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結びつきの道を

人間が人間らしくあること、本当の意味での充足感・幸福感は、”結びつき”を通してしか得られない。~大衆とともに

2021も ペンを走らせます

2021-01-12 | Weblog

喪中ですが、年頭より励ましのお手紙や葉書をいただいています。
小学校1年生、元校長先生、団体会長、友党代議士、83歳の支援者の方、
母親との別れの悲しみを なんとしても乗り越えよ!エールに溢れています。
感謝でいっぱいです。
 
 
※去年は3000通の手書きのハガキや封書を送りました。
今年もあべは心を込めて、筆を走らせます。
 
議員1年目(2007年)の初めての議会質問前に書いた「母への手紙」が見つかりました。
石巻の津波で流れたと思っていたのですが・・・・・母の遺品から見つかったのです。
 

母との送別 ~ ありがとう・・・・・

2020-12-29 | Weblog

闘う人生 お疲れ様
  がんばってくれた母ちゃん ありがとう

母ちゃん みんな揃いましたよ。

あなたが成長を楽しみにしていた孫たち
感謝をしていた 子どもたち・・・・
先に逝った京さん(父ちゃん)と幹雄さん(義兄さん)には、今二人で飲みながらも、かあちゃんの両脇を支えてくれていますね。
人との触れ合いを大事にし友好の輪を広げてきた母ちゃんに縁した人は、母ちゃんの祈りに包まれて、充実の人生を送っていけると確信できます。


思い出が次から次へとよみがえってきます
一番は、仏壇の前で 小さな背中をした母ちゃんが祈っている姿です。

働き者の母でした
よく体を動かし 仕事をやりぬく人でした。手先が器用で 着物・浴衣・卒業式のスーツなどは手作りで 疲れた体で針しごと
をし、足踏みミシンの音も響く家でした。編み物も上手で子どもや孫たちにセーターも編んでくれ、私も学生寮に送ってもらいました。

家計が厳しいころ ワラビゼンマイ 栗 ワタリカニ 魚をとってきては褒められました。 母ちゃんが喜んでくれるのがうれしくてうれしくて・・・・。
母ちゃんの指揮のもと 家族総出の内職・貝(カキやホタテ)の針金通しは学校へ行く前も、夕方も一緒にやりましたね。          (一?だったのでは。 テレビ代のローンを払えず朝集金に来た時は 母ちゃんは裏山へ)      

 アサリを採りに行っては大量収穫で市場へ出すほど・・・値が付いた時に呼ばれる自分の名を言われるのがはずかしいと子どもの「ふじこ」や「としあき」の名前を使っていたとのこと。     
朝の新聞配達もし・魚の加工場でフルタイムで仕事をし、夕ご飯を作り そのあと会合へ自転車で走る母でした。

 こんなに忙しい中でも 恩師の指導のままに家計簿をつける習慣があり、また日記も時々つけていました(母ちゃんが亡くなり、日記を読むと今次から次に秘話が見つかっています。本当?うそ?という内容もありますが、人生体験や人とのふれあいなど 心を配る貴重な一文を 母の足跡として残すことを約束します。

 大酒飲みの父親のことで苦労もしましたね。暴れる父から逃げようと私を背負い、兄と姉を連れて家を飛び出したことがありました。背中で聞いた声を思い出します。兄姉に「走ろ 走ろ!」と声をかけ、曲がり角で姉が「ランドセル忘れだ?!明日ガッコウだもん」 といって立ち止まっているうちに、昔・の長距離一番だった父は追いつき、連れ戻されました。
 その後は 魚屋・魚行商を父がやめて、出稼ぎで働くことに。父ちゃんあんだだちのためなんだよと、感謝を忘れるなよと手紙を書くように勧めたのも母でした。


 若い時の過酷な仕事が重なったり 自転車衝突事故にあったり、身体疲労は大きく さらにパーキンソンとの戦いも始まりました
苦悩にも何度も直面し 夕方帰宅せず家族を心配させた時もありました
兄ちゃん夫婦・孫たちの温かさに包まれて特におよめさんのなみ子さんはご苦労をおかけしました。 ただ一家で一緒に 人生哲学を抱きしめて 人生の師を求め
ることができることは本当に喜んでいました。

 2011年東日本大震災では三メートルの津波にも二階で奇跡的に助かり人生で過酷な日々に・・・ 仙台の姉ちゃん夫婦が被災した両親を迎えて下さり、そんな中、幹雄義兄さんを亡くしてしまう事態に小野寺家でも 母ちゃんも悲しみのどん底でした。ふじ子姉ちゃんの献身さに支えられ 母は生き抜き その後 二男夫婦のいる千葉・柏に転居することになりました。 

 生かされた命で大聖人有縁の千葉で使命を果たしたいと決意してくれました。パーキンソン病により文字を書いたり、折り紙したりできることができなくなっていくのでした。  だからこそ施設では介護士の方にも、病院では看護師の方にも 感謝の言葉を忘れなかったようです。 
 
千葉に来て、三つの施設、三つの病院でお世話になりましたが、それぞれのところでは思いがけない方、東北や石巻出身者、多くの方々と友好の輪を広げていました。

 参院選・衆院選は一緒に期日前投票、 二〇一九年には病院で、県議会選挙で初めて息子に投票もでき、参院選、市議選までやり切りました。

施設では、動かなくなる体にかわいそうでしたが、いろいろな会話をしてくれたね。
一度だけ、寝起き後?「あんだ誰?」と言われて私はショック、反省。   ボケないように孫や子どもの名前や誕生日を言わせるようにしましたね。
写真を見せ指をさし名前を・・・父の写真を指さすといきなり「あした」というではありませんか???????  そのあと笑いながら「京きょう さん」と。「じ〇〇〇」「ふ〇〇」言えました・・・・指で自分をさして「とすあぎ」と言わせることに必死だった自分でした。ベットで横になる母と私でイヤホーンを一つずつつけ一緒に歌を聞くことが喜びでした・森昌子の「おかあさん」・森進一の「おふくろさん」聴きましたね・坂本冬美・・「あばれ太鼓」はいきなり【どうせ死ぬときゃ】で始まるのでやめました。やはり元気になるのは 新世紀の歌 今日も元気で 母の曲 母 そして威風堂々の歌は先生の指揮の画像のもと、手首を揺らして歌ってくれ 一番の感動の時間でした。「先生も頑張っているから」と鼓舞するとうなずきました。
 (最初の施設で利用者皆さんで、買い物体験の機会がありました。自分ほしい買い物をすればいいのに、私への靴下だけ買ったとのこと 今日は着用していますよ)

 苦しいということもあったのは事実ですが、目標を設定して声がけをし、昨年の3つの選挙後は90歳へ・・・・そのあとは創立90周年へと目標にしてきました。
奇しくも11月18日 千葉県中を東奔西走する中で、たまたま私は柏市内にいました。数日間、熱が下がらないので・・・と緊急入院とのこと。個室に入るまで三時間ずっとそばにいて声がけができました。そしての後に櫛と写真を届け刺激をお願いしますと。病院からは研修生をそばにつけていいか確認があったので 快くお願いしました、
いつもありがとうと声をかけてくれたことを教えてくれました。

12月11日11時過ぎに病院から電話
私は明年の闘いへ開始するために企業挨拶・社長と懇談中で気づかずにいたら、病院から兄へ そして姉へと 俊昭へとつなげたのは久々のホットラインでした。久々に子供三人が連絡を取り合いました。兄弟三人の団結を心配していた母親の計らいだったかもしれません。   
奇しくもこの11日    3・11の月命日 毎月11日を福光前進の日として進んできたので忘れられない日となりました。

 昨夜の焼香式には、こうし感染症の大変な事態、この冬一番の冷え込みにも関わらず役員に携わって下さり、多くの皆さんが貴重な時間を割いて駆けつけてくれました、二時間以上かけてくれる方も、また、親子で、ご夫妻で、そして今月最愛の娘さんを亡くされた俊昭の教え子がご夫妻でお母さまと弔問してくれました。(十二月逝ったMちゃんという子です。声をかけてあげてください)
創立者をはじめ山口代表、平木県代表、森田県知事五十通の電報、さらにメールでは300を超える哀悼のお気持ちを届けてくださいました。
大学の後輩からは、   偉大なる 母の命は この胸に この世生き抜け この世舞い征け         恩師のお歌を紹介していただきましたよ。

がんばらいんよ!(この言葉には 健康に 事故などにちつけでね! という気持ちも ・・・・そして、祈りは必ずかなうとの確信の想いも入っています)
子どもも 孫たちも・・・ひ孫たちも・阿部さだ子からの「がんばらいんよ」という声を胸中に響かせながら生きていきたいと思います。

立ち止まると 母ちゃんをおもいだして・涙あふれそうです。
その時は「がんばらいんよ」と声をかけてください。
母ちゃんが人生かけて貫いてきた幸せへの哲学・他者に尽くす人生の醍醐味をつかんでいくためにも走りぬこうと思います。

あべさだ子さんも 私たちも さあ 新たな出発です!


  令和2年12月17日         阿部さだ子への送別と新出発の会実行委員会             阿部俊昭

  

 


リンドウの花言葉は?

2020-10-01 | Weblog
こんにちは  県議会の あべです。
皆様とコロナに応戦しながら10月を迎えました。県議会は、13日まで続きます。

★一人ももれなくコロナの影響を受け、不安を抱えながら感染所予防に力を注ぐ私達は、結びつきながら、なんとしてもこの難局を乗り越えていきたいと思います。

★★公明党は全国大会で山口代表を再選しました。1年以内に衆院選、2021年都議選、2022年参院選が予定されており、次の10年に向けて大事な2年間になります。代表と共に、お一人お一人の幸せ、安全安心の社会のために
党勢拡大へ、艱難辛苦を乗り越え獅子奮迅の道を進んで参ります。

★★★あべはかつて障害者の方々と ♿マークのついた駐車場利用の状況を全国初の調査をして(一般紙1面で紹介)身体障害者等用駐車場の適正利用を県議会で初めて訴えてきました。本日10/1の一般質問(自民党)でパーキングパーミット(許可証発行)の採用をすることを県が発表しました。
 また、提案していた千葉県中小企業再建支援金の期間延長及び支給対象の拡大を行うこととし、受付も開始されました。いくつかの団体から喜びの声があります。
皆様からの小さな声・確かな声を粘り強く形にしていきます。

★★リンドウの花言葉は【正義】
半沢直樹中で花さんが語っていました。


9月 あべスタイルの深化

2020-08-31 | Weblog

みなさま こんにちは

 あべはあべでも 柏のあべ 県議会公明党のあべ俊昭です。

 安倍総理が辞任表明したことは残念です。総理が公明党の主張にも耳を傾けてくださり、内政(全世代型社会保障の基盤構築など)や外交におけるこれまでの業績は高く評価できると思います。体調が回復されますように心から祈ります。

 今、コロナ禍対策に悪戦苦闘ですが、感染症拡大阻止と社会活動、経済活動の両立への取り組みは止めてはならないとの思いで、私も柏市内医療従事者・介護現場・地域包括センター・企業や事業主の皆様との懇談、意見交換しています。様々な支援メニューをつくって終わりではなく、必要な人にお知らせし届けていくことが私たち公明議員の役目であると思っています。先日は、柏市内の介護施設において、清掃など業務受託者を慰労金の対象からはずす動きがあり、平木参議院議員つなげ国会で質問してくださり、雇用形態に問わず支給する方針を徹底していただくことになりました。  

防災を考え行動する9月を迎えました。
昨年9月は千葉県は台風等で甚大な被害があり、連日被災現場に足を運んで、経験したことを命を守る安全対策につなげてきました。防災減災を祈りながら、走って参ります。

 

【個人活動 の一端  エピソード】

 「あの松ヶ崎交差点に虹が出ましたよ」との婦人からの映像エールに励ましを頂き、終戦記念日に午前の柏駅東口に続き、午後、松ヶ崎交差点街頭に立ったところ、不思議なくらい多くの皆様から激励。その後、12000部目のレポートをお届けしたお宅からは貴重な県民相談を頂戴しました。一歩踏み出すことに全て意味があると実感です。 阿部スタイルをさらに深化させていきます。

  ※9/16から9月議会が始まります。 

 


6月 再起動!!

2020-05-31 | Weblog

 皆様 こんにちは
県議会の阿部俊昭です。
しっとりとした空気に緑の香りが漂う6月です。 

新型コロナウイルス感染症が拡大する中、医療の最前線で新型コロナウイルス感染症に立ち向かう医師や看護師をはじめとする医療従事者の皆さまには、感謝の言葉しかございません。私の信頼する友人も使命感と覚悟をもって従事していました。
 また、多くの店舗が休業を続ける中、公共交通機関の職員や流通関係の方、ゴミ収集の職員の皆様、スーパーやドラッグストアの店員など、社会生活維持に欠かせない仕事に就く「エッセンシャル・ワーカー」の皆様には心から敬意を表します。

 皆様におかれましても、国や県の方針を理解され協力してくださったことで、非常事態解除の判断となりました。日本人の底力をかんじます。
もちろん、解除されたものの、感染者がゼロになったわけではない事を認識し、段階的な社会・経済活動を再開させながら、感染を防ぐための「新しい生活様式」を皆で実行していきたいと思います。ひき続き、この難局を皆さんで乗り越えていきたいと思います

私もこの3ヶ月間。
    まず、教育現場の混乱の声を受け止めました。卒業式縮小、退職される先生・静かな離任・入学式の中止・学校や友人、教え子、教え子の子ども達の悲痛な叫びに涙。  支えねば!
 さらには、中小企業の皆様との語らい、・・仕事がなくなる方、家賃が払えなくなる方、 店の事業に行き詰まる方々に なんとか支援の手を!
必死に300通近い電報や手紙でエールを届けました。
(静かに何人かのご友人宅にポスティングもさせていただきました。)
不思議にもあべの健康を案じ、励ましてくださる方も!!
県民相談・要望・お叱りも頂いてきましたが、党創立者を思い浮かべながら、徹して大衆のために、と課題解決をすすめ、また人と人との結びつきの道を切り拓くのだと この3ヶ月間、懸命に走ってきました。公明党千葉県議団としても「感染症対策」についての3度にわたる知事への要望書提出を通し、医療従事者への支援、中小企業支援。教育支援が形になりました。個人としても、町議・市議との連携で国につなげた妊婦さんの声をつないで雇用環境改善の要望が国の事業に! さらには県教委と千葉テレビとの連携の提案が実現しての「ちばっ子 まなびの広場」放映など 執念の想いが形となりました。

そしてきょう6月1日から学校再開
数日前から、私自身 緊張感に包まれています。
子ども達の命を守り、幸せのために奮闘する教職員・・とくに養護教諭や管理職の皆さんにも追い風を送っていきます。
    ※6月議会で一般質問に立ちます。
   


千葉テレビ放送を活用

2020-05-08 | Weblog

千葉テレビ放送を活用した小中学生向けの学習支援が発表されました。
 先月、学びの確保の重要性を柏市教育長と懇談して確認、しかし、柏市も千葉県「チーてれスタディネット」もネット配信しているものの、千葉県全体としてはネット環境はまだまだ整備されていない事を考えて、阿部は県教育委員会と千葉テレビとの連携を模索してきました。 現在の県庁・報道広報課(議会事務局とは「テレビ傍聴席」)と千葉テレビ番組(「ウィークリー千葉県」)との関係、予算額などを調査し、また他県の情報提供をしながら、県教委と千葉テレビの連携を提案してきました。 追い風となったのは、県教委そして現場の先生方が、GW中に100本の授業動画を作成していることでした。教員達の情熱をより多くの児童生徒に届けられないかとの強い想いにふれたことでした。千葉テレビでの教育委員会番組(5/18~29日 10日間)が実現する運びとなり、5日、こどもの日に発表となりました。
                       ※先生方のメッセージ等も入れてほしいとの声にも応えてくれました・

 9:00~10:00   15分番組×4     小1・小2・小3・小3(外国語)
14:00~15:00    15分番組×4    全学年共通・小4・中3・中3
                    ※5/22 と 5/29  15:00~15:30入試情報メッセージ