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ネタは降る星の如く

とりとめもなく、2匹の愛猫(黒・勘九郎と黒白・七之助)やレシピなど日々の暮らしのあれこれを呟くブログ

経絡リンパマッサージとゲルマバス2回

2008-02-15 20:00:00 | 日常
 午前中にエステサロンでゲルマバスと経絡リンパマッサージ。夕方、フィットネスクラブでサーキットトレーニングしてゲルマバス。これで、すごーく身体が軽くなった。

 ここのところ、お風呂に入っても暖まった気がしなかったけど、今日は血流がよくなったせいか、暖まった気がする。

Bodies入会して1ヶ月超

2008-02-13 18:27:42 | 日常
 Bodiesに入会して、1ヶ月超。利用回数はすでに20回を超えている……まだ仕事が決まっていないから、他に用事のない日は大抵通っている(苦笑)。

 体重は減ってないけど、筋肉量は増えたと思う。パーセンテージにしたら、0.3パーセントでしかないが^_^;、毎日身体を見ている自分にはかなり締まった印象。

 ただ、正月に増えた体重をまったく減らせていない(涙)。筋肉をつけると重くなるということもあるが、やはり、自分の場合は炭水化物を取りすぎると太る体質らしい。夕食はすでに肉か魚と野菜だけにしているが、朝食昼食の炭水化物の量を多少加減するメニューに切り替えようとしている……蕎麦好きなので、絶ちきれないのではあるが^_^;。

実家から徒歩30分

2008-02-11 19:45:00 | 日常
 家族の祝い事があったので、転居して正月を一緒に過ごしてから初めての夕食会。JR大森駅近くのジムでサーキットトレーニングしてから、いつも利用しているバスの途中で下車し、実家に立ち寄る。

 新居から実家までは、坂の勾配が緩いながらも上り坂が長いので、徒歩で実家まで帰るにはちょっと抵抗がある。実家から新居までは、一部で上り坂があるものの、全体には緩い下り坂、しかも歩いて30分ちょうど……これなら十分に散歩の範囲(苦笑)。

 何かあった時に30分以内で駆けつけられる距離というのが今回の転居の条件にしていたので、実証できてラッキー。タクシーを使えるなら、たぶん15分程度。

経絡リンパマッサージの快感

2008-02-10 19:29:39 | 日常
 ホットペッパーで見つけたエステティックサロンにて、お試しの経絡リンパマッサージを体験してみた。

エステティックサロン カレント

 経絡リンパドレナージュということで、オイルマッサージ。自分が今まで経験してきた指圧とか整体マッサージと違うのは、指圧とかではツボといったポイントに対して指で圧力を加えることによってリンパの流れを改善するものなのに対して、今回受けた方法は拳で皮膚全体を満遍なく圧迫することによって面でリンパの流れを改善しようとするところだ。1回60分のマッサージでも時には肩や腰がほぐれない凝り体質なのだが、肩や腰の凝りに効果があった。ぽかぽかとして、全身の血流やリンパの流れが明らかに違う。

 先月半ばから、3日に2日はサーキットトレーニングをしているのだが、ちっとも体重が減らない(汗)。ひとつは、記録していなかったのでちょっと意識が弱かったのだが摂取カロリーが意外に増えていたため。もうひとつは、運動したりゲルマバスに入ったりして代謝を上げようとしている割には、血流やリンパの流れが悪くて冷え性気味なため。

 改善したいなぁ……。

『誰も知らない 世界と日本のまちがい』

2008-02-10 19:17:20 | 読書
 ちょっと時間がかかったけど今日読了。

誰も知らない世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義』松岡正剛(春秋社)

 英語タイトルが"The Errors of Nation States"である。腰巻きには「大人は、読まなきゃいけません。禁断の世界史講義、開幕。世の初めから隠されていた秘密が明らかになる……。」と、ちょっとアレな感じな惹句(汗)。でもオカルト系ではありません。

 幕末から明治維新、さらに19世紀から20世紀の歴史に興味を持つ者にとって、気になるひとつの問いが「近代国家(Nation State)とは何か」ということだ。

 最近読んだ本の中でひとつの答えは、下記の本にあった。
『幕末・維新―シリーズ日本近現代史〈1〉』井上勝生 (岩波新書)

 ペリー来航からわずか10年ほどの明治維新を経て、維新政府が目指したのは欧米の近代国家というグローバルスタンダードにのっとって自国を整備したことだった。すなわち、自国の国民を確定するために戸籍を整え、国境を確定し(ロシアとは、結局、戦争を経てしか国境を確定できなかったが)、逆に自国の領土と認識する自国の領域内にいる少数民族を近代国家の理論でもって囲い込み(アイヌを想定しているが、まさしく米国政府がアメリカンインディアンに対した政策とよく似ている)、さらに周辺各国で欧米のグローバルスタンダードに抵抗する国を欧米の理屈で飲み込んでいった(台湾・韓国)。

 日本国民としては、清国のようにむちゃくちゃに収奪されなかったことを感謝すべきだろう。ただ、私は、日本の近代化がうまく進んだのは薩長土を中心とする勢力が明治維新を確立して近代化・産業化を強引に進めたことだけが功績ではなくて、江戸時代後半に欧米とは違う形で、政治経済を支える産業基盤や交通網などが確立したことが土台になっていると見ている。

 で、松岡正剛のネーションステート=国民国家観である。

 いまは、このことの深い意味についてはあえて解説しませんが、私自身はこの指摘は大筋あたつていると思っています。国家はもともと暴力装置であり、それをどのように合法化していくかということを工夫しているうちに、今日のような近代国家が仕上がった。どうやらそう見るべきなんですね。

 ということは、ネーション・ステートとは、ずばり一言で定義するなら「戦争ができる国民国家」のことなんです。警察や裁判を国が引き受けるという事情には、こういうことがひそんでいたんですね。


 うわーっ……二十歳になる直前にアムネスティ・インターナショナルという団体を知り、国家に人権を抑圧されている人たちの事例を四半世紀も見てきた自分には、しっくり来ることを言われたなぁ。そう、国家とは、もともと暴力装置なのだ。近代国家とは、王政など少数による支配体制を覆す過程で生まれた、ひとつの形態だ。いちおう民族国家に近いのだが、国民国家は民族国家と同一ではなくて、国内に少数民族の離反や独立運動などのリスクを抱え込んでいる。

 少数民族も含め、国民国家において国の方針とは異なる意見を持っている人にどう対処するか、ということが、自分の世界観には関心事のひとつ。たとえば、アウン・サン・スーチーさん。国家が暴力装置であること、その暴力装置が外に向かった時には侵略戦争となり、内に向かった時には甚だしい人権侵害となることを、憂慮をもって見てきている。

 で、近代国家と資本主義と民主主義の行き着く先はどうなるんでしょうね……本来の共産主義ではなかった共産主義国家は、かなりの確率で崩壊した(北朝鮮はともかく、自分はロシア崩壊後のキューバがどうなるのか、心配しつつも期待している)。資本主義の怖いところは、利益を追求する過程で、止め処がつかないということに尽きると思うのだが。

 

アユカル先生、逝く

2008-02-08 18:56:33 | 日常
 今日、ロヨラハウスから電話で訃報の連絡をいただいた。昨日亡くなったそうだ。

E・アユカル氏死去 上智大名誉教授
 エンリケ・ルイス・アユカル氏(上智大名誉教授、イスパニア語)7日午後4時、肺炎のため東京都練馬区上石神井4の32の11の療養施設「ロヨラハウス」で死去、90歳。スペイン出身。葬儀・告別式は9日午後1時半から東京都千代田区麹町6の5の1、聖イグナチオ教会主聖堂で。喪主はロヨラハウス館長の理辺良保行(りべら・ほあん)氏。


 ここ何年かはおそらく読み書きはなさってなかったと思うが、年賀状の遣り取りだけは続けさせていただいた。

 今はどうか知らないが、私たちの世代にも「鬼のイスパ(イスパニア語学科=スペイン語学科)、地獄のロシア(ロシア語学科)」という表現が先輩たちから伝わっていて、私たちの世代ではさすがに「授業開始と同時に部屋に鍵がかけられた」とかいう風習はなくなってはいたが、確か語学の基礎クラスの授業時間は週4日あってみっちり鍛えられるのがイスパニア語学科の伝統だった。そのシンボルがアユカル先生だった。

 私たちは「アユカル・メソッド」と呼んでいたのだが、こんな感じ。たとえば「私は音楽が好きです」という構文「Me gusta la musica (musicaのuの上にアクセントマークが付く)」という文章を覚えるために、20人余りの生徒たちが順番に当てられて、この文章を組み替えていく。たとえば「音楽」が「スポーツ」になったり、疑問文になったり、否定文になったり、「私は~」が「マリア(女の名) は~」になったり、「好きです」という現在形から「好きでした」という過去形になったり。文法を理解していく毎にバリエーションは増えていくが、とにかく、3秒以内に答えられないと、次の人に当てられる言い換え訓練の繰り返し。答えられないからといって罰則があるわけではないが、クラスメートたちに答えられなかったから飛ばされるのを目撃されることが結構プレッシャーで、アユカル先生の授業はみな緊張感をもって受けていた。

 で、そのメソッドの効果だが、卒業してもう25年ほどになるのに、私は日常会話程度なら今でもスペイン語を話せる。その間に何回かスペイン語圏を旅行したことはあるが、継続して学習していたわけではない。だから、かなりの語彙が記憶から抜け落ちてしまっているのだが、英語でいうなら仮定法過去に当たる、婉曲な依頼や現実にないことを願う表現もしっかり覚えているし、たとえば「スペイン語を喋るのは難しい」という表現でも「自分にとっては上り坂」という慣用表現「se me hace cuesta abajo hablar el espanol (espanolのnの上に~マークが付く)」はたたき込まれているので忘れようがない。

 自分はこの会話訓練は英語にも使えると思う。日本人向けの英語トレーニングでは余り重視されていないようだが、基本の文型を覚えたら、とにかく喋る。同じことを繰り返すのではなく、主語や目的語を変えたりして、頭の中で翻訳するより早く、意味を理解してその言語で口が回るようにする。これがとても大事。

 中国から文化を輸入する時に書き文字中心で意味の解釈を議論してきた長い歴史が影響しているのか、中学高校の英語の先生が実用的な英会話でなく英文学の専攻だったりすることが影響しているのか、異なる言語の学習というのは、コンピュータでいうCPUの訓練なのかメモリの訓練なのかハードディスクの訓練なのかという方法論があまり実用的ではない。日本の中学高校の英語教育は、私の感覚ではハードディスクに英語のディレクトリをつくっていくようなものに感じる……それも、わざわざ、日本語のディレクトリから転送プログラムを介して飛んでいく感じ(汗)。

 だから、大学入試の時に自分なりにCPUやメモリを刺激する英語学習法を身につけた直後に、アユカル先生からアユカル・メソッドでスペイン語を教えられた時には、すごい衝撃だった。構文を変化させて口に出すだけだから、何か知的な能力を疑われているのかと違和感を感じた時期もあったけど、2年間の基礎教育が終わってみると、いちいち日本語をスペイン語に訳す手間なしにスペイン語が喋れる生徒たちができているのだから、その効果はめざましい。

 在日何十年という先生だけど、日本語はずっとたどたどしいままだった。ただ、独特のユーモア感覚があって、たどたどしい日本語をうまく使いながら、緊張感あるクラスの中で一度や二度は笑わせてくれた。

 スペイン語ができるからといって私のキャリアで収入が上がったわけでは、ない。でも、中南米の歴史や文化を知ることで、アムネスティ・インターナショナルという人権団体との関わりができた。スペイン内戦や中南米の革命と軍政と民主化という歴史を知ることで、いろいろなイデオロギーといろいろな民族の相克が表面化する現代史の複雑さを知った。スペイン語で歌われるフラメンコやアルゼンチンタンゴを始めとする歌や踊りの世界を知ることで、日本の文化とは違う男女のコミュニケーションのあり方と普遍性を持つ恋の葛藤を知ることができた。日本語以外に英語しか学んでなかったら得られなかったであろうことが、沢山あった……その世界を開いてくれたのはアユカル先生のおかげ。

 ありがとうございました、アユカル先生。イエズス会の方である以上はカトリックの世界で穏やかに昇天されたであろうことは疑いもありませんが、どうぞ、安らかに。

☆★☆★

 そして、つくづく思うのは、イエズス会という組織の凄さだ。

 日本人でも老後はスペインとかタイとかインドネシアで過ごすという人生設計を実行されている方もいると思うが、経済的な問題や医学上の問題に加えて老化するとコミュニケーションに不安があったり望郷の念が生まれてきたりいろいろあると思う。経済的に安い外国で過ごしたいと思っても、言葉が通じないということで結局は日本に戻ってこざるを得なかったりする。

 でもイエズス会は、使命のある場所に療養地を作って、そこで看取るんだなぁと。逆にいえば、出身地に帰さないという言い方になるのかも知れない。それって、布教の精神にもとづくものなのだろうか……この教えを広めるためには異国で果てることも辞さないという強い思いを組織化すると、こういう形に収まるのか。

 イエズス会を理解するにはもちろんプロテスタントの歴史も踏まえなければいけないのだが、とりあえず松岡正剛の近現代史を読みながら、アユカル先生の冥福を祈らせていただきたい。


『17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義』

2008-02-08 14:00:59 | 読書
『17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義』松岡正剛(春秋社)

 大学でスペイン語を専攻した時、スペイン美術史専門の神吉教授(故人)がヨーロッパ美術史を講義してくれて、ヨーロッパの歴史と建築・美術がどのように結びついているのかに興味を持った。

 大学院では国際的なマネジメントの考え方の土台になる比較文化論を少しかじったこともあり、多元的な、あるいは多層的な文化の見方には興味があった。

 というわけで、この本を手に取るのは必然だった。人間が二足歩行するようになって、他の動物と違って発情期がわかりにくくなってからコミュニケーションの手段である言葉を持ち、文化を築くようになる。そこから宗教が生まれ、哲学が生まれ、文学や音楽、建築や美術、芸術などが生まれていく。異なる宗教同士が対立し、戦争が起こり、交通や経済の発達とともに文化の衝突が起き、新しい解釈が生まれて新たなものが生まれる。こういう歴史の中で、東西の世界観や文化観がどう違うのか、それはどこから生まれてきたのか、ということをどこかで整理したかったのだが……この本がやってくれた。

 『木を見る西洋人 森を東洋人 思考の違いはいかにして生まれるか』を読んだ時に感じたことでもあるのだが、西洋的アプローチは違いの要素というのを要素に細分化していく(これが彼らの分析的アプローチなのだ)。これこれこのように違う、と、要素を挙げて示していく。でも、東洋的な文化に育った自分には何かアプローチが違うと思った。

 松岡正剛の本は、その違和感に対する日本的な答えだろう。特定の宗教が生まれてきた歴史的な背景、その宗教が生まれたことによる影響といった、一言で言えば「背景」を示すことによって、その文化の個性を明確にする。まさしく「森を見る」感じ。要素に細分化するのではなく「枝振りを見せる」感じ。

 そして、宗教と哲学、宗教や哲学と建築や美術とのつながり、科学と哲学、科学と美術など切れ目のない関わりを見せてくれる。この辺りが、自分にとってフィットする。

 また、同じ時間軸をもって東西を比較する中で意外な類似点を見せたりする。たとえば織田信長の時代、イタリアではルネサンスでありこれも戦国時代、イギリスはエリザベス女王でスペインと対立していたとか。この時代の日本の代表的な茶人の千利休はルネサンス的、その弟子である古田織部はバロック的とか。

 でも一番強烈なメッセージは「文化とは"たらこ"スパゲティ」(笑)。非常に日本的な文化の捉え方で、それがよい。

 次は続編の『誰も知らない 世界と日本のまちがい 自由と国家と資本主義』にて、近代ヨーロッパから生まれた国民国家と個人の自由や権利についての考え方、資本主義についても読んでしまおう。

確定申告書作成終了

2008-02-05 11:04:01 | 日常
 3年前から国税庁の申告書作成コーナーを利用している。手計算しなくていいし、計算ミスも防げるので楽。

 e-TAXは使ったことがない。去年の導入時点で聞いた情報では事前登録が必要だということ(1ヶ月ぐらいかかると聞いた)、入力画面が複雑だということだったので。そんな面倒なことをしてまで5,000円の減税を受ける気にはなれない。

 控除を受けられる団体に寄付をしていたので、追加で支払う所得税の差額が少し低くなった。

12月末退職なのに住民税の徴収金額が(汗)

2008-02-04 22:44:43 | 日常
 今日、12月末近くまで住んでいた尼崎市から郵便物が届いた。

 ……12月末日退職で、12月の給与でも住民税を払っていたのに、なんで60万円超も尼崎市に払わねばならんのか(汗)。

 察するに、勤め先での源泉徴収が足りなかったのだろうが、すでに住んでいない土地の地方自治体に60万円超もの税金を納めるってなぁ……ぶつぶつ。やっぱり、それって源泉徴収が少なすぎるんじゃないか^_^;。

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2/6追記。考えてみたが、会社業績と個人業績によってもらえる管理職賞与が例年より多かったことが原因かな……所得税は源泉徴収されているけど地方税は源泉徴収されていなかったように記憶しているから。