アメージング アマデウス

天才少年ウルフィは成長するにつれ、加速度的に能力を開発させて行きました。死後もなお驚異の進化は続いています。

三界の夢 そのⅩ 設楽原

2017-02-13 11:55:02 | 物語
 そのⅩ 設楽原

 三年の喪を守った武田勝頼は、天正3年(1575年)4月、三河侵攻を開始。
 因縁の長篠城(徳川の前線)を囲んだ。
 守勢僅か五百、囲む武田勢は二万。
 数日を待たずに落城と思われたが、200丁の鉄砲や大鉄砲、そして周囲を谷
川に囲まれた地形のおかげで、籠城軍は武田の猛攻に絶えていた。

 5月14日の夜、城側は鳥居強右衛門(すねえもん)に岡崎城の家康へ援軍を
要請させた。
 鳥居は夜陰に紛れて武田軍の厳重な警戒線を突破し、岡崎城にたどり着い
た。
 岡崎城にはすでに信長の援軍3万が到着していた。
 信長軍には光秀と光晴も従軍していた。

「光秀様、織田の足軽は刀槍よりも丸太を担ぎ、多数の黒鍬(工兵)が来てい
ます。信長はどのような戦をする積もりなのでしょう?」
 そう言う光晴の横を小柄な足軽が丸太を担いで通った。
「おそらく。・・・信長公は欧州の戦に想を得、大規模な防御陣地を築くので
あろう」
 光秀の言葉に耳を傾けた足軽が窪みに足を取られて丸太を落とした。
 光晴の側に転がってくる丸太。
「我が軍は敵に倍しています。正攻法で直押しにするが常識かと思いますが」
 顔中墨を塗りたぐった足軽が舌を出して光晴を見た。
 火だ、相変わらず光晴に笑いかけている。
「これが信長の戦じゃ。間違いなく勝てる方策を立てた上で敵を玉砕させる。
叡山、浅井・朝倉攻めで、お前は何を見ておったのだ」
 光晴は足軽・火の顔に頬被りをさせて、耳元で囁いた。
「無茶をするな」
「なんの、偵察ついでにお前の顔を見に来たのだ。有り難がれ、光晴」
 火の肩に丸太を担がせる光晴。
 光秀も火の存在に気付いた。
「火とか言ったな。主だけか?」
「二人の姉も来ておる」
「その二人は、どこで何をしておるのだ?」
「知らぬ。知っていても言わぬ。これだけは言っておく。わしらは武田を抜け
た。どこで何をしようが勝手。知らぬ振りをしろ」
 火は丸太を軽々と担いで、小走りで去って行く。丸太のため、疾走とまでは
言えなかった。
「いつも元気な小娘じゃな」
 光秀に返事をするのも忘れ、光晴は火の行方を追った。

 強右衛門は信長や家康と面会し、翌日にも家康と信長の大軍が長篠城救援に
出陣することを知らされた。
 強右衛門はこの報告を一刻も早く長篠城に伝えようと引き返すが、5月16日
の早朝、城の目前まで来て武田の兵に捕らえられてしまった。
 死を覚悟の強右衛門は武田側の厳しい尋問に臆せず、自分が篭城軍の密使で
あることを敢えて知らせる。武田側は強右衛門に「お前を城の前で磔にする。
そこでお前は『援軍は来ない。早く城を明け渡せ』と叫べばお前の命は助け
る」と取引を持ちかけた。
「承知仕った」、強右衛門は即座に取引を受けた。
 翌朝、城の前に磔りつけ柱に縛り付けられた強右衛門は、
「鳥居強右衛門で御座る。敵に捕まり、この為体。城中のみな、よく聞け」と
呼びかけた。
「あと二、三日で、数万の大軍が救援にやってくる。堪えよ」と大声で叫ん
だ。
 強右衛門はその場で武田軍に槍で突き殺された。
 
 その様子を、城壁で見ていた籠城兵に変装した風と林。
 二人は比較的長身だったので、小姓に見えた。
「なんと惨い」と、顔を背ける林。
「あっぱれなり鳥居強右衛門。あなたの子孫は必ずや繁栄致しますぞ」
 二人は、強右衛門に黙祷を捧げた。

 強右衛門の死は、城兵の士気を奮いたたせ、設楽が原で織田徳川連合軍が武
田軍を撃破するまで、城を守り抜いた。

 信長到着の報を受けた武田陣営では直ちに軍議が開かれた。信玄時代からの
重鎮たち、山県昌景、馬場信春、内藤昌秀らは信長自らの出陣を知って撤退を
進言したが、勝頼は決戦を強く主張する。そして長篠城の牽制に3,000ほどを
置き、残を設楽原に向けた。
 信玄以来のの重臣たちは敗戦を予感し、死を覚悟して一同集まった。
「もはや武田もこの日限り」と昌景。
「音に聞こえた武田騎馬武者の散り様をみせてくれん」と信春。
「信玄公御覧あれ。我らは信長に目に物見せましょうぞ」と昌秀。
 三人の老将は、騎乗で水盃を飲み干し、杯を地面に叩きつけ、化天との決別
とした。
「いざ、設楽原に」
「いざ、最後の突撃じゃ」
「いざ、信玄公の元へ供に参らん」
 三人は風林火山の旗を立て、設楽が原の決戦場に騎馬を走らせた。
 夏の突風で風林火山が颯爽と翻っていた。

 勝頼は1万5千ほどの軍勢を率いて滝沢川を渡り、織田軍と二十町(約
2018m)ほどの距離に、兵 を13の兵団に分けて西向きに布陣した。
 対する織田軍は二重の土塁を高々と築き、更にその前に馬防柵を巡らせて、
三段の鉄砲隊が獲物を待ち構えていた。
 勝頼の本陣には風林火山が旗めき、山を気取って采配を西に向かって振り下
ろした。
 音に聞こえた武田の騎馬隊の突撃が始まった。

 戦場近くの大樹の枝には三人のくの一の姿が有った。
 変装を解き、今はいつもの忍び衣装だ。青と萌葱、そして紅に燃える領巾が
風に棚引いている。
「勝頼殿は下手な戦をする」と、風。
「武田の騎馬隊でもあの馬防柵と大土塁は越えられまい」と、林。
「いっそ全滅するが良い、勝頼の阿呆め」と、火。
 三姉妹は毒づいていたが、顔は青ざめ、悲痛な趣で、瞬きも忘れて戦場を凝
視していた。

 武田軍が射程内に来ると鉄砲が一斉射撃で騎馬もろとも武者をなぎ倒した。
 素早く一段の鉄砲隊が後方に引き、二段めが一斉射撃、素早く入れ替わった
三段めも一斉射撃。
 織田軍は主力の槍隊と騎馬隊は戦闘行為の気配すら感じさせなかった。
 まるで、芝居見物でもしているようだ。
 光秀と光晴もこの新作舞台の見学者だった。
「光秀様、戦の歴史が変わりました」
「これからは、鉄砲を多く持った者が有利になる」
「はい、戦の猛者など、これでは役に立ちません」
 空を見上げる光秀。
「今日は晴天だが、雨が降っていたらどうする?」
「合羽や大敷物などで鉄砲を守ります」
「じゃが、鉄砲隊の威力は半減。・・・それでも勝頼相手のの戦では勝てる」
 二人がこんな会話を交わしている内にも、勝頼が次々と放つ武田武者が骸に
なっていた。

 夕日が戦場を照らした。
 そこには真っ赤な武田武者の血と、赤鎧で綾なす紅葉の様だった。

 『信長公記』に記載される武田軍の戦死者は、譜代家老の内藤、山県、馬場
を始めとして、原昌胤、原盛胤、真田信綱、真田昌輝、土屋昌続、土屋直規、
安中景繁、望月信永、米倉丹後守など重臣や指揮官にも及び、戦傷者は一万を
超えた。が、織田方の損害は僅か六十名に留まったと伝えらている。

 勝頼はわずか数百人の旗本に守られながら、信濃の高遠城に後退した。

 木の上の三姉妹は、風も林も、火も、金縛りにかかった如くに動かなかっ
た。
 夕日が沈み、戦場が闇に包まれた時、三姉妹は改めて魔王の恐ろしさを知ら
された。
 三姉妹が地上に飛び降り、疾走し、やがて何処ともなく消えた。

  2017年2月13日   Gorou


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