ローズマリー(ヨーダ改め)

人形制作、大自然の恵みを頂いての手作り、日々の暮らしなど発信していきたいと思います。

ありがとうございました

2022-12-31 | 日記

今年の春から始めたヨーダのブログに

ご訪問下さった方々に心より感謝申し上げます。

 

年越しそばを食べて、新年を待つばかりのヨーダは

お年玉の準備をしています。

来年のお年玉はlyraさんのポチ袋に入れます。

 

マルシェル(Marchel) | lyra296さんの商品一覧

マルシェル(Marchel) | lyra296さんの商品一覧 | 和紙を用いてぽち袋を制作しています 日本風が好きなちょっぴり古風な昭和育ちです

 

 

すごくかわいくて見てるだけで嬉しくなります。

喜んでもらえそうな予感。

 

お忙しい中、ご訪問ありがとうございます。


ドアを開けたら・・・

2022-12-23 | 好きなもの

ドアを開けたら・・・・・雪・・で・・し・・た。

胸がきゅんとなりました。

一瞬でハートを撃ち抜かれました。

心は幼い頃暮らした山里に一気にフラッシュバック!

 

 

今朝の玄関

この地に雪が降ることも、積もることも、稀なことです。

観測史上最大の積雪とニュースで流れています。

 

 

 

 

子どもの頃暮らした山郷は、豪雪地帯でした。

豪雪地帯での生活が、大人たちにとって大変だったことも

子ども心に感じていました。

 

県道は自衛隊が除雪してくれても、次の日はまたひどい積雪で

毎日の積雪では休校にもならず

県道までの地域道は、地元の方たちが雪かきでを通路を作ってくれ

通路の両側には、子どもの背丈よりも高く雪が積み上げられていました。

あんな事、こんな事、全て鮮やかに、洪水のように思い出があふれ出てきます。

 

 

やっぱり、雪が好き!

真っ白な雪の中にたたずむと、心の中まで浄化されるような気がして

心癒され、大げさなようですがすべてがリセットされるような

すがすがしい気持ちになれるのです。

 

降り積もる雪が醸し出す、音のない世界が好き !

全ての音を包み込んでくれる静謐な純白の世界は

無音よりも、もっと静寂・・

その静寂の中に身を置くと

心も体も清浄され、広い宇宙の真ん中にたった一人漂っているような

離脱感すら覚え、その孤独感も心地よいのです。

 

 

 

家の前の公園に親子連れ

この雪景色を撮った後、楽しそうに雪合戦をしていました。

柔らかく綿をちぎったような雪は、後から、後から静かに降り積もります。

まるで雪国のように・・・

 

 

 

 

四季咲きのオールドローズ、今朝は雪に埋まってしまいました。

花の雪を祓ったのですが、雪の重みで枝がたれてしまっています。

 

 

今日もご訪問ありがとうございます。

寒さで体調を崩されませんように・・

お元気にお過ごしくださいね

 


今年最後かな?森林浴&冬の空

2022-12-17 | 健康のために

今年最後になると思いますが

最強寒波が来る前に、幸運の森に行ってきました。

市街地よりはぐっと気温が下がります。

 

登り口にある民家の庭に続く植木の紅葉がまだ少し残っています。

 

 

 

 

これは何の実?

 

 

 

 

登っていくと、気持ちいい! 森が好き!

ここに来るといつも田舎で暮らしたいと思う。

 

 

ヤマガラもおじさんたちに餌をったっぷりもらった後のようで

ヨーダを見てもいつものようにワッとよってきません。

すぐ近くに行っても逃げません。可愛い。

 

 

 

 

今は水ががほとんど流れていない小さな谷川には、いろんな植物が育っています。

山中で見かけるホトトギスは小さな花を咲かせていましたが

谷が風よけになっているのかここのは花も大振りです。

ホトトギスから儚さを連想してしまいますが、葉っぱもしっかり大きいです。

 

 

 

 

 

冬の日没近くの空はちょっと寂し気。でもこの空が好き。

 

 

 

今日も見て頂いてありがとうございます。

      

 

 

 

 

 


不思議な感覚です & 紅葉

2022-12-12 | 日記

今日の午前中の空です。

太陽が輝いているのに

帯状に伸びている雲の起点からも光が広がっているような。

不思議・・・不思議な感覚。

全てが必然ならこれも何かのメッセージ?

 

 

 

 

 

 

家のそばの公園、地面は落ち葉のじゅうたんが敷き詰められたように見えます

太陽の光を浴びて、輝いて見える紅葉も終盤。

 

 

 

 

これは何の木?名前を忘れてしまったけど・・・

紅葉やこの赤い実を見ると、子供の頃の山里の秋を思い出してノスタルジックな気持ちに・・・

 

 

 

今日もご訪問ありがとうございます。

 

 

 

 


約束したけれど・・・&空

2022-12-10 | 義母

2年前に旅立った義母は

情報通、政治経済に詳しく、国際情勢にも敏感でした。

国会中継は必ず見ていて

義母と一緒に過ごす時は

今の日本の政治家たちや、政索についてどう思うか聞かれ

そういうことに疎いヨーダはいつも冷や汗ものでした。

その他にも色々なことを教えてもらってすごく勉強になりました。

食については事細かにアドバイスをしてくれました。

そのうちの一つは、中国から輸入された食品は

極めてリスクが高いから、絶対に食べないように。

『ヨーダちゃんはウナギが好きでしょ、中国から輸入しているのは危ないから

絶対に食べてはだめよ。絶対に食べないと約束してね。(外国生まれ、外国育ちの義母は幼いころから標準語だったそうで、たまに方言も交じりますが、とてもきれいな言葉とイントネーションでした。)』

と心配してくれて

ヨーダも『絶対に食べんから。』と約束したのに。

国産ウナギの高騰に加え、コロナ禍で家計は節約中。

ショッピングモールに買い物にった時

どうしてもウナギが食べたくなって

お値段から国産ではない中国産かな?と思いつつ、食べてしまいました。

おかあさん、約束破ってごめんなさい。

 

ウナギはすごく久しぶりだったので、美味しくいただきました。

これを食べたら、四万十川の天然ウナギが食べたくなりました。

お手頃価格で提供して下さるお店は

庶民にとってはありがたいことです。

でも、やっぱり違いは歴然!

四万十川の天然ウナギを食べるために、もうひと頑張りしましょ!

 

 

ウロコ雲、空いっぱいのウロコ雲は久しぶりかも?

 

 

 

 

今日も見て下さってありがとうございます。

 


アレッ?黙秘モード?

2022-12-06 | 実母の事

一昨日の日曜日、母が来ました。

認知症が進んだ母を看る日でした。

母は弟を溺愛していて、父の死後は遺産の全部を

弟に相続させました。

私は相続手続きががすべて終わった後、母から聞かされました。

母は私に実印を作ってあげたから持ってきた。

と 木製の実印をくれました。

(後でわかったことですが、この時母は弟には上質な象牙で実印を作っていました。)

帰り際に『実印登録も済んでるから・・・全部○○(弟)の名義にしたから・・・』

と言いました。

『何のこと?』

と聞くと

父の遺産は、母の幼馴染の司法書士のSさんに依頼して全部弟名義にした。

ヨーダの相続放棄の書類をSさんが作ってくくれるとき、実印がいるので作ったから。

と言うことでした。

後でそのことを母から聞かされた父方の伯父たちの話では

○○(ヨーダの父)は難病のお前をいつも心配して

ヨーダが田舎に帰りたくなった時は、小さな家でも建ててやらんといかん。

宅地用とヨーダが作れるくらいの小さな自家菜園用の畑と

ヨーダが入る墓用にヨーダの好きな場所をあてがってやりたい。

と伯父たちに会うたびに言ってくれてたようです。

伯父たちは『お前は本当にそれでええのか?』

と心配してくれました。

 

その頃の私は、自分に遠い未来があるとは思ってもいませんでしたし

母と弟が望むならそれでいいと思いました。

 

母は弟が結婚してからは老後は世話をかけるからと

弟夫婦をいつも特別扱いしていましたが

伯父たちが母に話してくれたこともあって

弟が相続した動産不動産で利益が生じた時には、経費を差し引いた後の金額を

母、弟、ヨーダで3等分するということになりました。

が、高額の利益が生じた時もすべて弟が手にしました。

母は老後の世話をかけるから・・・・と言うばかりでした。

母が全部弟のものにしたいならそれでいいとヨーダは思いました。

弟は『姉貴の分を持って行かんといかん。』と言いながら

半年たっても、一年たっても持って来ないので

私の取り分は、母のものとして

母の老後の役に立ててもらうことにしました。

そんな事情から母の老後のことは、弟夫婦も納得していると思っていました。

 

母の認知症が進んできた一年前に弟から

『お姉もチョットは婆さんの面倒見てくれえ!』と

いきなり、かなり強く言われた時は(この時弟夫婦は喧嘩してたみたいですが・・)

ちょっとびっくりしました。

 

そんな訳で私も母との時間を過ごすことが出来るようになりました。

それまでは母に会いに行っても、いつも弟嫁の機嫌が悪いので長居もできませんでした。

親戚達からは、あの嫁さんはプライドが高くてなかなか難しいから

お母さんのことではヨーダは手出しも口出しもせんほうがええ

と言われていました。

昔から小姑鬼千匹と言いますが、『夫の姉は目の上のたん瘤』と言い切る知人もいます。(笑)

 

弟嫁は介護関係の仕事で、母の世話もプロの考えで手配しやってくれています。

有難いことです。

 

前置きが長くなりましたが

そんな訳で母と過ごせる時間が増えました。

弟は母は朝食に一時間以上かかるから(うちでは25分くらいです。)

朝食も姉貴に頼むと言って

いつもは朝5:30頃、母を連れてくるのですが

寒波が来て寒そうだったので、今回は朝食を済ませ8時ごろに来てもらいました。

母によく来てくれたね、と言うと少し笑顔がでます。

うちに来ると母は自由に過ごします。

疲れたので寝ると言って、入るなり横になってお昼近くまで寝ました。

途中1回トイレに起こし、寒くないように気を付けました。

母は毎日デイケアに通っていて、ショートスティの日もあるようです。

母は猫かぶり的な所があるので外ではすごくいい顔をします。

毎日の通所はどんなにか疲れることでしょう。

正気の時には

毎日毎日行くのも疲れる、一日中家でゆっくりしたい。

と言ったりもします。

 

昼食は、家族が母の好きなブリを買ってきてくれ

凄く新鮮で、母もブリが美味しいとたくさん食べました。

気分が良かったのか他のおかず沢山食べました。

 

昼食前にトイレに誘ったのですが

今は行きたくないと言うので食後に連れて行ったら

大、小、両方らしていました。

シャワーで綺麗にしてあげたので

母は気持ちよくなったと言ってくれましたが

4~5年前までシャンとしていたた母を思い出すと

何だか哀れで涙がでそうになりました。

 

弟夫婦は、母は何も覚えてないし何もわからん。

と言います。

意識は不安定になっても魂ではわかっているはず。

最後まであきらめずに母が気持ちよく過ごせる

環境、食事、言葉で寄り添いたいと思います。

 

一つ困っているのは

いつ母が黙秘モードに入るのかわからないことです。

母が元気な時は、自分の家では用事以外は

ほとんど話をしないようでした。

 

母、弟、弟嫁の3人でいる時

弟と弟嫁が話している話題に母が加わると、弟嫁は途端にしゃべらなくなるそうで

嫁姑のゴタゴタが起きないようにうちではほとんど話しをしない。

○○(弟)は嫁姑の間に入って仲裁はようせんから

悩ましたら可哀想だから。

と母は言っていました。

 

 

その反動か、リラックスしてるのか

うちではよくしゃべって、よく笑って、いつでも自由にしていました。

認知症が進むまでは 

自宅黙秘モードと

ヨーダの家自由モードを

上手に切り替えていたようです。

ところが、最近うちにいる時も

黙秘モードと思われるような反応の時が時々あるのです。

よくよく気を付けて母の様子を見ていると

時々ごちゃごちゃになっているようですが

 

『おばあちゃん』と呼んだら 黙秘モード?

『お母さん』と呼んだら 自由モードかな?

 

『ブリ美味しかった?』『おやつはなにがいい?』『紅葉した楓が綺麗やけど見に行く?』

のような話しかけには 自由モード

 

嫁には 黙秘モード

娘には自由モード

と上手く切り替えていたのではないかと思います。

 

 

認知症になる前の母、祖母が良くお参りに行った龍王宮に弟たちと参拝の時の母

足腰丈夫でしたが骨粗鬆症なので参道の長い階段で転ばないよう

念のために杖を持たされています。

 

 

母はお洒落で、年をとってもいつも身ぎれいにしていました。

いつまでも老け込まないでほしいから

私は母のことを『おばあちゃん』とは呼ばずに

いつも『お母さん』と呼んでいたのに

弟たちにつられて最近は『おばあちゃん』と呼んだりしていました。

記憶が薄れ、記憶を取りだしてくるのが難しくなっている母を

余計に混乱させてしまったかもしれません。

 

それに気が付いてからは

『おばあちゃん』と呼ばないよう気を付けています。

 

 

私のブログを読んで下さっている方は

母には小さい時から弟と差別され、粗末に扱われ、邪険にされ

虐待に近い扱いを受けたのに

どうして母に穏やかでいられるのか

不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

ヨーダは幼い時から祖母に色々なことを学びました。

祖母は幼い私に

人には生まれ性、生まれあわせと言うものがあって

ヨーダはおそらく、あかの他人さまから頂くものが多くて

親からのもらいは少ないかもしれないよ

と言うような話を繰り返し聞かせてくれたことが

今でも強く心に残っています。

 

祖母と父から有り余るほどの愛情を受けたせいか

母に冷たくされても

ヨーダはこれもヨーダの生まれあわせと感じ

負の感情を抱くことは有りませんでした。

幼い頃は寂しく思ったことは有ります。

ヨーダが難病になって母もつらかったと思います。

 

 

祖母が言ったように、ヨーダは血縁でも親戚でもない方々に

助けて頂いたり、親切にして頂いたことが、数えきれないほどあります。

感謝の気持ちは持っていても

元気になるまで何のお返しもできませんでした。

今は手の届かないところに旅立たれた方も・・・

ヨーダがみんなから頂いた愛を

この世に居られるうちに少しでもどこかにお返ししたいのです。

母の人生の最後の時期も、全力で支えてあげたいのです。

そんな機会をくれた弟夫婦に感謝しています。

 

今日はだらだらと思いつくままに書いてしまいました。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。