■筑紫君磐井
(つくしのきみいわい)
倭王武(倭の五王)の子または孫とされる。
福岡県八女市近郊を拠点として、筑紫国全体を統治していたが、磐井が直接統治していたのは筑後国一帯と考えられる。
※御妻(御端)郡、御池(御毛)郡、御井郡、御原郡などの地名から、筑紫御国(つくしのみくに)と呼んだとする仮説もある。
■火中君○○
(ひのなかのきみ)○○
磐井の嫡子で、磐井の反乱において磐井と共に死去。
磐井の時代、筑紫国の領土となっていた熊本県北部、火中国を統治していたと考えられる。
■筑紫君葛子
(つくしのきみくずこ)
磐井の反乱において磐井、火中君の死去した際、粕屋屯倉を献上して助命され、筑紫君を継承した。
それ以前は、筑前国一帯を統治していたと考えられる。
※筑紫奴君葛子
(つくしのなのきみくずこ)
漢倭奴国から出た仮説。
■筑紫火君○○
(つくしのひのきみ)○○
筑紫君磐井と火王朝の一族との間に生まれた庶子とされ、佐賀県鳥栖市近郊を拠点として、磐井の時代には筑紫国の領土となっていた肥前国一帯、筑紫火国を統治していたと考えられる。
※筑紫君葛子と筑紫火君は同一人物、または筑紫火君の子とする説もある。
◇火中君、筑紫火君は、筑紫君と同じく、統治者としての称号と考えるべきである。
※あくまで異説、こういう説もあるという話。
(つくしのきみいわい)
倭王武(倭の五王)の子または孫とされる。
福岡県八女市近郊を拠点として、筑紫国全体を統治していたが、磐井が直接統治していたのは筑後国一帯と考えられる。
※御妻(御端)郡、御池(御毛)郡、御井郡、御原郡などの地名から、筑紫御国(つくしのみくに)と呼んだとする仮説もある。
■火中君○○
(ひのなかのきみ)○○
磐井の嫡子で、磐井の反乱において磐井と共に死去。
磐井の時代、筑紫国の領土となっていた熊本県北部、火中国を統治していたと考えられる。
■筑紫君葛子
(つくしのきみくずこ)
磐井の反乱において磐井、火中君の死去した際、粕屋屯倉を献上して助命され、筑紫君を継承した。
それ以前は、筑前国一帯を統治していたと考えられる。
※筑紫奴君葛子
(つくしのなのきみくずこ)
漢倭奴国から出た仮説。
■筑紫火君○○
(つくしのひのきみ)○○
筑紫君磐井と火王朝の一族との間に生まれた庶子とされ、佐賀県鳥栖市近郊を拠点として、磐井の時代には筑紫国の領土となっていた肥前国一帯、筑紫火国を統治していたと考えられる。
※筑紫君葛子と筑紫火君は同一人物、または筑紫火君の子とする説もある。
◇火中君、筑紫火君は、筑紫君と同じく、統治者としての称号と考えるべきである。
※あくまで異説、こういう説もあるという話。