新橋駅には、JRに東京メトロ、ゆりかもめとさまざまな路線が乗り入れています。
JR新橋駅だけでも、毎日25万人が乗り降りし、そのほとんどがサラリーマンだというのですから、サラリーマンの聖地と称されるのもうなづけます。
そんな新橋に再開発の話が持ち上がり、去年は幾度となくテレビや新聞で取り上げられています。
やれ「総開発費一千億円だ」、やれ「130メートル級高層ビルが2棟」だと騒がれていますが、新橋は、昔から何度も開発が繰り返されてきた街。
ただ、街じゅうを覆い尽くすような開発ではなかったため、それほど印象に残っていないだけなのですが、この再開発という手法が、新橋の象徴を作り上げ、サラリーマンの街という新橋のイメージを形作ったのも事実なんですよ。
再開発が作り上げたお父さんの聖地 ニュー新橋ビルとSL広場
新橋を代表する場所として、ニュース番組のインタビュールームと化している駅前のSL広場。
ここにSLが設置されたのは1972年(昭和47年)で、鉄道発足100年を記念して、姫路からC11蒸気機関車を持ってきて展示したのが始まり。
その前年(1971年)にはお父さんの聖地ニュー新橋ビルが竣工されていて、まさにことときからサラリーマンの憩いの場所が作れらはじめていったのです。
SL広場は、もともと野外ステージがあったり街頭テレビが設置されていたりと、近隣の人が集まる場所でしたが、その横にニュー新橋ビルができたことが、街の様子を大きく変えました。
このビルは、地下1階から地上4階まで、本当に小さな店舗が詰め込まれた戦後闇市の様相をそのまま残したような雑居ビル。
サラリーマン御用達スーツの○○から、スピード名刺に出張の旅券が買える金券ショップまで、ありとあらゆる店舗が詰まった1階。
怪しい日本語で呼び込みをしているマッサージ店にアダルトショップまでが入っている2階。
そして、サラリーマンの懐にやさしい昼飯を食べさせてくれる飲食店がひしめく地下と、会社と駅とこのビルとでサラリーマンの一日は終わってしまうかのような充実(?)のビルが、新橋という街をサラリーマンの代名詞の街へと変えてゆきました。
再開発により街が変貌し、今の姿となった新橋。
もし、野外ステージの跡地にニュー新橋ビルとSL広場ができなければ、新橋は全く違った街になっていたかもしれませんね。
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