アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

炎の男、火麻呂 防人の歌 Ⅳ

2016-12-08 17:30:54 | 物語

 四
「火麻呂、逃げようとしていたのかどうか、正直に答えて見よ」
 不幸にも不安が的中し、火麻呂は脱走兵として詮議にかけられた。
「逃げる気など毛頭ありませんでした」
 白州に引き据えられた火麻呂が古麻呂に答えた。
 大宰の帥大伴旅人の代理という立場で赴任している古麻呂に事は一任され、
何故か古麻呂が当の本人だけと話したがったのだ。
「何故離れた部隊をすぐ追わなかったのか」
「深い森で方角を見失いました」
「迷ったのか?」
「はい」
「良いか火麻呂、事態はお前に不利である。脱走の意思が無かったという証が
見えぬのだ」
「証拠なら有る」
 毅然として言い放つ火麻呂。
「ほほう、ならば言うてみよ。虚言は許さぬぞ」
「逃げる気なら、とっくに逃げていた。第一筑紫になぞ来ぬ」
「その気があればいつでも逃げれるとでも言いたいのか?」
 胸を反って頷く火麻呂。
「おうさ、いつでも」
 そのふてぶてしい様子に言葉を荒げる古麻呂。
「ほざくな下郎! ならばなぜ捕らえられて白州に引き据えられておるのじ
ゃ」
「あの時は逃げる気が無かった」
「あの時は? ・・・今は? どうなのだ、火麻呂」
「隙があれは逃げて見たいと思うておる」
「私が一声上げれは兵士が飛んでくるぞ。それに、素手のお前に比べて」
 腰の刀子に手を添える古麻呂。
「私には武器があるし、いささか腕にも自信が有るぞ」
「さあ? やって見なければ分からぬ」
「ハハハハ、面白いことを言う男じゃ。だが火麻呂、依然として状況はお前に
不利だ。葛麻呂の弟の子虫が煩くてな、いやな連中に恨まれたものじゃ、何を
したのだ?」
「したい事をしただけだ。子虫も糞も見たことも会ったことも無い」
「公卿を呼び捨てにしてはならぬぞ火麻呂。私とて大伴氏の端くれなのだ。も
し、もしも冤罪で処刑されても誰も恨むでないぞ。良いか火麻呂」

 火麻呂を下がらせた後、古麻呂は別室の子虫と白麻呂の元に行った。
 二人の上座に座る古麻呂、苦虫を噛み潰したような顔で子虫に話し掛けた。
「私には本気で逃げようとしていたとは考えられぬ。子虫殿、どうしてもあの
男を処刑せねばならぬのか?」
「この事は旅人の帥の了解を得ています」
「あの温厚な旅人の帥の意思とは思えぬが。・・・きしの火麻呂と言うたな、
どんな漢字を当てる?」
「吉兆の吉に志とか、越の末かと思われます」
「葛麻呂殿の祖父に従って武蔵に下ったと聞くが、ならば紀直の紀氏では無い
のか? もしも紀氏なら我が大伴氏とは同国近隣の人である、大目に見てやれ
子虫殿」
「どちらせにしろ牛馬よりも劣る奴同然の男」
 憮然として言い放つ子虫。
 襟を正し、東方を望む古麻呂。
「海行かば水侵く屍、山行かば草生す屍。・・・この歌を知っておりますな、
子虫殿」
「もちろん、我が大伴氏の伝承歌では御座いませんか」
「ならば心得よ、大伴氏がこの世に存在しているわけを。大伴氏とは、背に靫
を負い、肱に鞆をつけ、手に弓矢を持ち、剣を腰に帯び、恐れ多くも天皇の前
駆を勤める者であらねばなりません。天皇には澄んだ、明るく清き心で仕え奉
らねばなりません。その大伴氏の貴方が、仮初にも私事に奔命するなどもって
の外。貴方は防人の将としてこの大宰府にいるには余りにもお若い。私が旅人
の帥に書状を認めますから平城に戻りなさい、しかるべき師を見つけて学びな
おしなさい」
 思わぬ古麻呂の叱責に青ざめる子虫、唇を慄かせて何か言おうとするが、声
になって出てこない。
「白麻呂殿、防人としての火麻呂はどうなのです?」
 今度は白麻呂に尋ねる古麻呂。
「防人に成る為に生まれてきたような男です」
「ほほう、そんなに優秀な防人ですか」
「はい、強く賢く敏捷です。何よりも火長として将からも兵卒からも信頼され
ています」
「ならば防人にしておくのが一番。そうですね白麻呂殿」
「ハハーッ!」と、畏まる白麻呂。
「優秀な防人を失う分けにはいきません」
「必ず逃亡しますぞ!」
 叫ぶように言い放つ子虫。
「ならば、逃げぬように見張れば良い。もし逃げたなら、白麻呂殿、貴方の責
任です」
 反論しようとする子虫を制しながら立ち上がり、その部屋を出てゆく古麻
呂。
「古麻呂奴、古麻呂奴、おのれ」
 立ち去る古麻呂を睨み付ける子虫、顔面蒼白となり、わなわなと唇が怒りで
震えている。
「白麻呂! 構わぬ、火麻呂など殺してしまえ!」
「シーツ、お声が高い」
 子虫に顔を寄せる白麻呂、低い声で囁く。
「容易い事、だが古麻呂様からお咎めが有りませんでしょうな」
「古麻呂より兄のほうが位階が上だ、殺ってしまえ」
「ハハーッ」
 子虫に平伏して見せる白麻呂、上目遣いに伺い、子虫が古麻呂の後姿を睨み
付けているのを確認してニタリと笑った。

「火麻呂など殺してしまえ」
 城門脇の木陰から囁く白麻呂。
 陽だまりの中で、眉一つ動かさずに伯父白麻呂を見る黒麻呂。
「仰せと有れば何時でも」
「なあに、子虫がほざいていただけだ。だが、見張れ」
「チッ」と舌打ちする黒麻呂。
 背中の長刀を抜いて日に翳す黒麻呂。
「殺してしまう方が簡単だ」

 雪連黒麻呂は、後世の言葉を借りれば、傾く人と言えた、いや相当に傾いて
いた。
 傾くとは、歌舞伎の語源になった概念で、日本人の特徴の一つで有る。新奇
の文化に貪欲で、古い因習に拘らない好き者が日本の歴史の節々に出現した。
織田信長がその代表と言える。
 壱岐という、中華の洗礼を真っ先に受ける島に生まれ育った事で、黒麻呂の
傾く心がいやがうえにも磨かれて行った。雪の結晶に例えられる壱岐に因んで
雪氏を称した一族そのものが傾いていたとも言える。
 兵役に就いて直ぐ、黒麻呂は衣裳と武具に工夫を凝らした。特に太刀に只な
らぬ拘りを見せた。誰も見たこともない程の長刀を鍛冶師に創らせて常用とし
た。その太刀は幅も広く相当の重さになった筈だが、黒麻呂は軽々とその長く
て重い太刀を捌いた。ただ、余りにも長いので横に剥ぐには不便なので肩に襷
に架けた。
 太刀鞘の意匠にも工夫を凝らした、漆黒の漆に真っ赤な雪の結晶がちりばめ
られている。その結晶の数だけ敵の首をはねたという噂が流れていた。

 古麻呂が何故助けてくれたのか火麻呂にはよく分からなかった。
 同じ大伴氏でも、古麻呂は葛麻呂や子虫に比べて人としての器が違うのだけ
は理解できた。
 だが、次もまた古麻呂が助けてくれる保障はどこにも無い。近いうちに罪を
着せられて処刑されるに違いない。だったら、いつその事白麻呂の誘いに乗っ
て逃げて見るか?
 火麻呂の思考は頭の中でぐるぐる回り取り止めがつかなかった。
「冷めないうちにお食べ」
 母の声で我に返る火麻呂、膳部の汁椀を取って一口啜った。
「お前の好きな茸を汁にした。うまいか?」
「ああ、旨い」
 母真刀自の元気な姿に胸を撫で下ろす火麻呂、母の用意してくれた夕餉を猛
烈な速さで食べ始めた。
 解き放たれた息子を見ながら涙ぐむ真刀自。
「郡司様の事が露見したのかと心配で心配で」
「あの事を喋る奴も訴える男もいるものか。第一、泥麻呂が一切を被って逃走
して呉れたから大丈夫だ」
 火麻呂が壱岐で捕縛された時、真刀自は覚悟を決めた。脱走罪だけでなく猪
足殺害の罪も受けて死刑になるかも知れない。息子の従者として筑紫まで着い
てきたのは、乱暴者の火麻呂が短気を起こして脱走しないためだった。その愛
する息子の処刑を見るなど耐えられるとはとても思えなかった。
 そんな火麻呂が何の咎も受けずに帰ってきたのだ。真刀自は菩薩に感謝し
た。祈りが通じたのだ。息子の無事な姿を見て一時的に体調が良くなったが、
決して長くは無いと悟っていた。 自分が死ねば、甥泥麻呂が言っていたよう
に、火麻呂に一年の自由が与えられる。強く賢い火麻呂だったら、雅と共に逃
げて、どこか遠くで幸せに暮すに違いない。

 火麻呂が夕餉を平らげると同時にとんぼが訪ねてきた。
「お別れに参りました」
 馬鹿丁寧な言葉で真刀自に挨拶するとんぼ。
「父親が死んだと知らせが参りましてな、明日朝鴨郷に帰ります」
「まあ! それは大変で御座いますなあ、郷を出た時はあんなにお元気でした
のに」
「とんぼ、座って一杯飲め」
 火麻呂の勧めで腰を下ろし、杯を受け取って酒を喉に流し込むとんぼ。
「親が死ぬと防人を免除されるのか?」
「一年だけだ、また帰って来ねば罰を受ける」
「帰れるのか、郷に。それにしても随分暗い顔をしておるな」
「たった一人で郷に帰り着けるとは思えない。銭も力も無いんだから。無事に
帰れるのはせいぜい十人に一人だそうだ。また筑紫まで来れるのがその内の十
人に一人というから、百に一つも助からない」
「弱音を吐くなとんぼ」
「そうです、気を確かにすれば必ず無事に辿り着けますよ」
「愚痴を言うても仕方が無い。明日は早いから帰りますぞ。真刀自様、御体を
労わって下され。それから火麻呂、悪い話ばかり聞こえて来る、罠にはまるな
よ」
 肩を落として長屋を出て行くとんぼ。
 隅の壷から銭を鷲掴みにした火麻呂が後を追おうとすると、真刀自が懐の銭
袋を火麻呂に渡した。
「これも使っておしまい」

 暗闇をとぼとぼと歩くとんぼに追いつく火麻呂、手に掴んでいる銭を真刀自
の銭袋に捩じ込んでとんぼの手に握らせた。
「持って行け」
「困る、それは困る、そんな積もりで尋ねたのではない」
「分かっておる。銭など大した役には立たぬ。もし、もし銭が残ったら、雅に
渡して呉れ」
「ああ、必ず渡す。出来るだけこの銭は使わず雅様にお渡しする」
「山の我が家に居ると思うが、もしかしたら実家で待っているかも知れない。
頼むぞ、銭が残らなくても尋ねて呉れ。必ず迎えに行くと伝えて呉れ」
 何度も何度も振り返って火麻呂に頭を下げるとんぼ、闇の中に消えて行く。
「親が死ねば郷に帰れるのか」
 呟きながら道端に座り込む火麻呂、頭を抱え込んで悩んだ。
 群雲の間から月が顔を出した。
 足元の水溜りを見てギョッとする火麻呂、そこにはまるで鬼のような己の顔
が映っていた。
 風が耳元で何か囁いている。
「ウオーッ!」
 魔王でも追い払おうと言うのか火麻呂、傍らの大岩を抱えあげて水溜りの鬼
に向かって投げつけた。
     2016年12月8日    Gorou


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