に「大連・旅順の過去と現在をつなぐ歴史地図」となっています。

私は、大連に暮らしていましたので、現在の地名は分かりますが、過去の地名までは詳しく知りませんでした。
非常に興味深い内容です。

大連や旅順に関わっている方、関心を寄せている方にはお勧めです。


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