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陰隲録(いんしつろく)

2015年06月24日 | 日々の生活

先週、お勉強会での先生のお話で、中国の古典「陰隲録(いんしつろく)」というものを聞きました。

それがまだ頭に残っているうちに、今読んでいる本にも同じものが載っていました。

忘備録として、掲載します。


 

袁了凡(えんりょうぼん)は、代々医術を家業とする家に生まれ、

早くに父を亡くしたため母の手で育てられました。

家業を継ぐべく医学を学んでいた少年のころ、突然、一人の老人が訪ねてきて、

私は理法(易学)を極めたものだが、天命に従って、あなたに易学の真髄を伝えきたと告げます。

老人はさらに母親に向かって、

「お母さんはこの子を医者にしようとお考えかもしれないが、彼はその道をたどりません。

長ずるに及んで、科挙の試験を受け、役人となるでしょう」

といい、何歳の時に何の試験を受け、何人中何番で合格するかということだけでなく、

若くして地方の長官に任ぜられ、たいへんな出世をすること、結婚しても子供はできないこと、

さらに53歳で亡くなることなど、少年の運命を次々に予告します。

その後、了凡の人生はすべてこの予告どおりのものとなっていきます。

そして地方長官となった了凡は、あるとき名高い老師がいる禅寺を訪ね、ともに座禅を組みます。

それが無念無想のすばらしいものであったため、老師が感心して、

「一点の曇りもない、素晴らしい禅を組まれる。いったいどこで修行をなされたのか」

と尋ねます。了凡は修行の経験などないことを語り、さらに少年のころ出会った老人の話をします。

「私はその老人の言葉どおりの人生を歩んできました。やがて53歳で死ぬのも、私の運命でしょう。

だから、いまさら思い悩むこともないのです」

しかし、それを聞いた老師は了凡を一喝します。

「若くして悟達の境地を得た人物かと思えば、実は大バカ者であったか。

ただ運命に従順であるのがあなたの人生か。運命は天与のものであるが、

けっして人為によって変えられない不動のものではない。

善きことを思い、善きことをなしていけば、あなたのこれからの人生は運命を超えて、

さらに素晴らしい方向へ変わっていくはずだ」

と因果応報の法則を説いたのです。了凡はその言葉を素直に聞いて、以後、悪いことをなさぬよう心がけ、

善行を積んでいきました。その結果、できないといわれた子供にも恵まれ、

また寿命の方も予言された年齢をはるかに超えて、「天寿」をまっとうしたのです。


 

1つの場面に遭遇したとき、

「善きことを思い、善きことをなしていく」のと、

「悪しきことを思い、悪しきことをなしていく」のでは、

10年、20年先の人生は全く別のものになっているのではないでしょうか?

というお勉強でした。