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セドナとポノ

ときどきめいそう

自分が決めている

2008年06月14日 | Weblog
最近読んだ本の影響で、何か出来事が起こると、
「私はこれを経験したかった?」と言う考えが浮かんできます。

というのもスピリチュアル系の本でよくあるように、
だいたいの出来事は生まれる前に自分で決めてこの世に出てくる、
そして本当のあなたはそれを体験したがっている、と

もちろん出来事を操作することはできないのだけど、私の魂は
出来事に対する反応を体験したり、いろいろ経験したがっている。

最初は意味がわかりませんでした。
こんなに辛いことを私は経験したがってなんかないし、
だいたい自分で決めているなら、出来事を操作すればいいじゃない。と

でも最近ぼんやりとわかってきました。
例えば、「就職したいのに仕事が見つからない」場合。
私は「無職」になることを決めてこの世に出てきたわけではなく、
こういった状況で何ができるか、どんなことを感じるか、
を体験したがっているのかなぁ、と

そしてよく言われるように、どんな状態もいろんな感情も
あらゆることすべてに無駄なことはない、ということ。
だからといって「これにはどんな意味が?この辛い出来事を乗り切る意味は?」
とがんじがらめに考えることはやめようと思っています。
一時期、そういったことばかり考えて疲れていました

意味があってもなくても、その出来事がつらくてもたのしくても、
私は私らしく生きればいい
そしてこの私らしく、も曲者で(笑)、
ときどきどれが私?どんな行動をとったら私?この考えは私らしいの?
と何を選択すればよいかわからなくなります

そんなときは「一番高尚で、一番曇りのない、愛から出た考え、
愛から出る行動を優先させなさい」とその本にはありました。
最初は「えー」という感じでしたが、どんな行動をとればいいか
困ってしまう時にはこの言葉を思い出しています