お昼からは陰になるところなので、ちと暗い。
昨年はいろんな事があり、介護のために部屋の中身を移動させたりしたので
物がどこにあるのか認識できていない。困った…
あとは詰め込んだ納戸の荷物をどのように攻略していくか!なんだけど。
防災グッズを確認しなきゃだわ。そうそう先日、2代目の寝袋を買ったのよ。
今度、寝てみようと思う。
お昼からは陰になるところなので、ちと暗い。
昨年はいろんな事があり、介護のために部屋の中身を移動させたりしたので
物がどこにあるのか認識できていない。困った…
あとは詰め込んだ納戸の荷物をどのように攻略していくか!なんだけど。
防災グッズを確認しなきゃだわ。そうそう先日、2代目の寝袋を買ったのよ。
今度、寝てみようと思う。
お仕事がゴタゴタしておりました。
自分の今後の進退も含め色々と考えておりましたが…
もう少し頑張ることにしました。
昨年末から今年は(まだ3月)特にですが、この世を去られた方が特に多いと思います。
90歳代は歳に不足はない、大往生といえるかもしれません。
その陰で70歳、80歳前後の方が増えていると思います。
明らかに今までと違って看取り件数が多く、休日に救急搬送後…という
ことも多く、その度に弱いですね…疲弊してしまいます。
残されたご家族も様々でいろんなご事情を垣間見る、そのような事が
多々あり何かと考えさせられます。
うちの父の場合、主治医には「胃ろうはしない、DNARはなしで」と伝えておりました。
元気な時に本人には意思を確認しておきました。聞きにくいですけどね。
点滴も止めて自然にと思ったのが私の気持ちです。
ただ、いざとなるとパニックに陥るご家族もいらっしゃると思います。
何とか生かしてほしいと。
難しい問題です。
さて、昨年の医療費の計算をしておりましたら、驚愕の金額ですた。
ベッド代やら差っ引いても!!驚きますた。ハハハ…
金毘羅さんです。
10年は前でしょうか。 春だったんですね~
階段がね、多くて、今はもう無理です。
奥の院にはうっかりして行ってないのですが、また参拝のご縁がありましたらと思っております。
海の香りが漂ってくる神社です。
資生堂パーラー「神椿」が途中にあり、若冲や応挙の貴重なお宝も観られますす。
お参りに行かれる方、ありがとうございます。
お気をつけて^^
(全て過去の写真です)
珍しく元旦から良いお天気です。風は強いです。
昨年末、私は父の介護に明け暮れ
ゆっくり眠れる事など無かったですが
今年はのんびりした年末年始かな~と思っていましたが~!!
31日に訃報が入り、後は連絡網(職員)を駆使し…etc
昨年の恩返しです。
あの時、その後、よく聞かれることがあります。
1.「フルタイムで働きながら親の介護がよく出来た(る)よね」
2.「しかも2人の介護でしょう」
3.「ショートステイや施設入所はしないの?」
1,については、やはり勤務先が医療機関ということが大きいかも
しれません。上司や同僚の理解があってこそだったと思います。
これはもう感謝しかありません。ただ、お昼に帰宅しご飯を用意し
その他諸々こなして、すぐに帰院するという生活で、それはもう
過酷でした。夜も帰宅後すぐに介護から始まりご飯の用意…
そして仕事も忙しく甘くは無かったです。
退職は何度も考えました。ただ自分の老後の事を考えるとそれもできない
し、介護保険一つをとっても、使うと費用がかかります。介護度が高くな
るにつれ負担金増です。悩んでいる方は役所や高齢者支援センターなど
相談に行ってください。医療機関での相談も良いです。
2,母も要介護者ですが、父の様態が悪くなるにつれ私の負担を減らそうと
自分で出来ることを増やしてくれました。頑張った母です。
3.父の入院後はもう家での介護は無理だと判断し、施設に申し込みを
していました。おそらく4か5だろうということで介護度が出れば
すぐに入所出来る予定でした。出来ることなら家で看たいというのが
私の思いではありましたが、現実は理想とは違う。が~~ん!
ショートは母に行ってもらったのですが、至れり尽くせりで
喜んでいました。でもやっぱり家がいいそう。
介護はね、心身共に辛くてキツイ。でもやっぱり自分の親。
行けるところまで行こうと。
あの頃朝はね、黒住宗忠さんをいつも思ってたよ。
私は足元にも及ばないって。当然だけど。
だから、今日も頑張ろうって。
(石上神宮の鶏)
真珠湾攻撃により多くの方がお亡くなりになりました。
安息日だったとは…あまりにも悲しい。
心からお詫び申し上げますとともに
ハワイと米国の方々のご冥福をお祈りいたします。
12月1日、良いお天気の本日、父の納骨を済ませました。
この日は父が昨年、一回目の入院をした日でした。
うちは私の後は後継ぎがいませんので、墓じまい込みの樹木葬を選びました。
母は、肩の荷が降りたわ~でも、寂しい…と。でしょうね。
なんだか家の中がガランとしてしまったようです。
今どきの霊園はバリアフリーで
桶も柄杓も用意されていて、お掃除もされていて綺麗ですね。
お墓で手を合わせたときにするっと出た言葉が
「ありがとう、お父さん」でした。
生前は喧嘩も良くしました。頑固じじぃなので(笑)
彫りが深く男前な父でした。
(残念ながら私は似ていません(´;ω;`)おかめさんかお多福さん、
どっちだろう(笑))
20歳まではとても苦労が多かったけど、面白い武勇伝と、
漫画みたいな体験談が豊富でとても面白い人だった。
不思議な出来事にも度々遭遇した人でした。
そんな父がよく言っていたのは「神様はいる」でした。
その体験は金刀比羅宮の「ふな神さん」や地元のお祭りに関することなど
けっこうな体験談を持っていました。
うそかほんとかわからんけど、面白かったです。
そんな父もあちらに旅立ちもう半年。
あちらで若返り楽しんでくれればいいなと祈っています。
気が付いたら秋、でもまだ暑くてどっち!?
金木犀が香ってきましたがまだ蕾。
父を送り、その後の諸々が大変で…疲れました。
後は荷物の整理ですが、が!!
出来ないんです。
まだ、もう少し時間が必要ですね。
さてさて、旅行も何年も行っていないですが
フォルダを見返していたら色んな所に
行かせていただいているんですよね。
まだまだ行き足りない奈良
石上神宮
もう一度行きたいなぁ~
(数年前の写真)
暑い、ではなくて、熱い だよね。
6月に父が旅立ち、悲しむ時間も無くいろんなことが進んでいきます。
お通夜から始まり、手続きやら何やら、お仏壇まで買い換える事になり…。
49日が過ぎると落ち着いて、「いない」ということを実感し始めるよと、友が言います。
意識がなくなる2週間ほど前から毎日天井を指さし、「あれ、あれ、鵜戸神宮、良かったな…」
見えるの?と聞くと「うん、見える。おまえ、あれが見えんの?」と。
思い返せば父は信心深い人だった。アホが付くほど真っ直ぐだった。
もう近いんだと思ったら複雑な気持ちになったな…
でも何故、鵜戸神宮だったのかはよくわからないんだよね…
良いところで私も好きだけど。ご縁があったのかな。
昨年から父の事でバタバタし家での介護もあったりで、葬儀後気が付けば
家の中が乱雑で笑える~状態になっていた。
見えるところは片付けたけど、2階はまだまだ。
お盆休みに頑張ろう。
私は施設に入居して、まだまだ生きていてくれるものだと
信じて疑わなかった。
父が旅立ちました。
よく頑張った、ほんとに頑張った。
今は楽になっていると思います。
桜の枝が随分と高くなりました。
必死でプルプルしながらやっとです。
一番下の葉はハナミズキ。
ここもまた、暫くは放置になると思います。
父の事でバタバタとし、ついに施設入居です。
悪いことは続くもので
父が救急車で搬送されてから数日後に
父の弟があちらへ旅立ちました。
最後まで家でという思いが私にはずっとあったのですが
そうなるとお仕事を辞めなければ無理な状態です。
周りにも勧められ介護施設を申し込みました。
わかってはいた、わかってもいる
でも、なんだかな~