がん治郎のお散歩セラピー

街の小さな変化に気づけないほど心が疲れている時は、のんびり散歩してみましょう。

テレビで情報を得るために新聞のテレビ欄を見た時代

2016-01-27 14:15:43 | 雑感
お散歩の途中に本屋さんによく寄るのですが、同じように図書館なんかにも時々立ち寄ります。

先日、西東京市の図書館に立ち寄った時に見つけた書籍に『ザ・テレビ欄』という本を発見しました。



散策と関係があるわけではありませんが、散歩をしていて昔何かがあった場所に来ると、今はもうなくなっているのになんだかワクワクするのと同じように、新聞のテレビ欄(ラテ欄)は、あのころを思い出させてくれますね。

テレビを見ないと時代に取り残されてしまうのが昭和です


テレビ欄(ラテ欄という言葉、今では死語になっているような気がするのですが、でも、新聞ではいまだに1ページ全面使って載っていますよね。

ネットで画像検索しても、このラテ欄の画像は大量に出てきますが、それは、それだけこのテレビ欄(ラテ欄)が思い出を呼び起こしてくれるから。

最近では『縦読み』の宝庫としてくらいしか話題にならないテレビ欄(ラテ欄)も、インターネットのなかった時代では、情報源といえば『テレビ』しかないので、そのテレビの情報を得るためのテレビ欄(ラテ欄)は欠かせない存在でした。

情報源であるテレビで、今日いったい何が放送されるかというのが、その日の朝のテレビ欄(ラテ欄)を見ないと分からなかったというのですから、情報を得るために見るテレビの情報を得るためにテレビ欄(ラテ欄)を見る。
なんともややこしいことをしていたものです。
だから、きっとどの家庭でも、お父さん以外は新聞はテレビ欄(ラテ欄)から見始めていたはずです。

そんなテレビ欄(ラテ欄)だからこそ、古い新聞のテレビ欄(ラテ欄)を見ると、その時代を一気に思い出すことができるわけですね。

ただ、子どものときからスマホでテレビ番組を録画して見ていた世代が大人になったら、テレビ欄(ラテ欄)どころか、その番組を自体を見てもその時代を思い出すことはできなくなりそうで、それはそれでチョッと悲しいような…。

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