日本国憲法blog

現行日本国憲法と自民党憲法改正草案を比較する。
日刊更新、基本として一条ずつ吟味する。
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特別寄稿・弱者の味方とは誰なのか

2015年11月16日 | 日本国憲法
このようなblogを作っていると、匿名のメッセージを受けとることがたまにある。

それに対して、今のところはとくに問題らしきものはなく、blogが理不尽な批判や誹謗中傷を受けているわけではない。

しかし、社会的なことを例えばFacebookなどで訴えていると、見ず知らずの人より、とんだとばっちりを受けることも少なくない。概ねそのとばっちりには「2パターン」ある。

1 とにかく、体制擁護をするタイプ。もともとは、日本の軍備など、「今の自衛隊と九条でいいんじゃないか」くらいに思っていたような人が、安保法の可決によって、やおらタカ派になるようなタイプ。

2 とにかく、反権力、反体制を言っていないと気がすまないタイプ。

この、1と2は、正反対に見えて大きな共通点がある。それらの者がそれぞれ語ることの分かりやすさである。

いずれにせよ、平和ボケした人たちの姿が垣間見られる。なぜ平和ボケなのかというと、社会的に1ないし2の立場をとることによって、基本的には匿名で論議されるwebの場で、「同好の士」が得られるのだと思い込んでいるおめでたさがあるのである。

1の立場にも2の立場にも嫌われるのが、「自分固有の意見を持つ人」である。いずれの立場の人も、曲解しては自分と違う立場へ(1の立場の人なら2の立場へ、2の立場の人なら1の立場へ)無理やりカテゴリわけして、異常なまでに攻撃的になる。

もう一度言おう。1の立場の人も、2の立場の人も、平和ボケしているのだ。

漫画家の小林よしのりが、オウムを批判し、薬害エイズをもたらした医師や製薬会社を批判していて、その次に戦前の日本社会や保守政治を擁護し出したことに違和感を覚えた人は少なくないだろう。

心理学的には、小林よしのりは、高村光太郎と同じく分裂気質にあるということは言えるだろう。

社会思想的には小林よしのりは一貫して、1か2のタイプであり続けて来たに過ぎない。薬害エイズのことを言っていたころは、人は小林よしのりを「弱者の味方」と思ったかもしれない。しかし、一貫して小林よしのりは、世の中の概ねの意見の流れに添い寝してきたに過ぎない。小林よしのりを「弱者の味方」かどうかで、二分するのは特に意味のあることではない。

1の立場の人、2の立場の人、いずれも戦後社会で、権力を求め主流派であることを求めて来たのである。

故・小田実氏が、こう言ったことがある。もし、社会主義国家に自分が生まれてきていたとしても、やはり反権力の立場をとっただろうという意味のことを。

1と2の上手い共存が見られたのが、55年体制の社会であった。今はその時代に回帰することなど望むべくもない。

さて、わたしはweb上でなく、紙媒体の活字によって一作家の立場から「自分固有の意見を持つ人」を述べることをしてゆこうか。

ときおり、このblogに「特別寄稿」を書いたり、現行憲法と自民党による改正案とを比較し、緑色の字でわたしの意見を述べてはいるが、それはあくまでも余技であることは、今さら言うべきことでもない。


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