日本の柔道は世界に受け入れられてJUDOになった。
それは、とてもいいことだ。素直に喜ぶべきだ。
そして、そのなかで国際試合のなかでの日本柔道がJUDOとして変わっていくことも理解できる。
たとえば、来日された四川料理の料理人さんの作られる料理はだんだんと辛くなくなっていくという。それは、日本人の好みに合わせていくことだから、それはそれで悪くない。しかし、そうだからといって、本場の中国で四川料理が辛くなくなることは、ありえない。
オリンピックで日の丸を、自分の国の旗を揚げなければならないというプレッシャーが、いかほどに大きいものであるか、選手でない私にはわからないけれど、選手たちの勝ったときと、負けたときの表情で、見当は付く。
だから、JUDOの新しいルールが一本勝負よりも、ポイントを積み重ねる方向にむかっているとしたら、日本の選手たちも、その方向に向かって走り出すことも理解でる。いや、むしろ当然だと考えている。
しかし、私は北京オリンピックで、美しい試合を見てしまった。
決勝戦、金メダルがかかった試合で、二人の選手が一本を取ろうと死闘していた。
フランスの選手と日本の選手だ。
フランスの選手は、試合前に言った。
この試合を楽しみにしている。
楽しむ。
その言葉に、私は、羽生と戦う前の森内の言葉を思い出した。
森内は、定石にとらわれない手で羽生と戦った。
森内は、名人位を失った。
しかし、彼に後悔はなかった。
将棋を楽しんだからだ。
北京オリンピック63キロ級、女子柔道で金メダルを獲得したのは日本の選手だった。
しかし、フランスの選手にも後悔はなかったろう。
決勝戦に臨んだ二人の選手が、いずれも一本勝負をめざしたのだ。
勝つことだけを目指さず、柔道の試合で勝つことを望んだのだ。
たとえ試合には負けたとしても、このフランスの選手も
試合を楽しんだに違いない。
きっと、いつか、柔道とJUDOは幸せな形でひとつになる。
そして、それは、柔道家ひとり、ひとりの努力にかかっている。