アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

炎の男、火麻呂 能登国風土記 Ⅵ

2016-12-11 21:21:06 | 物語
 六
 能登国は十年前の西暦七百十八年、羽咋、能登、鳳至、珠洲の四郡を越前国
から割いて新設された。その後も七百四十一年に越中に併呑され、七百五十七
年に再配置された。越前、能登、越中、能登、短い間に四度も名前を変えたこ
の地方では、古くから三つの豪族が鎬を削って来た。
能登郡、珠洲郡に勢力を張る能登臣、羽咋郡の羽咋君、やや越前に籠もってし
まった感があるが、鳳至郡に勢力を残し、羽咋郡の北部にも楔をいれている道
君、この三古豪である。
 能登国新設や併合の影には、藤原氏と対立する勢力との綱引きが見え隠れし
ている。
 そんな難しい所に、決して政にふさわしい器量の持ち主とは思えぬ、大伴氏
の葛麻呂が赴任して行くのだから、嵐の予感が多くの人の心を過った。

 一行が羽咋郡に差し掛かってすぐ、はやくも嵐の予兆が現れた。
 その報告は、北陸道まで出迎えていた羽咋君比古麻呂によってもたらされ
た。
 能登の内海に浮かぶ香島に四隻の新羅船が訪れ、交易を願い出たのだ。
 羽咋郡衙で急遽開かれる評議。とは言っても、緊急の場合なので、羽咋君比
古麻呂、その長子千賀、熊来鹿人だけが参加した。
「能登ではこのような事が度々起こるのか?」
「能登だけでは無く、出雲から越後までの国々で新羅船が訪れては交易を迫り
ます」
 葛麻呂に答える比古麻呂、千賀も鹿人も場を弁えて発言を控えている。
「特に近年新羅は凶作が続いていると聞き及びます。その為か頻繁に現れては
穀物との交易を求めて来ます」
「交易を認めて来たのですか?」
「はい、たいていは」
「なぜ毅然とした態度を取らなかったのです」
「無益な争いを避ける為で御座います」
「そんな事では侮られ、付け上がるだけです。追い払いなさい、この大伴葛麻
呂が能登国守の間はこの国に近づいては成らぬ、再び能登の近海を航行すれば
必ず海の藻屑にしてくれると伝えよ」
 無造作に言い放つ葛麻呂。
 この場の三人の顔が暗く沈んでいった。

 八田郷にある国衙に葛麻呂の言葉を伝える急使が走った。
 翌早朝、国衙に到着した葛麻呂を待っていたのは驚愕の事実だった。
 葛麻呂の暴言に激怒した四隻の新羅船が海賊に豹変して香島を襲ったという
のだ。東と西の大半は占領され、中央北部の高田に香島衆が終結して僅かに抵
抗しているだけだという。
 即刻香島奪還を命じる葛麻呂。
 踏ん反り返って命じただけで自身は何もしなかった。
 その為、能登臣龍麻呂が指揮を取った。
 龍麻呂は香島津を海上から封鎖してもらう為に、まず越中国衙に急使を送っ
た。
 次に八田郷、下日郷、熊来郷の水軍を香島西湾と南湾に集結させ、珠洲郡水
軍に香島北湾を固めさせた。
 準備が整った段階でようやく、羽咋郡衙と鳳至郡衙に早馬を送って報告だけ
をした。香島津に新羅船が四隻もいきなり出現したこと事態不可解な出来事
だ、羽咋君か道君が後ろで糸を引いているか、手引きをしなければ不可能だ。
あるいは珠洲郡に内報者がいるのかも知れない。

 鹿人は三年振りに熊来の館に帰還した。
「お帰りなさいませ」
 美しい娘が三つ指をついて出迎えた。
 小首を傾げて娘を見る鹿人。こんな娘いたかな? どうも見覚えが無かっ
た。
 侍女たちに足をすすがせた鹿人は大またで奥に向かった。
「聞いているとはおもいますが、戦に成ります。湯漬けをお願いします」
 娘が小走りで鹿人に追いすがって息を弾ませた。
「はい、畏まりました」
 立ち止まって娘を見る鹿人、古参の侍女に命じた積もりだったのだ。
「今では、奥向きのことは私が宰領しております」
 大きな瞳を輝かせながら娘が悪戯っぽく微笑んだ。
「オッ! これは」
 頬に出来た笑窪でようやく気付く鹿人。
「とんだ粗相を、姫か? 紗誉璃殿か?」
「はい、お帰りなさいませ、鹿人様」
 こう言った娘は、三年前の昔に帰って、鹿人に飛びつき、抱きついた。
 鹿人もまた、かってそうしたように、紗誉璃の身体を両手で高く掲げた。
 娘は、身女児のように無邪気に笑った。

 ころころと笑っていた紗誉璃がすまし顔で鹿人の給仕をしている。
 湯漬けを掻きこみながら、鹿人はこれから始まる香島での戦闘の難しさを思
った。
 交易に応じることで保たれてきた和平が脆くも崩れてしまった。香島を奪還
する事自体はそれほど難しくは無いだろう。問題はその後だ。海賊と称しては
いるが、海賊の実態は新羅の正規軍なのだ。戦闘の後の政治的な解決の方が余
程難しい。軽薄を絵に描いたような国守葛麻呂に解決出来るとは到底思えなか
った。
 鹿人の空になった器を取りあげる紗誉璃、飯を盛り、さよりの干物をほぐし
てまぶし、香の物を乗せて湯を注ぎ、鹿人の手にその器を戻した。が、鹿人の
思考がまだ続いていた。
 ここは果敢に攻めて、鮮やかな勝利をあげなければならない。鮮やかに勝つ
事で、その後の交渉が有利に運ぶ。海賊を殲滅するのではなく、出来るだけ捕
虜にしなければと思った。能登で神隠しにあい、新羅に拉致されている者達と
交換する事も出来るのだ。
「鹿人様」
 紗誉璃の声が鹿人の思考を遮った。
「せっかくの湯漬けが冷めてしまいます」
「これは・・・・」
 湯漬けを掻き込む鹿人。
「旨い!」
「まあ」
 鈴を転がすように笑う紗誉璃。
「京師には美味しい物など沢山あったでしように」
 鹿人はすっかり女らしく輝いてきた紗誉璃を見ながら、「これは、出来るだ
け早く紗誉璃姫を妻に迎えねば」と思った。鹿人と紗誉璃の婚姻は、雅への想
いを断ち切るためにも、熊来郷の改革を進めるためにも必要な事だと思った。

 甲冑に身を固めた鹿人が紗誉璃と共に、館の庭園から熊来川に続く桟橋に現
れた時、既に熊来の兵団が勢ぞろいしていた。十数隻の軍船には煌煌と篝火が
焚かれ、出撃態勢が整っていた。
 軍勢の他に熊来の長老たちも集まっていた。
 鹿人の姿を認めた長老たちが一斉に地に触れ付し匍匐礼をした。
 地に頭を擦り付けるようにして鹿人に礼を尽くす長老たちの姿に困惑する鹿
人、傍らの紗誉璃に、
「顔を上げて立つように言ってあげて下さい。私は血の通った人間で、神など
では有りません」
「お館様が困っておられます。顔を上げなさい」
 熊来の巫女でもある紗誉璃の言葉でようやく顔を上げる長老たち、それでも
跪いて大地に両手をついた姿勢を崩さなかった。
「この者たちは、鹿人様にお願いが有るのです」
「私に出来る事なら聞かぬでも有りませんが、とにかく立ち上がって下さい」
 互いの顔を見合わせて様子を窺っている長老たち。
 鹿人が先頭の長老に跪き、両手で肩を抱くようにして立ち上がらせた。
「跪礼、匍匐礼が禁じられてからもう随分たちます。熊来では今後難波朝庭立
礼をもって礼と成します。どうかこの令を守って下さい」
 ようやく立ち上がる長老たち。
 この場に居る者全てに聞こえるように声を高めて宣言する鹿人。
「この熊来では、生を受けた者は皆平等です。例え、であっても、等しく
この郷で生きる権利が有るのです。夫々の役割が違うだけと心得て下さい。立
礼というのは、立ったまま向き合い」
 目の前の長老に軽く頭を下げて立礼を示す鹿人。
「軽く頭を下げます」
 立礼された長老が戸惑いながら頭を深く下げた。
「それで? 用件というのは?」
 口ごもる長老に代わって紗誉璃が答えた。
「彼の島の鹿が異様に増えて困っています。鹿たちが若木の樹皮までも食べつ
くし、神々の森が滅びてしまうと心を痛め、お館様に薬猟をとお願いに上がっ
たのです」
「そんなに増えてしまったのですか?」
「はい、彼の島に暮らす人々に負けぬくらいに」
「分かりました。新羅の海賊を退治して彼の島を奪還したらすぐ、香島衆と合
同の薬猟を行い、鹿の群れの数をととのえましょう」
 鹿人の言葉で安堵した長老たちが深々と頭を下げて感謝を表した。
 数人の兵士を従えて独木舟に乗り込む鹿人。
「それでは、姫、少し汗を流して参ります」
「御武運をお祈り致しております」
「熊来の巫女神が祈る程の事は有りますまい。さよりの湯漬けの御礼に鮮やか
な勝利をお約束いたします」
「紗誉璃は勝利など祈りませぬ。彼の島の、その西の島など熊来郷に還らなく
ても構いません。私が祈るのは貴方様のご無事だけです」
 爽やかに微笑んだ鹿人が手で合図すると、独木舟が沖合いの軍船に向けて動
き出した。
 どんよりとこもった空は夕暮れを迎えて益々暗く沈み、軍船の篝火がまるで
冬の星座のように煌めいている。

 日が暮れ、闇となった高田浜に珠洲の兵士が忍んできた。
 龍麻呂の使者は香島末麻呂に何やら報告して、また海中に消えた。
 海賊は高田には攻めてくる気配を見せず、奪った食料を四隻の船に積み込ん
でいる、おそらく明朝引き上げる積もりなのだ。

 羽咋君が報告を受けた時は既に深夜になっていた。
 長子千賀と荒木郷の兵士を香島に急行させる羽咋君。新羅海賊を殲滅させた
ら、本格的な戦争にまで発展するかもしれない事を知っていたのだ。
 荒木郷から峠一つ越えれば熊来郷で、熊来川を一気に下れば香島西湾に出ら
れる、羽咋からの最短距離を羽咋軍団が夜を徹して走った。千賀と軍団の使命
は唯一つ、ある高貴な人物を死なせない事だけだった。
 峠を騎馬で一気に駆け抜けた羽咋軍団が熊来河口に集合した。

 庭園に続く社殿で祈る、巫女となった紗誉璃の元に家人が走りこんだ。
「羽咋の千賀様の御使者が参り、鹿人様に与力の騎兵を彼の島に運ぶ軍船をお
貸し願いたいと申しておりますが、いかがいたしましょうか?」
「まあ、海を廻らず、峠を駆けてきたのですね。熊来にはろくな舟が残ってい
ないと思いますが、出来るだけの便宜を図ってあげて下さい」
「かしこまりました」
 慌ただしく社殿を出て行く家人を見送りながら顔を曇らせる紗誉璃、「羽咋
の千賀様まで!
海賊はそんなに大勢いるのかしら」、不安を抱えながら祖霊に祈りを捧げた。

 その頃、高田の浜辺に次々と島人が現れ、柴を堆く積み上げて行った。
 柴に油を注いで松明を投げさせる末麻呂。
 紅蓮の炎を上げて火柱が夜空に翻った。
 その火柱を目標として、香島津に水軍が溢れ、香島目指して殺到した。
 いち早く辿り着いたのは、鹿人に率いられた熊来衆だった。
 西湾から半浦に上陸した熊来衆は浜辺で遭遇した海賊などにはわき目も振ら
ずに、須曾の頂を目指した。祖先の祖霊を祀った墳墓を奪回するためだ。
 一気に須曾山に駆け上る熊来衆、あっけないほどの速さで二個の横穴式石室
を持つ方墳を奪い返した。
 大地にうつ伏せになって祖霊に陳謝し、天帝に感謝を捧げる鹿人と熊来衆。
 すっくと立ち上がる鹿人。
「天帝は我らが願いをお聞き届けになった! 二度と墳墓を奪われては成ら
ぬ! 次の目標はあの火柱じゃ! 命の限りに駆け抜けよ、熊来衆ここにあ
り! 我と共に戦うものに神のご加護は必ずある」
「ウオーッ!」
 津波のような雄叫びが熊来衆の間に拡がった。
「フィーヨー! フィーヨー! フイーン!」
 周囲の森から鹿の群れの雄叫びが聞こえてきた。
「ボボボボッ!」
 群れの王、鹿王の雄々しい鳴き声が轟いた。
「聞いたか! 者ども、鹿王とその軍勢までも我等に助成してくれるという
ぞ。目指すは高田じゃ、海賊ばらをひとり残さず生け捕りにせよ」
「ウオーッ!」、雄叫びを上げながら足を踏み鳴らし、盾や伽和羅を叩く熊来
の兵士たち、須曾山を駆け下りる鹿人の後を我先にと追い駆けた。
 ドドドドドドーッ!
 地響きを立てて、鹿王とその軍勢もまた鹿人と共に駆けた。

 戦闘が始まってすぐ高田一体は制圧され、能登軍団は一時程の間に西側を完
全に奪い返した。
東端の野崎にだけ海賊が残っていた。
 高田浜に集結した能登臣龍麻呂と三人の息子、珠洲郡司能登臣壱智麻呂、熊
来の養子鹿人、香島性を継いだ末子末麻呂が野崎に向かって進軍した。
 野崎に着いた時、そこでも戦闘は終わっていた。
 沖では新羅船が炎上していた。
 海賊は目と鼻の先にある松島に逃げ込んだという。
 ようやく千賀と荒木衆が戦場に到着した。
 松島から海賊たちの泣き叫ぶ声が聞こえている。
 松島に小舟をつけて上陸する龍麻呂軍。
 三十人程の海賊が、胸や頭をかきむしりながら転げまわって大袈裟に泣き叫
んでいた。
 その中心に一人の若武者が座り、天に向かって祈りを捧げていた。
 若武者の姿を確認してホッと胸を撫で下ろす千賀。
 懐から小さな壷を取り出す若武者、天を仰いでその壷を唇に当てた。
 素早く駆け寄った千賀が耳元で囁いた。
「私は羽咋君千賀と言う者、貴女様を必ずお救い致します」
 怯む若武者から毒の入った壷を取り上げる千賀。
 千賀を見詰める若武者の美しい顔を月光が照らし、
「私は構いません、覚悟は出来ております。この者たちの命を助けてあげて下
さい」
 と、壱岐で火麻呂が助けた、男装の麗人金正姫が達者な日本語で言った。
 戦闘が完全に終わった事を確認した鹿人が兜をようやく脱いだ、その時。
「ボボボボッ! フィーヨー! フィーヨー! フイーン!」
 鹿王とその軍勢の祝福の声が聞こえてきた。
 鹿人と能登の兵士が声の方角を見ると、野崎の浜の向こうの丘に鹿王の一族
が勢ぞろいしていた。
 東の空が白み、宝達の山嶺から朝日が顔を出し、空と海を虹色に染めた。
 朝日を体全体に浴びながら、鹿人は心の中で鹿王に語りかけた。
「鹿王よ鹿王、鹿の中の王の中の王、鹿王よ、次は汝と我との戦いである。今
となっては心に染まぬ戦では有るが、これも宿命、いずれ狩場で遭おうぞ」
 鹿人の挑戦に応え、鹿王が奇跡を起こした。
 丘の向こうから東に向かって一直線、泡立つ白波が一本の道を創り、その上
を鹿王が一族を引き連れて渡って行くではないか。
 丘に残った群れの一部が悲しげに鳴いて鹿王との別れを嘆いた。
 香島末麻呂が感動の余り声を震わせ、鹿人に話しかけた。
「鹿王は矢張り海を渡る鹿だったのですね。でも、私には分かりません、何故
あんなにたくさんの鹿を引き連れて海を渡るのか? この島にまた帰って来る
のでしょうか?」
「帰っては来ぬかも知れない。鹿王は真に賢い王の中の王である。この島で鹿
と人とが共に生きるために、新しい王国を求めて海を渡っていくのではないだ
ろうか? お末、これ以後は決してむやみに鹿を殺めてはならぬぞ、よいか」
「はい、誓って薬猟を愉しませたりはさせません」
 白く泡立つ海の道は、朝日を受けてきらきらと光っている。
 島に残した配下の鹿たちに別れを告げるためだろうか? 鹿人との別離を惜
しんだのだろうか? 鹿王が立ち止まって振り返った。
 鹿王の宝冠が朝日に煌めいて虹色に輝いた。
 鹿人にも、この島に住む全ての人々にも、それが鹿王との永遠の別れになっ
た。
 能登の内海に浮かぶこの小さな島を、古の人々は彼の島と呼んだ。やがて加
島と呼ぶ者が現れ、香島とも鹿島とも呼ばれるようになった。いつしかこれら
の名は忘れられ、今ではただ能登島とだけ呼ばれている。
  2016年12月11日   Gorou   


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