新型コロナ 関連情報
この指針は、私が在学していた時も。
https://www.seikyoonline.com/article/FC18F8C8AED9D22EA68C73A4B2D02A31?snstoken=ff12a93a-6a21-45f1-b184-2fb3c6ba83f0
2019年 歩き走った・・・ ・・・
4期目の挑戦! 難しい厳しい選挙戦でした。
過去の選挙戦とは全く違った動きの中で、支援者の皆様が手弁当で献身的な応援を下さっての勝利でした。
統一選後半は、流山市鎌ヶ谷市へと走った。
参議院選挙・・・・動いた・・・・初めての選挙立会人・・・・深夜まで行った。無効になりかけた1票について執念の意見!
柏市議選7人勝利へ全力投球!(自分の選挙以上に必死でした)
9月10月は台風被害の現場へ。
精一杯の励ましに走りました。毎日集合離散の闘い。
公明党の使命を改めて実感。防災減災対策をいくつも指摘し提案した。
11月我孫子市議会選挙4人の勝利へ。
12月代表質問に立つ。 本当にめまぐるしい一年だったが、勝利の駒を進められたと思う。
お一人お一人の幸せ・地域の平和の為、「この道」を進めることに喜びを感じながら大晦日を迎えています。
★墓碑銘:教員時代の大恩人の長田義久先生との別れはあまりにも突然でした。
道野辺小に赴任、初めての後輩ができたと、かわいがっていただきました。
いろいろなことを教えて下さった。バスケット、教材研究、生徒指導、お酒の飲み方?・・・
バスケットを楽しむ オフェンス力のおもしろさを教えていただきました。・
○会合で一番声をかけて下さった富田さん・・・・ ○ 田久保さん
○恩人のご主人様
○石巻出身のIさん・・・・・ ○先輩のお母様 ○知人の奥様
○自動車整備工場の社長 ○元教育長 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・多くの別れがありました。
★還暦を祝ってくれた教え子達
V5戦士・・・ミニバスケット部有志の集い
大学同期との懇親の集い 社長のK君と・・・・・。
年末には I 君と二人飲み
結びつきを再確認・・・・・・・人とのつながりを大切にしていきたい。
大晦日本日、尊敬する教育者から、もったいない真心のエールを頂きました。
校長先生時代は、子どものど真ん中にいて体当たりのいつもいつも絶好調(校長)先生でした。※ある方が「伝説の校長」と評していました。
...私の人生で、恩師の次に 刺激をくださる方です。 先輩の凄さにいつも驚かされます。 思い続けて実践すると形になり、道を拓けることを教えて下さった先輩でもあります。
こんにちは 柏市選出の公明党の阿部俊昭です。 代表質問に先立ちまして、先般の台風と大雨により、亡くなられた方のご冥福をお祈り 申し上げますとともに、被災した全ての皆様に心よりお見舞い申し上げます。 希望を見失わずに前進されますことを祈っております。
(マレーシアからご一行お客様が傍聴に テリマカセ・・・ありがとうございます と挨拶)
1,知事の政治姿勢について 会派を代表して質問いたします。 はじめに知事の政治姿勢について伺います。 千葉県が、県民の生活と県政の主要分野にわたる県民の関心、要望、意向などをとらえ、県政推進の基礎資料とすることを目的として、昭和50年度から毎年実施してきたのが「県政に関する世論調査」です。 この世論調査での 県政の要望の第1位は 知事もおわかりと思います。 「災害から県民を守る」です。 これは平成23年から8年連続です。 まさに東日本大震災を経験し乗り越えようと進んできた県民の願いのあらわれではないでしょうか。この県民の思いに寄り添うならば、当然県政を担う者としての行動規範が決まってくると思うのです。 防災・減災は政治の主流になってきているのです。 平成21年就任の森田知事は、平成23年の東日本大震災の時には、この議場で私たち議員と地震を体験し、その対応に私たち県民のために命がけで走ったはずです。627万県民の生命財産を守るリーダーとして、あの原点を忘れてはならないと思うのです。
県災害対策本部は、地震時は、震度5で自動設置されるものの、「風水害は災害救助法適用基準に達する程度の被害が発生するおそれがある場合など 知事が必要と認めるとき」とあります。 今回の巨大な台風・大雨は、情報を駆使すると、地震津波とはちがって、ある程度予想でき、台風15号の時には、早期の災害対策本部設置し、その対応に県庁あげて取り組む事が可能だったのです。 9/8には、出先機関の土木事務所では、休日にもかかわらず宿泊体制をとり、緊迫の深夜を迎え、翌日早朝より、県職員が県道や県管理河川の状況確認に回っていました。柏市内でも資材置き場の塀が倒れ、県道一車線をふさいだところで懸命に対応する県職員の姿がありました。9日朝は、私も5時間かけて柏市内 県道や県有施設周辺を走り 冠水道路は集水マスのゴミの除去をして見回りました。 8日夜立ち上げた我が党の県災害対策本部には、各地から甚大な被害情報が集まってきまして 党の国会議員・県議・市町村議員は朝から千葉市内の突風被害の駅や学校、山倉ダムや 県内各地を回り、実態把握に走りました。 自ら被災しながらも、県民の励ましに走った方々がたくさんおられました。 甚大な被害が広がっていることを確認し、私達は10日午後、知事への緊急申し入れをしました。しかし、知事は県庁におりませんでした。 11月22日の第1回検証会議を傍聴しましたが、席上、名古屋大学教授でもある坪木委員が、「情報があってはじめて確かな判断ができ、行動につながる」との指摘は的を射ていました。 確かな情報が知事の下に集まらなかった、集めなかったことが、判断を狂わせ、適格な行動に繋がらなかったと思うのです。 高度な情報が集まる災害対策本部で、県庁で迅速な判断ができる体制をとるべきでした。 災害復旧・復興本部の立ち上げで本格的な復旧に取り組みはじめたことは、評価し、県民の皆様のためにも全力で応援していきたいと思います。そこで知事にお尋ねします。
①防災減災が県政の主流と考えるが、今回の災害対応の初動とこれからの復旧・ 復興への知事の所見を伺いたい。
- 台風15号・19号及び大雨関連の対応と提案について
- 地方税の徴収、滞納問題について
- 私立高校の就学支援について
- 消費者問題について
- 健康福祉問題について
- 銚子市沖における洋上風力発電の促進について
- 教育問題について
- その他
小学校時代の担任が教員生活終わる時に 第1回開催・・・・・・・阿部は出席できず、垂れ幕を送りました。
あれから30年・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 先生のご健康ご長寿を心からお祝い申し上げます。
昭和43年4月 渡波小学校4年1組 吉野学級結成 から3年間 私たちは、 たくさんの想い出をつくっていただきました。 あれから 半世紀・・・想い出を抱きしめながら 50年が経ちました。 それぞれの道 苦楽を乗り越えながら 私たちは還暦を迎えました。 大震災でお亡くなりになった奥様も・教え子達も 新しい生命を受けて、どこかの地で・・・人生をスタートしていると思います。 きょうは、ここに 代表が馳せ参じて 吉野先生のご長寿をお祝いさせていただきます。
本来ならば、 千春さんが幹事となって、平成23年3月25日 石巻・中里で 吉野先生を囲んで プチ同窓会を開催する予定でしたが、2週間前の3月11日、あの東日本大震災で中止となりました。 もう集まれないと・・だれもが断念していたのですが・・・・・・・・・・・・・・・吉野学級・ 吉野じっち会 をやりたかった想いは あの 津波に 負けなかったのです。
吉野先生の教育は不滅・・・2019年秋 今 同級会として開催されることになりました。
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ところが、今回の台風19号のために中止となりました。石巻の被害も大きく、幹事の洋一つぁん、サトミッチの英断でした。
20人もの皆さんが出席予定でしたが。
柏市戦没者追悼式に参列し、追悼の言葉を述べ、献花させていただきました。
追 悼 の 言 葉
本日ここに、令和元年度 柏市戦没者追悼式が執り行われるにあたり、地元県議会議員を代表しまして、ご挨拶申し上げます、
先の大戦が終わりを告げてから、七十四年を超える長い歳月が過ぎ去りました。 激しい戦いの中で祖国を思い、家族を案じつつ戦場に倒れた方々、また国内外で戦禍に遭われ、命を落とされた方々、あるいは戦後、遠い異郷の地で無念にも最期を遂げられた方々に思いをはせる時、尽きることのない深い悲しみと憤りが胸に込み上げてまいります。 亡くなられたすべての御霊(みたま)に、謹んで哀悼の意を捧げますとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。
戦争とは、国家が、命よりも大切なものを奪い合う行為であるという方がいますが、その大儀の影には、多くの犠牲があり、凄惨(せいさん)な現実があります。 一人一人の命よりも大切なものとは一体何なのでしょうか。先の大戦で亡くなられた方は三一〇万人とも言われます。その一人一人に名前があり、人生があり、家族がありました。 一体どれほどの悲しみが国中を覆ったことでしょうか。 この会場のご遺族の皆様におかれましても、最愛の肉親を失われた深い悲しみに耐え、幾多の苦難を乗り越えて、今日まで歩んで来られたことと思います。そうした皆様方のご労苦を拝察いたしますと、本当に頭の下がる思いでございます。
今年九〇歳になる私の母のことで恐縮です。東日本大震災で石巻で被災した後、転々として、訳あって柏市民となりました。柏市民になったことで母と語らう時間ができ、聴いたことがあります。 お兄さんを戦争に送る時のこと、悲しみにふるえ・・・万歳などなんかしなかった・・・静かに送るということで・・汽車の音もならさなかったこと・・・・ 行きたくない・行きたくないと何度もお兄さんが言っていたこと・・・ばあちゃんが一日中泣いていたこと。 数週間後 石巻から 出兵待機中の仙台へ 母とばあちゃんが会いに行った時は、お兄さんは、足を痛めていましたが・・・・飛び跳ねるように面会口にきたこと・・・・草餅を作っていったら・・・涙を流して食べていた姿は忘れられないと・・・。 絶対戦争を起こしてはならないとの母の口癖は、この体験があったことを 初めて柏で知らされたのです。 また、 私の恩師は四人のお兄様を戦地に見送られた体験を通して、「戦争ほど 残酷なものはない、戦争ほど悲惨なものはない」と二十一世紀に生きゆく私たちに万感の思いをこめて平和について語って下さった事があり、忘れられません。 戦争は絶対に繰り返してはいけない。 平和のために生き抜くことを誓った次第です。
戦後七十四年という時の流れは、社会から戦争の傷跡を癒していくと同時に戦争経験者の数を年々減らしてきています。しかし、こうして柏市戦没者追悼式に集い、皆様の思いを巡らすときに、私たちの胸は高鳴り、柏市に縁する者として大きな役目を自覚するのです。歴史は自らは語らず、歴史から学ぼうとする者に語りかけると言われますが、戦前、柏の葉には日本の国土を守る柏陸軍飛行場がありました。そして今は・日本の、世界の平和を守る人材を育成し続ける 下総航空基地があります。また、平和を希求し、芸術文化・スポーツ振興に力を注ぐ市民がおり ます。 この未来都市・柏の地から未来へ世界へ、平和の翼を広げて皆様と共に 平和への発信し続けていかねばならないと思うのです。 結びに、ご参列者の皆様のご健勝とご多幸を心からお祈り申し上げまして、追悼の言葉といたします。
令和元年十月十八日
千葉県議会議員 阿 部 俊 昭
『牧口先生』というマンガで
大教育者・牧口先生の人生に共感。
阿部が教育の道を歩むきっかけになったともいえます。
牧口校長先生が、千葉の教育現場の先生方との語らいに
はじめて来られたのが千葉・鎌ヶ谷村だった。阿部の初任が鎌ヶ谷市であったことは誇りです。
https://www.sokanet.jp/pr/recommend/20160525-makiguchi/
髪をとかしながらの語らい。
「きもちいい・・・きもちいい・・」と言ってくれます。
12がつ28日夜 7:20病院到着
母 「こわい・・・こわい」と言います
息子「だいじょうぶ! とすあ ぎがいるがら・・・・」
息子「かあちゃん の元気なすがだ みっと げんきでるよ」
母「かあちゃんも とすあぎがくると安心するよ。 おんなじだね~ 」
こうしたかみ合う会話もあれば・・・・・・
昔の記憶からか・・・・・・「あさりごはん炊いたがら・・・」とか「そこの手袋していきなさい」とか
震災後、転々として・・・千葉・松戸の病院へ・・・・・再び仙台へ
また、千葉・柏の特養へ
今年の2月22日 私の議会代表質問が終わった直後に連絡があり、
「入院しないと大変な状況です」と。
夕方、病院に行くと担当医師から「1週間が山ですね・・・」と言われたのでした。
ところが、母親の生命力のすごさ
10ヶ月以上 がんばっています!!
母は、自身の哲学の先師が千葉出身ということもあり、決意して千葉にきてくれました。
千葉で多くの友人知人と結びつき、病院で教え子や教え子のお母様、石巻出身の看護師と出会わせてくれています。
今も昔も・・・・母親はパワーをくれるのです。