ローズマリー(ヨーダ改め)

人形制作、大自然の恵みを頂いての手作り、日々の暮らしなど発信していきたいと思います。

2024-04-24 | 実母の事

明け方、夢を見ました。

夢の中で亡き母と私は、

私の生まれた家(取り壊されて今は無い)に居ました。

母は自分に不都合なことがあるのは私のせいだと言います。

夢の中の私は

『それは私のせいじゃあないよ、そんなことしてないよ。』

と言い返しました。

母は満面の笑顔で『そうかね。』と言ったような?言わなかったような・・・

そこで目が覚めました。

満面の笑顔で夢に出てきてくれたのは

毎日の私なりの供養が届いているような気がしました。

 

夜が明けるのを待って庭に出て見ると

母が亡くなってから手入れもしていなかったのに

雨の中で

バラが咲いています。(葉っぱがかわいそうなことになっています。)

 

 

ローズゼラニュームも

 

 

ドクダミの中でユキノシタも

 

 

レモンの木にも蕾が (見出し画像)

 

私だけ時間が止まっていたかのよう・・・・

 

 

花と言えば

母が旅立った日ご先祖様にお供えしていたしきみが

時期でもないのに咲き始めました。

 

 

お彼岸にもこの地方ではちょっと早いのですが

咲き始めました。

 

 

 

 

母は花が大好きだったので

あの世から私を見に来た時に

荒れた庭だったらガッカリすることでしょう。

 

花を見ていると心が癒されます。

毎日声をかけて育ててきた(ここしばらくはほったらかいでした。)

花たちから元気をもらった気がします。

ありがとう!

 

 

今日もご訪問ありがとうございます。

 

 

 


心が沈んでいる間に荒れてしまいました

2024-04-01 | 実母の事

ブログが書けないまましばらく過ぎてしまいました。

その間にもご訪問ありがとうございました。

 

ーーー今日はスピ系の内容も含みますので、苦手な方はスルーしてくださいねーーー

 

もうすぐ母の49日です。

私は母からの愛はあまり期待できない環境で育ったので

母と心が通うことはこの世では諦めていました。

 

13年くらい前

ある方(光のお役を務められる方)との出会いがきっかけで

祖母が病弱な赤ん坊だった私のことを心配して

龍王様に願掛けしてくれていたのに

元気になってもお礼参りに行っていないことを思い出し

何十年も忘れていた龍王宮(海津見神社)に

母も一緒にお礼参りに行った時のことです。

 

 ↓ は去年海津見神社に行った時のブログです。

 

海津見神社(龍王宮) - ローズマリー(ヨーダ改め)

高知県梼原町の龍王宮(海津見神社)に行ってきました。私を育ててくれた祖母の郷里の近くの神社です。私は子供のころから病弱だったので祖母が私が元気な体になって大人にな...

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祖母の祈願は『孫の私が元気な体になって大人になるまで生き延びられますように』

と言うような内容でしたので

元気になっても長い間参拝もしなかったお詫びと

今までの感謝を込めてお参りし

神社の森を降りてくると

驚くことに、何柱もの龍神様が、私に付き添って降りてきてくださったのです。

その時、私の脳内に私のキャパを越える内容が入ってきて

脳が爆発しそうなほどの頭痛をおこし

しばらく身動きできない状態になりました。

 

そのことがきっかけで

私は神様(宇宙のエネルギー体、光)のお役を務められる方の

お手伝いをすることになり

魂を磨くための生き方しかできなくなりました。

母もそんな私を間近で見て

いつの間にかマイナス思考をしなくなり

色々な執着を捨てようとしているようでした。

そんな中で私も不思議と母のことも深く理解できるようになり

母を敬遠していた気持ちも手放すことができ

母のすべてを受け入れられるようになりました。

母も、幼いころから気に掛けることもなかった私のことを

色々と思いやってくれるようになりました。

 

昔の私は、母が亡くなっても涙も出ないだろうと思っていたのですが

母娘関係が修復されてから母が旅立ったので

生前の母を思うと、寂しくて涙がこぼれる日が続きました。

 

心が沈んでいる間にミニガーデンが荒れてしまいました。

見出し画像のブルーベリーは葉が色あせて赤っぽくなっていました。

雑草の種もでき始めています。

下の画像のローズゼラニュームだけは世話を怠っても元気に増えています。

花が大好きだった母に笑われそうです。

 

今日もご訪問ありがとうごさいます。

 

 

 


ごめんね ありがとう

2024-03-02 | 実母の事

2月に母が旅立ちました。

生前、母から言われていました。

 

危篤の知らせがいったら

急いで来てよ

会えるものなら、最後にもう一回会いたいから・・

死んだと知らせがいったら

急いで来なくてもいいからね

 

危篤の知らせが来て急いでいったけど

間に合いませんでした。

病院のベッドに横たわる

母の体をさすりながら

 

お母さん、よく頑張ったね

遅れてごめんね・・・

急いできたけど、間に合わなくてごめんね・・・

お母さん、今までありがとう

声に出して話しかけると

まだ温かい母の両瞼から

一粒ずつ涙がこぼれました。

 

その涙を見たとたん

幼いころからの母に対する

辛い思いが全部消えました。

 

お母さん、約束守れなくてごめんね。

お母さん、今までありがとう。

 

母を失った喪失感はしばらく続くと思いますが

母との良い思い出だけを大事にしていきたいと思います。

 

 

 

 

 


母が

2024-02-07 | 実母の事

先日一週間ぶりに老人ホームの実母に会いに行きました。

ホームの近くの白梅の花も満開でとてもきれい。

一足早く春を見つけたようで気分よく

母の所に行くと

明け方から発熱し、解熱剤を飲ませてもらい

平熱迄下がっていましたが

肺炎を起こしていて

ホームの近くの系列の病院に入院しました。

母は元気がなく、高齢なのでとても心配しました。

 

今日、行ってみると治療も順調で

安定しているとのことでホッとしました。

今日はあまり言葉が出ない母でしたが

私を見ると目がシャンとしてくるので

きっと元気になってくれると思います。

 

 

最近、弟と母のことを少し話せるようになりました。

弟は前から母に早く死んでもらいたい

と言っていました。

弟は少し母のことを誤解しているところが有るので

私は母の弟への愛が

どんなに深くて大きなものか

弟に理解してもらいたくて

言葉を選びながら話しました。

 

その何日か後に

弟が

俺も長生きしてもらいたいとは思うけど

年も年やから姉貴も覚悟はしておいたほうがいい

と言いました。

本音しか言わない弟が

母に長生きしてほしいと言うのを聞いて

ホッとしました。

 

 

アレほど母に溺愛された弟が冷たく母を突き放し

子どものころから母に虐待され続け

身の置き所もなかった私を

母は今、心の支えにしているようです。

弟を妬んだり憎んだりしなくてよかった。

母を恨んだり憎んだりしなくてよかった。

忍耐し続けるのは苦し過ぎて

難病になってしまったけれど

全ては運命と甘受してきました。

その病気も治ってしまったし

早くに亡くなった父の後姿を追いかけて、いつも前だけを見て生きてよかった。

育ててくれた祖母の教えを守って生きてきてよかった。

今は全てが自分の心の糧になってくれたような気がします。

私を虐待した母にも感謝しています。

母のおかげで強い人間になれたから。

 

母がこの世にいてくれるうちに

昔のように仲の良い母と弟に戻れることを願っています。


すごい明王様 追記 & Before & After

2023-12-12 | 実母の事

前回の投稿の追記です。

 

すごい明王様 & 名残の紅葉 - ローズマリー(ヨーダ改め)

今日はスピ系の内容になりますので苦手な方はスルーしてくださいね。大元帥明王実母は赤ん坊のころから何度も生死の境い目まで行きながら毎回、生還してきました。強い運を...

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どうしてこの明王様が母を守ってくれるのか

不思議でした。

投稿した後で

この明王様のことを教えてくれた方が

色々話してくれたことによると

母と仲が良かった身内の女性は

家に導師様をお招きして

お護摩を焚いてもらったりするような信仰の篤い人で

大元帥明王がお祀りされている秋篠寺にも

度々お参りしていたそうです。

 

その話を聞いて

私もその女性から母経由で

秋篠寺のお守りを頂いていたことを思い出しました。

身内の女性のおかげで、母も大元帥明王様から

何だかのご縁を頂いているのでしょう。

母のこのご縁に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

6月6日の、大元帥明王様御開帳の日に

家族や明王様のことを教えてくれた方も誘って

皆で一緒に参拝で来たら・・と思っています。

 

 

 

Before & After

 

去年親族からもらったカランコエ

(見出し画像が去年のカランコエです。↑)

クイーンローズと言う名前の、大輪のとてもきれいなカランコエでした。

育て方の説明通りに世話をして、綺麗な花が長い間楽しめたのですが

夏の猛暑で枯れてしまい

葉っぱが1枚だけ生き残っていました。

その1枚を土に挿し、鉢を涼しい所に置いていたら

新芽が出てぐんぐん伸びて

キャー嬉しい!

と喜んでいたのですが

何だか‥‥ちょっと・・違うかも・・・?

蕾もいっぱいついていますが

蕾の付き方が去年とは違います。

葉っぱも肥料を施しても去年より

ずっと小さいです。

↓の写真が葉っぱ一枚から復活した今日のカランコエ

 

お花屋さんに聞いたところ

品種改良した花は、何だかの環境の変化や経年で

先祖返りすることがあると言うことでした。

クイーンローズの先祖となる花が見られるのなら

それはそれで楽しいかも。

 

 

今日、最後まで読んで頂いてありがとうございます。

 


すごい明王様 & 名残の紅葉

2023-12-09 | 実母の事

今日はスピ系の内容になりますので

苦手な方はスルーしてくださいね。

 

大元帥明王

実母は赤ん坊のころから何度も生死の境い目まで行きながら

毎回、生還してきました。

強い運を持っていると思います。

命の危機が訪れると、必ず助けが来るからです。

母は霊的能力がありますが

その事は母に口止めされており

母の子供でも私しか知りません。

 

その母も、高齢になり

普通の人だったら自殺するかもしれないような

苦しい環境に長い間、身を置いていたようです。

私がその事実を知ったのは最近です。

母はその苦しい境遇も誰にも言わず

自分の宿命と、すべてを受け入れてきたようです。

その事を知り、驚愕とともに、何とかしなくてはと悩んでいたところ

驚くような展開の中

母の廻りは、これ以上の良い環境はないと思えるように

全てが整ったのです。

私はそのことをとても嬉しく思いました。

超自然的な力が働いたのだと理解しました。

何ものかもわからない、その超自然的な力に心から感謝をささげた

その時、見てしまったのです。

母の後ろにいる恐ろしいものを・・・

身がすくみました。

口もきけないほどの恐怖感に襲われました。

その金縛りにあったような中でも

母は『この世のものではないものに

守られているのだと

私の思考に入ってきました。

 

あの日からずーっと悩み続けていました。

母を守っていると言うけれど

あんな激しい神様、仏様(仏像、神像)は見たことがありません。

守ると言うからには良いものだと思うけれど

もし、あれが悪いものなら・・・・

母に変なものがついていたらどうしよう・・・・

存命なうちに取り除いてあげなくては

亡くなってもちゃんと霊界に行けないのではないか・・・・

どうしたらいいのだろう・・・・?

 

悩みに悩んでいる時に

母に会いに来てくれた信心深い方から

大元帥明王の話が出ました。

大元帥明王の姿かたちや、類まれな霊力のことを聞くうちに

母を守ってくれているのは大元帥明王様だと確信し

今までのことを話すと

一個人を守護するような明王様ではない

スケールの大きな

国家レベルの守護をしてくれる明王様

だと話してくれました。

興味があるならネット検索してみたらいいとも。

 

その夜、ウキペディアの画像を見て

イスから転げ落ちそうになりました。

まさに、私が見た筋骨隆々で憤怒の表情!

大元帥明王は国土を護り敵や悪霊の降伏に絶大な功徳を発揮すると言われ

必勝祈願」や「敵国粉砕」「国土防衛」の祈願として

宮中では古くから大元帥明王の秘法(大元帥法)が

盛んに厳修されてきた(ウキペディアより)

とありました。

その晩は心地よく眠りにつき

明け方にふと目が覚めたら午前4時10分。

前に見た、大元帥明王様が現れたのです。

憤怒の表情の筋骨隆々とした大明王様は

剣を携え体の両側には蛇が巻いている。

見た瞬間フリーズしてしまいました。

母の守り神

私の頭の中に入ってきました。

私は、たじろぎながらも

これで母の心配はしなくていいんだ

と安堵しました。

 

もし、悪霊に悩まされている方がおられましたら

大元帥明王でネット検索すると真言も載っています。

 

 

名残の紅葉

家の前の公園の楓の紅葉が綺麗です。

 

 

 

今日も、ご訪問ありがとうございます。


ボケたふり

2023-11-02 | 実母の事

母の老後をみるということで

母の全ての財産と不動産から発生する収

弟が相続しています。

 

母は弟夫婦と同居していました。

粗末な扱いを受けているのでは?と思うことが何度かありましたが

私が口出しすると

弟嫁の母へのあたりが強くなるので、何も言えずにきました。

母は認知症を患っています。

弟夫婦は、母はもう全てのことが認識できなくなって

家族のこともすべて忘れ切って

会話することもできないし

何の感情もない。

食事も1時間以上かかっても、少ししか食べんし

糞尿も垂れ流しや、と紙オムツ着用させていました。

 

弟夫婦は母を見下し、ぞんざいに扱っているような気がして心配でした。

弟嫁はよく気が付き、抜け目のない人ですが

プライドが高く、全てを自分の思い通りにしないと

気が済まないタイプ

伯父たちや伯母からも

姉弟で揉めるもとになるから

母のことでは手出し口出しするな、とアドバイスされていたので

控えていましたが

弟は弟嫁に姑をお義姉さんにも看てもらえ

と言われたようで

母をうちに連れてくるようになり、うちでも度々、母を看ていました。

 

母が来ると、残り少ない母との時間を大事にしようと

家族も気持ちよく協力してくれました。

母は弟夫婦の言うようなひどい状態とは違って

うちではトイレも自分で出来るし

食事も皆と同じ時間で

和やかに会話も挟みながらほぼ完食でした。

忘れていることも多いけれど

昔ほど饒舌ではないけれど

会話もできました。

 

昔暮らした山郷の話題になると

『行けるものなら、もう一回行ってみたい。』と

しみじみ話す様子は

弟夫婦の言う重度の認知症とはとても思えませんでした。

その事を弟に言うと

 

アルツハイマー型認知症

自主的にトイレに行くこともなくなり

排泄、更衣などすべてに介護が必要である

   上記の通り診断します

 

と書かれた医師の診断書を見せられました。

 

うちの家族は

おばあちゃんはボケたふりしてるがや~!

と皆言いました。

 

 

その後、ブログでは書けないような

事が色々重なり

数か月前に、実母が特養ホームに入りました。

私は日を置かず度々面会に行き

ここは安心できる場所で

お母さんにひどいことをしたり、嫌なことを言ったり、困らせたり

悲しい思いをさせる人は一人もいない。

スタッフの方はみんな優しくて信頼できる方ばかり。

と、くり返し、くり返し話して聞かせました。

 

スタッフの方たちに相談しながら

肌の弱った母の為に、肌触りの良い脱ぎ着しやすい肌着や

尿取りパッドがしっかり装着できる肌に優しいパンツ。

ゆったり着られる1サイズ上の着心地の良い衣類

等も用意しました。

 

今では、スタッフの方や

入居者の方とも話ができるようになり

食事も完食の時が多いようです。

ここは、母の好物の差し入れも受け入れて頂けます。

居室からトイレまで少し離れているのと

歩くのが遅いので

パンツに尿取りパッドはつけていますが

トイレも問題ないようです。

弟夫婦と同居していた時は、いつもしかめっ面で

自分を守るように体の前で腕組みをして

身体を緊張させていた母が

今はとても穏やかな表情で

体もリラックスしている様子を見ると

スタッフの皆様のおかげだと思います。

心から感謝しています。

 

母が、もう一度飲んでみたい、と言っていた

昔住んでいた山郷で作られた

山の手もみ番茶が手に入りましたので

今日は朝からそのお茶を焙じて

 

美味しいお茶を作って持っていきました。

母はとても喜んでくれて、美味しいと

ゴクゴク、勢いよく飲み過ぎてむせてしまいました。

 

私が帰る時は

『また来てね~。

『待ちゆうきね。』

『気を付けて帰りよ~。』

と手を振って見送ってくれました。

 

広い共有エリアの端で振り返ると

まだ手を振ってくれていました。

旅立つその日まで元気でいてくれますように・・・。

と祈るような気持ちでもう一度手を振ってホームを後にしました。

 

 

今日もご訪問ありがとうございます。


アレッ?黙秘モード?

2022-12-06 | 実母の事

一昨日の日曜日、母が来ました。

認知症が進んだ母を看る日でした。

母は弟を溺愛していて、父の死後は遺産の全部を

弟に相続させました。

私は相続手続きががすべて終わった後、母から聞かされました。

母は私に実印を作ってあげたから持ってきた。

と 木製の実印をくれました。

(後でわかったことですが、この時母は弟には上質な象牙で実印を作っていました。)

帰り際に『実印登録も済んでるから・・・全部○○(弟)の名義にしたから・・・』

と言いました。

『何のこと?』

と聞くと

父の遺産は、母の幼馴染の司法書士のSさんに依頼して全部弟名義にした。

ヨーダの相続放棄の書類をSさんが作ってくくれるとき、実印がいるので作ったから。

と言うことでした。

後でそのことを母から聞かされた父方の伯父たちの話では

○○(ヨーダの父)は難病のお前をいつも心配して

ヨーダが田舎に帰りたくなった時は、小さな家でも建ててやらんといかん。

宅地用とヨーダが作れるくらいの小さな自家菜園用の畑と

ヨーダが入る墓用にヨーダの好きな場所をあてがってやりたい。

と伯父たちに会うたびに言ってくれてたようです。

伯父たちは『お前は本当にそれでええのか?』

と心配してくれました。

 

その頃の私は、自分に遠い未来があるとは思ってもいませんでしたし

母と弟が望むならそれでいいと思いました。

 

母は弟が結婚してからは老後は世話をかけるからと

弟夫婦をいつも特別扱いしていましたが

伯父たちが母に話してくれたこともあって

弟が相続した動産不動産で利益が生じた時には、経費を差し引いた後の金額を

母、弟、ヨーダで3等分するということになりました。

が、高額の利益が生じた時もすべて弟が手にしました。

母は老後の世話をかけるから・・・・と言うばかりでした。

母が全部弟のものにしたいならそれでいいとヨーダは思いました。

弟は『姉貴の分を持って行かんといかん。』と言いながら

半年たっても、一年たっても持って来ないので

私の取り分は、母のものとして

母の老後の役に立ててもらうことにしました。

そんな事情から母の老後のことは、弟夫婦も納得していると思っていました。

 

母の認知症が進んできた一年前に弟から

『お姉もチョットは婆さんの面倒見てくれえ!』と

いきなり、かなり強く言われた時は(この時弟夫婦は喧嘩してたみたいですが・・)

ちょっとびっくりしました。

 

そんな訳で私も母との時間を過ごすことが出来るようになりました。

それまでは母に会いに行っても、いつも弟嫁の機嫌が悪いので長居もできませんでした。

親戚達からは、あの嫁さんはプライドが高くてなかなか難しいから

お母さんのことではヨーダは手出しも口出しもせんほうがええ

と言われていました。

昔から小姑鬼千匹と言いますが、『夫の姉は目の上のたん瘤』と言い切る知人もいます。(笑)

 

弟嫁は介護関係の仕事で、母の世話もプロの考えで手配しやってくれています。

有難いことです。

 

前置きが長くなりましたが

そんな訳で母と過ごせる時間が増えました。

弟は母は朝食に一時間以上かかるから(うちでは25分くらいです。)

朝食も姉貴に頼むと言って

いつもは朝5:30頃、母を連れてくるのですが

寒波が来て寒そうだったので、今回は朝食を済ませ8時ごろに来てもらいました。

母によく来てくれたね、と言うと少し笑顔がでます。

うちに来ると母は自由に過ごします。

疲れたので寝ると言って、入るなり横になってお昼近くまで寝ました。

途中1回トイレに起こし、寒くないように気を付けました。

母は毎日デイケアに通っていて、ショートスティの日もあるようです。

母は猫かぶり的な所があるので外ではすごくいい顔をします。

毎日の通所はどんなにか疲れることでしょう。

正気の時には

毎日毎日行くのも疲れる、一日中家でゆっくりしたい。

と言ったりもします。

 

昼食は、家族が母の好きなブリを買ってきてくれ

凄く新鮮で、母もブリが美味しいとたくさん食べました。

気分が良かったのか他のおかず沢山食べました。

 

昼食前にトイレに誘ったのですが

今は行きたくないと言うので食後に連れて行ったら

大、小、両方らしていました。

シャワーで綺麗にしてあげたので

母は気持ちよくなったと言ってくれましたが

4~5年前までシャンとしていたた母を思い出すと

何だか哀れで涙がでそうになりました。

 

弟夫婦は、母は何も覚えてないし何もわからん。

と言います。

意識は不安定になっても魂ではわかっているはず。

最後まであきらめずに母が気持ちよく過ごせる

環境、食事、言葉で寄り添いたいと思います。

 

一つ困っているのは

いつ母が黙秘モードに入るのかわからないことです。

母が元気な時は、自分の家では用事以外は

ほとんど話をしないようでした。

 

母、弟、弟嫁の3人でいる時

弟と弟嫁が話している話題に母が加わると、弟嫁は途端にしゃべらなくなるそうで

嫁姑のゴタゴタが起きないようにうちではほとんど話しをしない。

○○(弟)は嫁姑の間に入って仲裁はようせんから

悩ましたら可哀想だから。

と母は言っていました。

 

 

その反動か、リラックスしてるのか

うちではよくしゃべって、よく笑って、いつでも自由にしていました。

認知症が進むまでは 

自宅黙秘モードと

ヨーダの家自由モードを

上手に切り替えていたようです。

ところが、最近うちにいる時も

黙秘モードと思われるような反応の時が時々あるのです。

よくよく気を付けて母の様子を見ていると

時々ごちゃごちゃになっているようですが

 

『おばあちゃん』と呼んだら 黙秘モード?

『お母さん』と呼んだら 自由モードかな?

 

『ブリ美味しかった?』『おやつはなにがいい?』『紅葉した楓が綺麗やけど見に行く?』

のような話しかけには 自由モード

 

嫁には 黙秘モード

娘には自由モード

と上手く切り替えていたのではないかと思います。

 

 

認知症になる前の母、祖母が良くお参りに行った龍王宮に弟たちと参拝の時の母

足腰丈夫でしたが骨粗鬆症なので参道の長い階段で転ばないよう

念のために杖を持たされています。

 

 

母はお洒落で、年をとってもいつも身ぎれいにしていました。

いつまでも老け込まないでほしいから

私は母のことを『おばあちゃん』とは呼ばずに

いつも『お母さん』と呼んでいたのに

弟たちにつられて最近は『おばあちゃん』と呼んだりしていました。

記憶が薄れ、記憶を取りだしてくるのが難しくなっている母を

余計に混乱させてしまったかもしれません。

 

それに気が付いてからは

『おばあちゃん』と呼ばないよう気を付けています。

 

 

私のブログを読んで下さっている方は

母には小さい時から弟と差別され、粗末に扱われ、邪険にされ

虐待に近い扱いを受けたのに

どうして母に穏やかでいられるのか

不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

ヨーダは幼い時から祖母に色々なことを学びました。

祖母は幼い私に

人には生まれ性、生まれあわせと言うものがあって

ヨーダはおそらく、あかの他人さまから頂くものが多くて

親からのもらいは少ないかもしれないよ

と言うような話を繰り返し聞かせてくれたことが

今でも強く心に残っています。

 

祖母と父から有り余るほどの愛情を受けたせいか

母に冷たくされても

ヨーダはこれもヨーダの生まれあわせと感じ

負の感情を抱くことは有りませんでした。

幼い頃は寂しく思ったことは有ります。

ヨーダが難病になって母もつらかったと思います。

 

 

祖母が言ったように、ヨーダは血縁でも親戚でもない方々に

助けて頂いたり、親切にして頂いたことが、数えきれないほどあります。

感謝の気持ちは持っていても

元気になるまで何のお返しもできませんでした。

今は手の届かないところに旅立たれた方も・・・

ヨーダがみんなから頂いた愛を

この世に居られるうちに少しでもどこかにお返ししたいのです。

母の人生の最後の時期も、全力で支えてあげたいのです。

そんな機会をくれた弟夫婦に感謝しています。

 

今日はだらだらと思いつくままに書いてしまいました。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。

 

 

 

 

 


母と一緒の日 ⑵

2022-09-06 | 実母の事

母と一緒の日 ⑴ の続きです。

 

母と一緒の日 ⑴ - ヨーダ(工房 銀嶺)

8月は母に来てもらうことが出来ませんでした。と言うのもすぐ近くで(お店で)コロナのクラスターが発生し仕事関係でうちに来られる方々が良く利用していたお店だったのとそれ...

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朝食をしっかり食べ、嫌いなものは『いらん!』

と言う母を見て弟はヨーダが取り繕ってウソを言っていたのではないことが解り

少し気落ちした様子で

『夕方6時ごろ迎えに来る、晩御飯は帰ってから家で食べさせるから

それまで頼むわぁ~。』と帰って行きました。

母は朝食後『眠たい』と言ってソファーで少し横になりました。

 

 

その後、遠くに住む家族にお願してスカイプで母と話してもらいました。

この家族はいつも愛をもって母に接してくれるので

母も気分よく色々話すことが出来ました。

Skypeの後、母の目は生き生きしています。

弟はなぜか遠くに住むこの家族だけには

田舎で作っている畑の様子をLineしています。

そのLineの写真を母に見せてあげるようにと転送してくれました。

 

田舎の畑の写真をPCで大きくして見せてあげると

母の顔が笑顔になります。

  母 『まあ懐かしい! ここは中○○やねえ。』

ヨーダ 『そうよ、○○ちゃん(弟)が綺麗に畑を作ってるよ。』

  母 『ナスも瓜もジャガイモもキビ(トウモロコシ)もスイカも

     お母さんが作りよったのとおんなじ物を植えたがやねえ。』

     これはイチゴの葉っぱじゃないかねえ?

     ようできたろうか?』

 

ヨーダ 『今は暑いから、涼しくなったら連れて行ってもらおうか?』

  母 『行けるならもう1回行ってみたい。』

 

 

弟夫婦は、母はもう何にも認識できなくなって、話しかけてもその内容を理解できなくなっている。何を聞いても一切返事もせず、動きもせずじっとして何もしゃべらずお地蔵さんと一緒。

といつも言ってますが。

私にはそんな風には見えません。

 

母がまだ足腰達者な頃、外出中に一度道に迷ったことから、弟夫婦に外出を禁止され。

私が空いている時は、いつもうちに来ていたのに来れなくなりました。

なのでヨーダが2週間に一回は母に会いに行くようになりました。

もっと行きたい気持ちはありましたが

弟嫁はいつも不機嫌で、ヨーダは母の好物を多めに持って行き

『みんなで食べてね』と手渡してきても

次に行くと手も付けられていないので

段々行き辛くなり、それでも母が楽しみにしてくれているので

弟嫁の不機嫌には気づかないふりをして通っていました。

 

弟嫁はよく気の付く人で母が元気な時は私との間も問題なくスムーズにいっていました。

弟嫁を悪く思った事はありません。

ただ、嫁姑間のことでは見てはいけないような場面に遭遇したこともありましたが

ヨーダの父は婿養子なので

ヨーダは嫁姑の微妙な関係が理解できず

深刻にとらえることが出来ていませんでした。

母も姑としての学びは全くなく姑若葉マークでした。

 

母が足腰達者な時は、歌好きの母の為にカラオケに行ってました。

母は芸事が大好き。

若い頃は剣舞もやっていました。

歌も、演歌、歌謡曲はこぶしを回して上手に歌います。

歌はヨーダより上手です。

母の誕生日には少し日をずらして(弟の家と重ならないように)

母の好物を一緒に食べて家族でお祝いし、必ずカラオケに行っていました。

先日は母の誕生日だったのですが

弟が母の携帯を解約したのと

固定電話はとるなと言われているので(オレオレ詐欺を警戒してのようです)

おめでとうを言いそびれてしまいました。

なので、今回家族で軽くお祝いの昼食の後

家カラオケをしました。

コロナ事情やらで長い間行ってないのと、家では全くしゃべらないという母は

好きな歌の歌詞は全部覚えていたのに怪しくなっていました。

まずは童謡から発声練習

何度か歌っているうちに

最初は蚊の鳴くような声しか出なかったのが

しっかり歌えるようになりました。

母の好きな演歌を何曲か歌い、シャキッとしていたころのような表情になりました。

持病もあるので歌いすぎて疲れてはいけないので。

『疲れすぎはいかんから、また今度来た時、一緒に歌おうね。』

と言うと

晴れやかな表情で

『そうやね。』と満足してくれたようです。

 

その後私がちょっと用事を済ます間

テレビの歌謡ポップスチャンネルをつけていたら丁度

懐メロ演歌をやっていて字幕も出るので母もじっと見ていました。

 

夕方になって、弟が迎えに来ました。

母の様子を見た弟は朝と同じように

『うちでは全然言うことを聞かんお地蔵さんやに、どうしてここでは、ええこながや・・・?』

と独り言を言いながら母と帰って行きました。

弟が来ると母は何も話さなくなります。

 

 

弟よ

嫁にとっては姑は他人と言い切ったけれど

自分は紛れもなく母の血を濃く受け継いだ

母の最愛の息子。

他人が母にすることと同じことを

決してするなかれ!!

 

 

ここに来てくれた時だけでも

母が心を開いて自由でいられるよう願っています。

 


母と一緒の日 ⑴

2022-09-04 | 実母の事

8月は母に来てもらうことが出来ませんでした。

と言うのもすぐ近くで(お店で)コロナのクラスターが発生し

仕事関係でうちに来られる方々が良く利用していたお店だったのと

それとは別にお隣の方がコロナ陽性者の濃厚接触者と言うことで

実母は高齢なので念のため預かるのは見合わせました。

 

今日は久々に母が来てくれました。

弟はいつも、母は自分の家では食事もほんの少ししか食べないし、

目をつむったままで食べて1時間以上もかかる。と言い

ヨーダはうちではしっかり食べるしそんなに時間もかからないと伝える。

そんな繰り返しが何度もあって

弟夫婦は

ヨーダがウソを言っているのではないかと疑っているようです。

母がボケてヨーダのことも忘れてしまって

ヨーダの家に来てもヨーダのことを認識できず他人の家に来てると思って

猫をかぶって行儀よくふるまっていると思いたかったようです。

弟が、今日は、母が朝食をとる様子を観察するとLineしてきました。

今朝はいつもより3時間遅く8時ごろ弟が母を連れてきました。

母はカフェのモーニング風の朝食が好きなので

レタス、トマト、きゅうり、新サツマイモのサラダ

バナナとぶどうをお皿にきれいに盛り付けて用意し

母が来てからスクランブルエッグとトースト、ミルクティーを作るつもりでした。

出来るまで居間で待ってもらうつもりだったのですが

母は来るとすぐにダイニングテーブルに座り食べ始めたので

ヨーダは慌てて作りました。

母は普通の時間で朝食を終えました。

レタスを残していたので

『レタス食べる?』と聞くと

『レタスはいらん。もう食べたくない。』と答え

他人行儀にお行儀よくしているような感じはありません。

弟は『家と全然違う!  なんでや・・・・・????』と独り言を言っていました。

少し落ち込んでいる弟に追い打ちをかけるようにヨーダは言いました(母には聞こえないように)。

『お母さんは若い頃、霊能者として人助けもしていたから脳は少々ボケていても魂は研ぎ澄まされていて周りの人がどんな気持ちで自分に接してくるのか魂でわかっているのよ。』

 

弟は言いました。

『○○子(弟嫁の名前)はお袋とは他人やし。姉貴と同じように看れるわけがない。

外で介護するなら給料ももらえるけどお袋を見ても一円にもならんと言っている。

お袋は世話してもらってもありがとうも言わん。それどころか、○○子が怒ると、その位のことはわかっているわ と口答えするし・・』と

 

ずいぶん前に、将来看てもらうことになるからと

母は何千万円ものお金を、弟夫婦に渡しています。

ふたりはそんなことはもう忘れてしまっているようです。

 

ヨーダは思いました。

介護するほうは大変だと思いますが、介護されるほうも嫁に嫌々介護されて

自分の失敗を大げさに息子に告げ口をされ息子夫婦に激しく怒られて(叱るではなく 怒るです。)は

立つ瀬がないのでは?

そんな状況の中でありがとうと言えるだろうか。と

弟に話しても理解はしてくれないだろうと。

 

 

弟がポツリと言いました。

『○○子(弟嫁の名前)がお袋の失敗を俺に超大げさに言いつけていたことがわかった。』と。

 

弟よ!

今頃、気付いたのか。

気付かないよりはいいけど、遅すぎるよ~!

 

 

母はゆっくりですが自分で歩けるし

紙おむつを着けられていますが、トイレも自分で出来ます。

ヨーダの家でトイレの失敗は一度もありません。

 

 

 

母の姉が長きにわたり運命学を勉強していて

『○○ちゃん(母の名前)、私は○○ちゃんのことが心配でたまらず言うんだけど、お金や不動産は最後に渡したほうがいいよ。』

と母にアドバイスしたことがありました。

今思うと母の今の状態を予見していたのでしょう。

 

母の頭がが正常な時に突っ込んだ話をすると

母はいつも言います。

『○○(弟の名前)をあんな風にに育てたのはお母さんやから、全部お母さんが悪いのよ』と。

ふたりの関係が円満にいくように、ヨーダが出来ることはしてあげたいけれど・・・

母と弟の間にヨーダが入る余地はありません。

 

弟よ

これほど溺愛されているのだから母の気持ちを解ってあげて!!

 

弟よ

嫁がどう言おうと、母に関する事は嫁のの指示を仰がずに自分で考えて!!

 

 

 

 

・・・・続く・・・・


 母が、家族がビックリ仰天した日

2022-06-18 | 実母の事

紫陽花の花が咲くころに思い出すことがあります。

あれは、ヨーダが小学生の頃

紫陽花の花が咲く前か後くらいの季節だったような記憶があります。

その頃のヨーダ一家は、秘境と言われるほどの山の中の

小さな集落で暮していました。

なが~く続く庭に、その年初めて咲いた花は

花びらが薄い和紙のような

淡い赤色の綺麗な洋風の花でした。

茎の先ははU字型に曲がり重そうにつぼみが垂れ下がっていて

その茎がまっすぐになると綺麗に開花します。

 

隣近所(と言っても距離がありますが)のおばさんたちも

花好きの人が多く庭に綺麗な花を咲かせていましたが

ササユリや紫陽花や和風の花が多かったように思います。

前の年植えて咲くのを楽しみにしていた花好きの母に

今年は見たこともない花が咲くと何度も聞かされ

ワクワクしながら待っていました。

最初の開花は5~6輪、次々にたくさんの花が咲いた庭は

外国のおとぎ話の絵本のようでした。

近所の人や少し離れたところの人たちも

母が咲かせた花を見に来てくれて

母は得意そうに

自生しているのを見つけて種を持ち帰り植えたら

綺麗に咲いてくれた。

沢山咲いたから欲しい方には種をあげるつもり、と言うようなことを話していました。

それからしばらく後に村に一つだけある駐在所から

お巡りさんが来ました。

不安な気持ちで家族が見守る中

母は緊張のあまりしどろもどろで

花を見に来てくれた人たちにした話を

甲高い声(ふつうは低音)でオウムのように繰り返していました。

その後のお巡りさんの話を聞くと

母の自慢の花は『ケシ』という名前の花で

アヘンの原料なので法律で栽培は禁止されている。

少しだけなら注意勧告くらいで穏便にしたいが

これだけ大量に栽培してるし公然と知られているので

出頭してもらって事情を聞く必要があるが

初めてのことでもあるし始末書で。

ということになったようでした。

 

綺麗なケシの花畑は沢山のつぼみを残したまま

無残にも全部引き抜かれてしまいました。

焼却しなければいけないとのことで

山積みになったケシは畑で焼かれました。

 

母は役場、銀行の類が超苦手で

公的文章など書いたことがなかったと思います。

 

母は何度も『あ~あ~!気が狂いそう・・・』と独り言を言いながらも

始末書と格闘し書きあげ提出し一件落着となりました。

 

そんなことがあったせいか、ケシの花が咲き誇るあの美しい光景は

今も私の記憶に鮮やかです。

 

ケシの花園は記憶の中だけですが

母の好きな紫蘭の花もたくさん咲いていました。

 

 

 

 


お母さんありがとう!ここでは自由にしてね。

2022-05-09 | 実母の事

昨日は母の日でした。

認知症になった実母を預かる日でした。

母は弟夫婦と同居、日曜日以外はデイサービスに通所です。

土、日も月に何回かはショートステイで介護施設で宿泊です。

朝五時半前に弟が母を連れてきました。

『よく来てくれたね、入って。』と声をかけると

笑顔で入ってきました。

弟は、糖尿だから甘いものを食べさせるなと言い残して行きました。

 

家に入ると弟嫁からも

母のことでLineが来ていました。

糖尿病なので低カロリーでいいです。と

 

私は母の日に母を預かれることになってよかったと思いました。

 

あんまり早く起きたので寝たいと言う母を7時半まで寝かせました。

朝食はパンとご飯のどちらがいいか聞くとパンがいいと言うので

 

〇 天然酵母の山形食パンを半分に切り

  半分はチーズトーストに、半分は四つ葉のバターでバタートーストに

  バタートーストには蜂蜜を塗るのが母の好みですが

  弟が甘いものはダメと言ったので蜂蜜はやめました。

  弟嫁からのLineがあったので目玉焼きもやめました。

 

〇 見た目を美しく盛りつけた生野菜サラダ

 

〇 綺麗なオレンジ色の清見タンゴール1個

  (有機バナナ半分と清見タンゴール半分を切って綺麗に盛り付けていたのですが

  『バナナはいらん。』と言うので清見タンゴールを一個にしました。)

 

〇 母の大好きなミルクティーはひしわ園の有機紅茶とよつ葉のスキムミルクで

  母の好きな華やかな色使いのティーカップに入れました

 

全部を白いプレートに乗せて喫茶店のモーニングっぽくしました。

 

見たとたんに母の瞳が生き生きしてきました。

 

弟は母の食が細くなってもっと食べるようにいくら言っても、母は食べないで

弟夫婦の目を盗んでゴミ箱に捨てるから頭にくる。と言っていましたが

喫茶店のモーニング風の朝食はほとんど食べました。

ミルクティーも美味しいとあっという間に飲みました。

だたートーストは半分くらい残したので、

満腹か聞いてみると

『これ(バタートースト)はあんまりおいしくない』と言いました。

母はバター蜂蜜トーストが好きなのに

薄くでもぬってあげればよかったと思いました。

母のいつもの朝食は家族と同じご飯に味噌汁の和食です。

でも母は本当は喫茶店のモーニングメニューのような

お洒落な朝食が大好きなんです。

 

 

母は自分の家では自己主張しません。

母が自分の考えを主張し嫁がそれを気に入らなければ

弟が板挟みになって困るから弟が可哀想だと思っているからです。

母は家では気に染まないことがあっても感情を押し殺して何も言いません。

そうなんです。母は弟を溺愛しています。

認知症になった今でも、何が何でも弟のそばに居て守ってやりたいのです。

何よりも弟が一番大事なのです。

弟しか目に入らないので、昔から私には無関心です。

なので、ストレートにものを言う母は私には思った事をそのまま話します。

蜂蜜を塗っていないバタートーストは少し食べて

『これはあんまりおいしくない』と私に言います。(笑)

同じ状況だったとしても弟嫁には決して言わないと思います。

以前は母に対して弟と私の扱いの違いに感情的になり

母には精神的には近寄りたくなかったのですが

今の母の状況を知るにつけ

私の家では自由でいてほしいと思います。

母の心に寄り添ってあげたいと思います。

今日は母の好きにさせてあげようと思いました。

 

昼食は母の好きなブリのお刺身メインにして

夜は遠くに住む家族が最近買ってきてくれた

タコ焼き機で器用な母にも一緒に焼いてもらって

たこ焼きパーティーでもしたらどうかと考えていた時

もう一人の遠くに住む家族からSkypeが来ました。

母と話してもらっていると

何と母が

『たこ焼きは好きじゃない!』と話しているではありませんか!

立ち聞きしていると

『お寿司は大好き』

『しばらく食べてないけどプリンも美味しいねえ。』

と食べ物の話をしていました。

おっとっと!

母がたこ焼き嫌いなこと忘れてた!

聞けて良かった。

 

ということで

 

昼食は

家族が新鮮なブリを買ってきてくれました。

油がのってすごく美味しいブリのお刺身メインで

母の好きなお惣菜も作りました。

 

おやつは

少し小さめのプリン(母の通尿病を考慮して小さめにしました。)

母は、これは美味しいねえ。

と 喜んで食べました。

 

夕食も家族が美味しい握り寿しを買いに行ってくれました。

新鮮なネタの握りずしと再びブリのお刺身、手作りのお惣菜。

 

朝、昼、好きなものは母の食も進みました。

弟夫婦は母は認知症で何もかもわからなくなっているし

食事もほんの少ししか食べないと言いますが

うちでは食事の時も母は普通に家族と話しながらよく食べました。

朝、昼しっかり食べたせいか、夜は少なめでしたが量的には充分だと思います。

 

おやつの前に母の姿が見えなくなって、びっくりして探したら

家族の仕事場の椅子にポツンと座っていました。

私を見て『ここは居りやすい・・』と一言

(方言で居心地がいいというような意味)

仕事場には母の好むものが沢山あります。

認知症になったからと言ってすべてを忘れてしまうわけではなく

自分が好んだ物たちに囲まれていると落ち着くのだろうな

と思いました。

急いで居間に連れ戻さず、あの場所でもう少しゆっくりしてもらえばよかった

と後から思いました。

 

自分の家ではほとんど話さないそうで、お地蔵さんと言われている母ですが

色いろ話してくれました。

認知症がもっと進行すると私のことも忘れてしまうのでしょうか?

ちょっと切ない気がします。

家族の協力を得て母の足腰が丈夫な時に母の行きたい所や

私が連れて行きたい所に行き

母が興味を示す物、食、店 他 いつも一緒に行っていたので

後悔はないと思っていました。

今は母がこれから先なるべく穏やかでいられるよう

母を預かる日を増やしたいと思っています。

母が今日、私に言いました。

『ヨーダちゃん、お母さんが危篤の知らせがいったら、すぐに来てよ。

間に合わんかったら仕方ないけど、会えるものなら

この世の最後にもう一回会いたい。

死んだと知らせがいったら慌ててこんでも(来なくても)もいいから。』

私は『わかった。』

と答えました。

 

夕方7時ごろ弟が迎えに来ました。

庭で育てたバラやほかの花を小さな花束にして

『お母さんいつもありがとう。』

母に持たせました。

母が帰った後

 

弟夫婦と母の円満を祈りました。

 

母の日に母が来てくれてよかったと心から思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


春なのに涙がこぼれそう・・・

2022-04-03 | 実母の事

先日、実母の顔を見に家族と一緒に実母の家に行きました。

実母は年老いて認知症と診断されています。

弟夫婦と同居で主に弟嫁が面倒見てくれています。

トイレ、食事などは自分で出来ますが

お風呂は週6日通所している介護施設で入ってくるようです。

 

弟嫁がコロナワクチン接種後体調を崩したと聞いていたので

○○さん体調はどう? と問いかけると

ワクチンのせいもあるけど、うちにはストレスマシン(実母の事のようです)がいるからね。

という返事。

絶句して涙がこぼれそうになりました。

気持ちを立て直して

いつもお世話かけてるのね。ありがとう。 というのがやっとでした。

弟嫁は続けて ○○さん(弟の名前)は何の役にも立たないからね。

と言いました。

弟の家の中はどうなっているのでしょうか?

弟嫁は実母の食事も身の回りのこともきっちりやってくれていますが

私には上から目線です。

私が口出し手出しをすると

それなら姑を連れて帰れ と言われることは目に見えています。

弟を溺愛しすべてを弟に捧げて生きてきた母にとっては

弟のそばを離れるのは死ぬよりつらいことでしょう。

その弟はと言うと

どうしていいかわからなくて苦悩したことでしょうが

今は休日はいつも子供時代に暮らした田舎で過ごしています。

精神的に逃げて見いるようにも見えます。

実母を週6日デイサービスに通所させ

1ケ月に2~3回は土日宿泊できる介護施設にお願しているようです。

実母のことは認知症でボケてしまって何もしゃべらないし動きもせずお地蔵さんと同じ

と弟夫婦は言ってます。

 

弟の家を訪ねるといつも弟嫁が真っ先に

私を指さし この人だれ?と聞き

実母が ヨーダちゃん と答えると

この人とはどういう関係?と聞き

実母が 私の娘 と答えると(この辺から実母はイラついた表情)

娘の名前は誰? と聞くと

実母は 知らん! と答えます。

私には弟嫁の実母を見下すような表情と小ばかにしたような言い回しが

実母の逆鱗に触れているのがわかりますが

弟嫁は 自分の娘の名前も忘れるくらい認知症が進んだのだと私に言います。

 

今日は日曜日なので実母を預かる約束でした。

午前5:30位に弟が実母を私に預けに来ました。

お迎えは午後8時頃のようです。

今朝、玄関で実母に 

今日はよく来てくれたね。来てくれてありがとう。 と言うと

満面の笑みを浮かべて入ってきました。

話をしてみると、忘れてしまっていることも多いですが

何もかもわからないほどではありませんでした。

記憶を引き出すのに時間がかかりますが

誘導すると色々思い出せるようです。

実母は弟嫁のことは腹に据えかねることもあるようですが

そこで実母が指摘すると弟(母にとっては息子)が板挟みになるから

耐えていると言います。

嫁姑のことは当事者同士にしかわからないことも多いと思いますが

実母は明らかに弟嫁から言葉の暴力を受けていると思います。

次に実母がこう言いました。

あの広い家に家族はいるけれど、お母さんは自分の部屋でいつも独りぼっちよ。

家に帰ってもだれとも話もせずあのへやでずっと一人よ。

寂しくて寂しくてたまらないけど、これがお母さんの運命だから仕方がないね。 と。

私は問いかけました。

それでも、○○(弟)と一緒の家で暮すのが幸せ?

実母は答えました。

○○(弟)と一緒が一番いいね。

春なのに、こんなにも綺麗な青空を見上げながら涙がこぼれます。

 

 

これから、近くのまだ満開の桜を見ながら実母と散歩しようと思います。