アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

Kozue(胡都江)~Twins of Formosa Ⅴ

2016-11-29 10:08:19 | 物語
五 太公望

 胡蝶一座の稽古は、朝十時からの二時間ばかりと、午後二時から夕方までの四時間だった。稽古は順調に進み、週末を待たずにほぼ完成した。
 この日も午後の稽古を見に行こうとした時、キッチンの隅で釣り竿を見付けた。
 私は稽古はやめにして、桟橋で釣り糸を垂れる事にした。もはや、稽古で私がすることなど何もないのだ。
 晴れ渡る青空に、紺碧の海、まだ二月だというのにポカポカと春のようだった。

 釣り糸を垂れながら、一応ウキの辺りを眺めてみる。実は、ウキなど見る必要はまったく無いのだ。私の針には餌が付けてないのだから。魚を釣るのではなく、釣りそのものが目的なので餌など必要無い。
 小さい頃からこんな具合にして釣りを愉しむのが好きだった。とてつもなく贅沢な趣味、と私は自認している。実際、こうして海面を眺めやっていると、不思議に心が落ち着き、様々な想念が沸いて来る。
 小魚が海面付近に群れて遊び、春の陽に照らされてキラキラと煌めいている。
 私は海面を心の鏡にして、ミズエを想った。記憶が甦り、私の想念と混じって、その鏡に像を結んだ。ミズエが微笑んでいる。その微笑みが水面に揺れて散った。
 ミズエの面影が、小魚の群の集散とともに、現れたり消えたりするのだ。
 ミズエが現れ、また消えた。再び現れたかと思うと、それはコズエだった。いつの間にかコズエが私の傍らに佇んでいたのだ。
「鬼太郎は釣りが下手ネ。一時間以上経っているわ」
 ミニスカートのコズエが私の左に座った。
「私、手伝ってあげる。きっと釣れるわ」
「それは無理だろう?」
「大丈夫、まかせて」
 海面に向かって垂れるコズエのサンダルが外れそうだ。だが決して落ちなかった。まるで体の一部のように、際どくも足と繋がっているのだ。
「ずっと見ていたの?」
「まさか、あたしじゃないわ」
 その時、奇跡が起きた。
 餌のない釣り竿で、魚がつれたのだ。
 ほんの数メートルしか離れていない所で、ミズエが立って私を見つめていたのだ。
「お早う。・・・稽古は終ったの?」
 ミズエに声を掛けたのだが、
「午後の稽古、今日は休みになったの」 
 コズエが答えた。
 サブリナパンツのミズエ、今日は髪を編み込んで頭の上で束ねている。そんなミズエが躊躇いながらも、おずおずと近付いて来る。
 私は下駄を揃えてミズエの足下に置いた。
「座ったら?」
「有り難う」
 歌と台詞以外でミズエの言葉を聞いたのはそれが初めてだった。
「岸壁に座るのなんてミズエには無理かも」
「どうして?」
「水が怖いの。私たち全然泳げないの」
「コズエは怖くないの?」
「わたしは平気、怖いものなんかないわ。沢山人もいるし」
 コズエが私を覗き込んだ。
「喜太郎泳げるのでしょ」
「ああ、そこそこ、にはね」
コズエがミズエを振り返って言った。
「大丈夫。落ちたって喜太郎が助けて呉れるわ」
 迷っていたミズエが私の右隣にそっと腰を掛けた。そよ風が私の右頬を掠め、梅の花の香りが漂った。まるで佐保神のような、なんて爽やかな娘なのだろう。
 私は、珍しくも長い髪を束ねたミズエの項を見つめた。が、有るかもしれないと期待していたホクロは見当たらなかった。
 ミズエの頬が微かに膨らんで、唇が僅かに開こうとしている。何か私に言いたいのだろうか?
 私はミズエの言葉を待ち望んだ。
「釣れたらいいネ。きっと釣れる。私が祈ってあげるから」
 こう言って、コズエが海中のウキの先を凝視している。
「ムリムリ、餌なんかついてないのだから」
 ミズエの耳元でそっと囁くと、ミズエが驚いたように私を見つめ、コズエはムキになって、更に海を凝視し、何やら呪文を唱えた。
 私はミズエの顔を覗き込むようにして微笑みかけた。
「ホント?・・・本当に餌がついていないの?」
「ホントさ」
「でも、引いているわ。ホラ!」
 ミズエの指さす先でウキがピクピクと動いている。
 慌てて竿をあげると、小さな小生意気なフグが針に掛かっていた。
 指で軽く腹を弾くと、プーッと体が膨らんだ。
「まるで、コズエちゃんみたいだネ」
 クスッと笑ったミズエが大きく頷いた。
「かわいそうだから今度だけは許してあげよう」
 と言ってフグを海に放すと、今度は、フグに例えられたコズエの頬がプーッと膨らみ、私から視線を外した。その項にホクロが三つ、まるで梅の花のように息づいていた。

 その後二人は私のアパートについてきた。
 自慢のオーディオセットの正面に座ったミズエが、マッキントッシュ(オーディオアンプ)のエメラルドグリーンのロゴに魅入っている。
 コズエは立ったまま、遠慮なく部屋中を見回している。
 コズエの視線が隅のバイオリンケースの上に止まった。
「鬼太郎のバイオリンが聴きたい」
「中は空っぽ。・・・ただの飾りさ」
「お願いだから聴かせてよ」
「本当に弾けない」
 コズエの目がキラリト光った。意味ありげに微笑んでいる。
 私はコズエを無視して、バド・パウエルの『クレオパトラの夢』を選んでターンテーブルに乗せた。エアダスターで埃を吹き飛ばし、静電気を除去した後、鹿皮のクロスで丹念に拭い、アームを盤に運ぶ。いい音で聞くための儀式のようなものだ。
 軽快にスイングするパウエルのピアノが飛び出して来た。
 やっとコズエが腰を下ろし、ミズエを少し端に追いやって、私がミズエの為に用意した特等席を独占した。
 バド・パウエルのクレオパトラの夢を聴きながら、
「パウエルは凄いパラノイア、偏執病に掛かっていて、躁の時と、鬱の時の差が酷かった人でね、黒人プレーヤーとしては当然のように麻薬に溺れた。好不調が激しくて、このレコードを吹き込んだ時も酷い状態だったと言われている。だから、ミスタッチがかなり目立つ」
 コズエもミズエも良い耳を持っていた。私の解説に見事に反応した。正直私には良く聞き分ける事が出来なかったのに、ミスタッチを殆ど見つけては顔を見合わせて頷き合っている。
「そんなモノを跳ね返すような、唸るような熱演で、パウエルで一番好きだな、この演奏」
 二人とも初めて聴くジャズの、それも飛び切りの名演にかなり興奮していた。
 この姉妹のように、耳が良く、感性の豊かなリスナーを手に入れるなんて、オトキチ冥利に尽きるというものだ。
 私は次々と秘蔵の愛盤を掛け替え、二人は夢中になって聴いてくれた。
 そして今、グレン・グールドのバッハを聴かせているところだ。

 この日から、ミズエもコズエも、たびたび私のアパートに入り浸った。
 それは良いのだが、意外な付録、小道具係りの健一という若者まで仲間に加わって来たのは余り有り難く無かった。健一は漁師の息子だがグレートホテルでアルバイトをしていた。いつもジーパンに半袖のТシャツ、真冬でもペラペラのジャンパーを羽織るだけだったらしい。
コズエと健一は出来ていた。というより、コズエが健一を子分か家来のように従えている、つまりバシリと言った方が正しいのかも知れない。
  2016年11月29日    Gorou


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