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大阪府社寺巡りの旅・第46回六郷神社/大阪府東大阪市本庄1丁目

2014年05月31日 | 大阪府社寺巡りの旅

六郷神社/東大阪市本庄1丁目


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 六郷神社略記(鎮座地 東大阪市本庄一二〇七番地)

  御祭神 應神天皇(品陀和氣命)
      仲哀天皇(帯中日子天皇)
      神功皇后(息長帯比売命)

 当神社の創建年代は不詳なれども、往古は、八幡宮又は八幡神社と称した。
大正十一年刊行の大阪府全誌に依ると、六郷神社は、大字本庄の中央、字宮の内にあり、もと八幡神社と称し應神天皇、仲哀天皇、神功皇后を祀れり。
明治五年村社に列し、同四十年九月十九日大字中野字山王の村社日吉神社(大山昨命)、大字箕輪字中ノ町西の同八幡神社(應神天皇)、大字北ノ町東の八幡神社(應神天皇)、大字横枕字春日の同春日神社(武甕槌命、經津主命、天兒屋根命、姫大神)を合祀して、今の社名に改称せらる。
境内は三九五坪にして、本殿、拝殿、神具庫を存し、末社に神明社あり。氏地は本村全部、祭日は十月十五日なり。と記載され、「現存する社殿及境内工作物は末記のとおりである。」
 特に本殿浜床に鋪設せられし、木造彩色狛犬の台座箱内側に寛延二年(西暦一七四九年)長月の年号が記され、今(平成七年、西暦一九九五年)を遡ること二四六年前に当り、東大阪市文化財専門委員の調査で江戸時代中期末頃の作と評されし現在の本殿(木造コケラ葺、流造、丹塗、彩色)及、隋神像は共に、同期のものならんか。

平成七年九月吉日   六郷神社宮委員会






2014年4月23日撮影


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大阪府社寺巡りの旅・第44回八幡神社/大阪府東大阪市箕輪1丁目

2014年05月29日 | 大阪府社寺巡りの旅

八幡神社/東大阪市箕輪1丁目

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2014年4月23日撮影


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大阪府社寺巡りの旅・第42回古箕輪八幡宮/大阪府東大阪市古箕輪1丁目

2014年05月27日 | 大阪府社寺巡りの旅

古箕輪八幡宮/東大阪市古箕輪1丁目

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 もと箕輪村に含まれる古箕輪は、新開池の南東に位置し、大和川付替え以前は池の藻草を刈り、魚を採って生活していた漁村でした。新田開発後は農村となりましたが、南方の村々の悪水で例年作付けに水難を受けるため、踏車を使って悪水を排水し、また天水場であるため日照りの時には干害にみまわれたといわれています。
 氏神である八幡宮は、創建は不明ですが、本殿は一間社流造柿葺で江戸時代中期の建築とみられ、また境内の鳥居に寛保元年(1741)の銘があり、拝殿前の燈篭に明和元年(1764)の銘があることから、新田が開発された後に、神社が整備されたことがわかります。
 拝殿には、幕末から明治初めに奉納された元寇、神功皇后朝鮮出兵図、江戸時代の風俗図、天皇に将軍・御三家等が供をした加茂明神参詣図などの明彩な絵馬が残されています。
 また、正面左にある燈篭は、天保2年(1831)銘の「おかげ燈篭」です。竿に「おかげ」と刻むこの燈篭は、江戸時代に伊勢参宮が流行し、ほぼ60年毎に「おかげ参り」と呼ばれる集団参宮が行われた際に、村人達が神恩を感謝して奉納したものです。東大阪市内には合計18基の「おかげ燈篭」が知られていますが、文政13年/天保2年(1831)のものが13基で最も多く、この頃伊勢参宮が非常に盛んであったことがわかります。

平成16年10月
東大阪市





2014年4月23日撮影


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大阪府社寺巡りの旅・第41回盾津宇治縣神社/大阪府東大阪市川田2丁目

2014年05月26日 | 大阪府社寺巡りの旅
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■ 盾津宇治縣神社/東大阪市川田2丁目

▲北宮小学校の北に鎮座します。



2014年4月23日撮影


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大阪府社寺巡りの旅・第40回西陽寺/大阪府東大阪市川田2丁目

2014年05月25日 | 大阪府社寺巡りの旅

■ 西陽寺/東大阪市川田2丁目

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2014年4月23日撮影


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大阪府社寺巡りの旅・第39回栗原神社/大阪府東大阪市吉原2丁目

2014年05月24日 | 大阪府社寺巡りの旅

■ 栗原神社/東大阪市吉原2丁目

▲入口から境内を望む。

式内 栗原神社略歴
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社名
 栗原は「久里波良」と訓むべしとあり明治以前一時期「梶原宮」と称された。
(昭和五十四年十一月式内社調査報告より)

鎮座地
 大阪府東大阪市吉原二丁目二九三番地
 (旧堺縣河内國河内郡吉原村字北ノ宮)

御祭神
 中臣雷大臣命・水分神
 天児屋根命 ・品陀別命

御由来
 当社の創建年代は不詳であるが、延喜五年(九二七)に完成した延喜式神名帳の河内郡十座の一に名を連ね、その社叢は旧新開池の西南隅岸に位置し、以来実に千百十余年栗原連の氏神として歴史を重ねる古社である。境内地約六百坪には本殿、幣殿、拝殿、手水舎、社務所に地車収納庫を有し、松杉檜を始め諸木繁茂し、深厳なる社の中に末社白菊稲荷神社、栗玉神社が祀られている。
 現在執行の年中神事祭礼行事は次のとおり

     歳旦祭   一月二日
     節分祭   二月初旬
     稲荷祭   四月中旬
     秋例祭   十月第三日曜日
                   以上

 平成二十六年一月記


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▲末社の栗玉神社。
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▲栗玉大神元鎮座地。

   栗原神社境内 栗玉神社略記
   御祭神 地主神(栗玉大神)

地主神とは土地の守り神のことです。
また先祖信仰と深く関わりがあり各家々の土地の
守り神としても広く祀られてきました。
栗玉神社の始まりは村びちがいつものように
本殿にお参りしていると突然、古木楠木の横から白い蛇が
現れ、神の声が聞こえ、そこに祀れと申された。
それが栗玉大神の誕生だと伝えられています。
それ以来、氏子の守り神、土地の守り神として
大切に村人たちに信仰厚く祀られています。
               平成十三年五月吉日


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▲拝殿前から入口の方向を望む。




2014年4月23日撮影


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大阪府社寺巡りの旅・第37回金太郎大明神/大阪府東大阪市中新開1丁目

2014年05月22日 | 大阪府社寺巡りの旅

■ 金太郎大明神/東大阪市中新開1丁目

▲昨日、紹介した諏訪神社の一角に鎮座する真新しいお稲荷さんです。
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2014年4月23日撮影


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