「不文律」は、もはや死語どころか、その概念すら失われてしまったような気がする。
桜が嫌いだ。
春の兆しというのは実は2月の下旬には訪れていて、屋外やそれに近い環境にて肉体労働している自分は毎年実感している。
それは野鳥の鳴き声であったり、樹木や山野草であったり、雨や風や土のにおいであったり・・・
だのに、遅れてやってきて、ブワァと咲いて、春の主役でございますよ、ってなツラしてるのが気に食わない。
そしてさっさと散りやがり、そこいらを汚し毛虫が湧くのもムカつく。
あと迷惑な路上駐車をしてスマホで写真撮りまくったり、桜を見ながら弁当を食わなければ気が済まない奴輩。
桜の持つ性急さ、それらを取り巻く人々の浮かれた感じ、いちいち気に入らない。
インドア派が寒さに震えているとき人知れず咲き出す梅や、派手なくせにイマイチ存在感がなく街路や公園を彩る雪柳こそに、自分は春の視覚的喜びを感ずる。
野田知佑が亡くなった。
中島らも、野田知佑、狩撫麻礼、十代のとき、この三人の作品に出会わなかったら、今頃自分はどうなっていたのだろうか。
生き辛さ、違和感への折り合いの付け方というか、もっと別の世界があるよと、教えてくれた。
この三人には共通点があった。
酒好き、不器用な青少年への優しい眼差し(それを履き違えた者への厳しさも)、そして各々の思う「自由」を目指していた。
今の自分のような気分に対して、三人は同じようなこというであろう。
「みだりに感情をもらすな、酒を飲め」、と。
今住んでいる家に越してきて22年。
そして、今ある書物の8割以上は、この家に住みだしてから購入したものである。
つーことは・・・
例えばの話、もう今から一冊も買わず、手元の本だけを読み返しただけでも、22年かかるというわけである(いや、まだ買うけど)。
その時、自分は74歳。
もっと早よに死んでるかも知れへんし。
自分に子供は居らんのだけど、もし居ったらとして、それらの本を読み継いでもらったら、こんなに嬉しいことはないだろう。
通勤の車中で毎日聴くラジオ番組に、今日の記念日のコーナーがあり、それによると今日は石ノ森章太郎生誕記念日であると。
そう、それなのだ。
自分は宗教を嫌っているせいか、命日だの何回忌だのに全くの興味がない。
死んだら終わり、かというて、けっして故人を軽んじているわけではない。
作家が亡くなった日を何たら忌というているが、忌なんて漢字は忌野清志郎だけで十分だ。
どうせなら、その人が生まれた日やデビューした日を祝う方が、余程健全である。
ファストフード店のポテトが買えないようになったとの報。
LMサイズがなければSサイズを幾つか買えばいいじゃないかとか、なければ他のものを食べればいいじゃないかとか、いろんな意見がある。
自分が思うのは、もしこれがあれやこれやになったら、ということ。
自分は外資系に勤めていて、何かの事情で貨物が入ってこない、数週間遅れる、てなことは当たり前のように体験している。
これが生活につながるものだとしたら恐ろしいことである。
大昔ジャンプで読んだ、本宮ひろ志の『大飢饉』が頭に浮かんだ。
世間のオッさんの例にもれず、自分も若い女優さんの名前はよく知らない。
しかし彼女だけは、テレビのCMで顔を見て、「あっ」と声がでた。
誰の娘かすぐに判ったからだ。
ARB / R&R AirMail(初期ARB)
そっくし。
先日、テレビをザッピングしていると、ボブ・マーリーで指が止まった。
地上波のみの拙宅、しかもUHF局で、ボブ・マーリーである。
スタジオライヴかスタジオセッションか、そんな感じの映像で、ボブの横でピーター・トッシュがギターを弾いている。
そりゃ確かに今の時代、動画共有サイトでボブ・マーリーの動画を観ることは容易である。
しかし、自分の意思で聴くのではなく、不意に耳に飛び込んでくる音。
食い入るように画面に見入ってしまった。
その言語感覚に衝撃を受けたRCサクセションの「トランジスターラジオ」
心弱くなっているときズドンと胸に刺さったザ・ブルーハーツの「リンダリンダ」
寝付けない冬の深夜、暖かい気持ちになった仲井戸麗市の「ラジオ」
誰じゃこいつら、と興奮してしまったミッシェルガンエレファントの「世界の終わり」
思わず放送局に問い合わせてしまったソウルフラワーユニオンの「風の市」
会社の帰り道、遠い昔へ切ない気持ちになったザ・モッズの「ごきげんRADIO」
昼のエフエムでかよ、と笑ってしまったザ・ルースターズの「恋をしようよ」
みんな不意にラジオから流れてきて、耳と心に残った曲たち。
物は試しと「新・一番搾り」を購入、飲んでみる。
そのスッキリとした飲み味に目を丸くする。
別に濃い味を求めているわけではないし、新しくなったラガーもそうだけど、うーん、なんつーか、自分の思う味のビールはただのノスタルジアであることに気づく。
うーん。
このニュースいいよなぁ。
自分もラジオ少年だったので気持ちが判る。
受信マニアではなかったからここまではしなかったけど、ダイヤルを回して他府県のローカル番組ローカルCM聴いたりしてホッコリしたり。
日曜日、昼寝したせいで寝付けなく、深夜の放送休止後(今と違い日曜日は放送休止がはやかった)に海外の日本語放送に耳をそばだてたり。
radikoやネット放送ではない、ドキドキとか温かみがあるんだよ。
学校になじめなかった 「ラジオ」を愛する少年 冒険と出会いの夏