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小國裕美の部屋

俳句 秋がいっぱい

10月になり、月の美しい季節となった。


米(よね)くるる友を今宵の月の客  松尾芭蕉 48歳ごろ

名月の夜に、それぞれが持ちよった馳走の品々で月見の宴を催しているのでしょう。
心遊ばせて、酒を飲みながら俳句なんか作っているのではないでしょうか。
「米くるる」は米をくれる ということですね。
江戸時代の句ですが、

米(こめ)くれる友を今宵の月の客

と一字変えるだけで、現代版になりますね。

またこの時代は 米 は(よね)と読ませています。

今回は最後に自分の句を鑑賞したのと、旧仮名遣いについて書きました。




さて、毎月の7句が出来ました。




山道の奥の庵や秋海棠






散策の靴新しや花木槿






松茸の量り売りなり香りをり






踏切の点滅しゐる刈田道






ゑのころの風の広さや山の里






夕顔やベンガラの木戸潜りたり






暮れかかる草の匂ひや虫浄土


香煙のたちのぼりゐる秋の寺
(写真なし)




🍇🍇🍇俳句鑑賞🍇🍇🍇

🌟まず、たり と をり の違い

夕顔やベンガラの木戸潜りたり
松茸の量り売りなり香りをり

たり → 今の瞬間の動作
をり → 今の継続している動作

ベンガラの木戸を潜る という一瞬で終わる動作の場合は たり

松茸を量り売りしているのは、継続していることなので をり
またこの句の場合、量り売りかな としたいところだが、かな は句の途中では使わない方が良い。

🌟次に 旧仮名遣いについて

旧仮名遣いについては論じられるところです。
現代の俳句は現代仮名遣いを使うところもある。

第二次世界大戦以前の日本の文書、詩歌はすべて旧仮名です。

先日テレビを見ていたら…俳句は省略を持つ韻文形式であり、伝統を受け継ぎ、や かな けり などの切れ字を含む文語体であるからには、必然的に旧仮名遣いである。と俳人が話していた。
子規、蕪村、芭蕉、虚子 等の俳句、短歌を鑑賞するにも役立つ。

香煙のたちのぼりゐる秋の寺
踏切の点滅しゐる刈田道

この二句の場合 い→ゐ 
これは、ひとつづつ覚えていくしかない!

🌟最後に
踏切の点滅したる刈田道 とした場合
たる (原形は たり )は過去を表す助動詞ですから、「点滅したる」では今は点滅していない感じになります。



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