美しい星

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大阪府社寺巡りの旅・第17回極楽寺/大阪府東大阪市上四条町

2013年09月30日 | 大阪府社寺巡りの旅
■ 極楽寺/東大阪市上四条町
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▲生駒山に点在する朝鮮寺のひとつです。
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▲素晴らしいロケーション!
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▲滝行場。
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▲北100mの所にある、クッを行う時に利用される北斗院です。
参考文献:在日コリアンの宗教と祭り/飯田剛史著(世界思想社)
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朝鮮寺

朝鮮寺(ちょうせんでら)とは、おもに在日韓国・朝鮮人ら、特にその婦人層において信仰されている寺院の通称。
多くの朝鮮寺は生駒山麓周辺に集中している。
この名称は研究者らによって便宜的に付与されているものであり、当該の寺院およびその信者はこの名称を用いていない。

地域

昭和56年の統計においては、在日韓国朝鮮人の三割が大阪府に居住している。
さらに範囲を兵庫県、京都府、大阪へと広げると、割合は半数近くにも達する。これらの人々の信仰の対象として、生駒山周辺には60程度の朝鮮寺が存在すると報告されていたが、現在ではその数は20程度にまで減少している。
生駒山中でも大阪に面した西側南北10kmほどの地域、北から順に辻子谷(づしだに)、額田谷(ぬかただに)、鳴川谷(なるかわだに、以上いずれもハイキングコースとして知られる)、山畑・服部川地区、黒谷など、互いに平行に走る谷沿いにそれぞれ数個の寺院が連なって存在する。
これらは行政区では四条畷市、大東市、東大阪市、八尾市に該当する。
この地域の中心には大きな信仰を集める宝山寺が存在し、この存在が朝鮮寺がこの地域に集中して創設されたことに影響を及ぼしていると見られる。

寺の概観

多くの朝鮮寺においては本堂および七星堂、賽神場が設けられている。
前者二つは朝鮮半島における仏教寺院中における大雄殿、三聖閣に該当する。
本尊および諸菩薩を祀る本堂は日本の通常の仏教寺院本堂の外観とは異なり、一見して民家または集会所と区別が付かない場合が多い。
寺としての表札も控えめである。
七星堂では星神を中心にして、山神、海神などが祀られ、いずれの寺院でも本堂よりも地理的に高い箇所に設けられている。
星神と山神については朝鮮半島においても同様に信仰されており、それぞれ現世での幸福と金銭を祈祷する習合性を現している。
賽神場は通常は飾りつけなどの無い数畳の空間である。
賽神場は、朝鮮においてクッ(賽神)と称されるシャーマニズム的現世信仰が行われる場所であり、諸神および諸仏に巫女(男も存在する)が信者の現世における利益をかなえさせる儀式が行われる。
この賽神場とそこでの現世信仰が朝鮮寺の大きな特徴である。
数多くの朝鮮寺における信仰において、仏教と賽神が占める重要度は各々の寺院によって異なっている。
境内には地形を利用して祠や行場としての滝などが併設されている場合が多い。
それらの多くおよび本堂などには不動明王が祭られている。

宗派

多くの朝鮮寺は、朝鮮および日本における仏教の宗派を名乗っている。
朝鮮系では曹渓宗、日本系では天台宗、真言宗などの修験系が多い。
前項に示したような実際の寺院の概観において、その朝鮮寺が属する宗派による違いは存在しない。
このように体系性、宗派性が低い事実とあわせ、朝鮮寺は死者儀礼とも無関係であることがほとんどであり、現世利益の祈祷仏教に属すると考えられている。

儀式

代表的な年中行事としては4月8日の仏生会、7月7日の七星祭、冬至の節分など(暦はいずれも旧暦)において数十人の信者が集まり、儀式、祭が行われる。
これらの年中行事においては呪術的な要素はあまり見られず、自身の家族における家内安全の祈願が中心となる。
これに対して、災いが生じた信者が寺院と巫女(ポサル)に依頼してその都度行われる賽神の儀式は、明らかにシャーマニックな特徴を備えている。
この儀式は、家族の災いの原因である祖先の霊を呼び寄せ、舞や供え物、供銭などでそれをもてなして災いをかけないように頼み、最後に霊を送り届ける一連の過程にそって執り行われる。
複数の霊が登場することも多く、数日の儀式では15万円、一週間ほどのものになると100万円以上の費用が依頼者から支払われる。
この費用は、儀式の際に寺院に泊り込む巫女の飲食費や交通費、そして賽銭として儀式中で繰り返し供えられる金銭が含まれている。後者の供銭についてもポサルの収入となる。
賽神の儀式においては僧侶とポサルが並び、ポサルは舞や交霊をとりおこなう。
ポサルは信者から強い尊敬の念を持って遇されており、「先生」、「ポサル様」等の敬称で呼称されている。
それにたいして僧侶は一般的な僧服等を身に着けているものの、賽神を仏教によって権威付ける存在として扱われ、宗派による儀式の違いなども存在しない。
数十人存在すると見られるポサルの多くは中年から老年の女性であり、住職として朝鮮寺に居住する者のほかに自宅に祭壇を設け巫行を行っているものも多い。
その多くは血縁や師弟関係で結ばれている。

信者

朝鮮寺の信者は在日朝鮮韓国人の女性が中心となっている。
一般的には、一家の家長である男性が儒教にのっとった葬祭を領分とするのに対して、主婦は朝鮮寺における信仰を奉じている場合が多いとされる。
檀家制度が存在する寺はほとんど存在せず、現世利益がどの程度あったかというポサルの評判を聞き集まった信者が中心となる。

<wikiより>



2013年8月20日撮影


LUMIX DMC-LX5/3shot JPEG(±3)/Photomatix/Elements

大阪府社寺巡りの旅・第16回 木曽御嶽本教 御嶽大神/大阪府東大阪市上四条町

2013年09月29日 | 大阪府社寺巡りの旅
■ 木曽御嶽本教 御嶽大神/東大阪市上四条町
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◆ 木曽御嶽本教について ◆

千三百年の昔より、御嶽信仰(御嶽山大権現)は、霊峰御嶽山を根本とする両部神道の修験にありました。
登山参拝には百日間の*精進潔斎(ショウジンケッサイ)の制度があり、常人では大変困難なことであったため、多くはその里宮に参拝するのみでした。
天明二年、覚明(カクメイ)行者が苦行の末、この制度を打破されたことにより、常人の登山参拝が可能になりました。
そして寛政四年、普寛(フカン)行者が王滝口の参道を開道され、各地に御嶽信仰がひろめられました。
そののち、尾張国熱田の儀覚行者が宮丸講を組織して、中仙道を登拝されたのが講社の始まりとされています。
明治二年、神仏分離の勅令により、「御嶽山大権現」が「御嶽神社」と改称され、国家管理となったため、講社は宗教行事を行うことができなくなりました。しかし、昭和二十一年、宗教法人令が施行され、神社も宗教として取り扱われることとなり、それまで離散していた講社の重立者が集結して「木曽御嶽本教」を立教しました。
そして昭和二十七年、文部大臣より認証され、今日に至っているのです。

*精進潔斎とは、神事に奉仕するにあたって、一定期間、飲食・行為などを慎み、心身を清めて家(ここでは黒沢里社の斎舎(イミヤ))にこもること。

◆ ご祭神 ◆

木曽御嶽本教のご祭神は、*造化三神(ムスビノオオカミ)と、総本 山と仰ぐ御嶽神社のご祭神、国常立尊(クニトコタチノミコト)・大己 貴命(オホナムチノミコト)・少彦名命(スクナヒコナノミコト)の六柱の神を、「御嶽大神」としておまつりしています。

*造化三神(ムスビノオオカミ)
・天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
・高皇産霊神(タカミムスビノカミ)
・神皇産霊神(カミムスビノカミ)

<木曽御嶽本教HPより>



2013年8月20日撮影


LUMIX DMC-LX5

空川地蔵尊/大阪府東大阪市四条町

2013年09月27日 | 神社仏閣写真
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空川地蔵尊/東大阪市四条町

空川地蔵石仏

 空川地蔵石仏は、旧四条村の南側に位置し、東面する地蔵堂内には、板張りの花頭窓を透かした奥に、石造地蔵菩薩立像がまつられています。
 石仏は、胸のあたりまでしか見られませんが、像の下半部は欠けて失われており、現在の高さは、129cm,幅76cmあり、花崗岩製の大きな舟型の光背の前に、頭部のまわりには円光を線刻し、右手に錫杖を、左手には宝珠をもった大きな地蔵立像を、しっかりと厚肉彫りで彫出していて、腹部までの像高は、94cmあるところから、全体ではもと2m近い大きな石仏であったことが考えられます。
 四条村は、西側を南北にとおる東高野街道から岐れて鳴川峠(地蔵峠)を越えて大和へ通じる峠越えの道にそった古くからの要衝の地であり、村の東側地蔵谷の「出合」いうところに彫られていた南北朝時代末期ごろの麿崖仏(二尊石仏)を移して祀る出合地蔵などとともに、中世の貴重な石造遺物が、数多く残されていて、周辺の古い歴史を物語っています。

平成7年3月 東大阪市 <案内板より>

2013年8月20日撮影


LUMIX DMC-LX5/3shot JPEG(±3)/Photomatix/Elements

四条墓地の無縁墓と六地蔵/大阪府東大阪市上四条町

2013年09月24日 | 神社仏閣写真
四条墓地の無縁墓と六地蔵/東大阪市上四条町

▲無縁墓。
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▲六地蔵。
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2013年8月20日撮影


LUMIX DMC-LX5/3shot JPEG(±3)/Photomatix/Elements