星をみる集い

踊り場ソウルのボーカルです。

○○狩り

2007-02-28 00:45:07 | Weblog
13歳の時に少年自然の家に学校のイベントで行った事がある。
部屋に星座の名前がついてて、乙女座の部屋には幽霊が出るという噂がたっていたりした。

せっかくのお泊りという事もあって何かやらかそうと思って(何かやらかそう...この精神はすごい大事)とりあえずみんなで500円ずつ出し合っておもちゃ屋で幽霊の衣装を買った。あたまに三角のやつもついてた。
僕達は赤いペンキでかえり血のようにぬったりして、少年自然の家のお泊りでどのタイミングで使おうか打ち合わせしまくりだった。

少年自然の家の夜。
部屋割りをみたら乙女座の部屋には臆病な男たちが割り振られていたので、これは深夜ここで使うしかないだろうという結論にいたり、じゃんけんで負けた奴がそれを着る事になった。
ジャンケンに負けたAはなぜか『八つ墓村』を意識して返り血をあびた白装束に頭に懐中電灯をまきつけて、両手にカマをもって『金○狩り』と称して乙女座の部屋に飛び込んでいって

『金○狩りじゃー○だせ○だせ!オラー!』
と叫んでいた。

僕達は寝たフリをして自分の部屋で乙女座にいた人達の叫び声を聞いて僕達はイヒヒヒヒとなっていた。

でも乙女座にいるはずの臆病な男連中は先生に乙女座の部屋が嫌だと言って先生の部屋と交代してもらっててAが飛び込んだ部屋は先生の部屋で叫び声は全員先生の声だった。

しばらく静かになって僕がこっそり廊下を見たら、A君は返り血をあびた白装束に、頭に懐中電灯をつけて、両手にカマをもって正座してました。
Aはじっと下をむいていて懐中電灯がつけっぱなしふだから廊下が照らされてて、先生に『なんでこんな事やったんだ?』って聞かれてAが答えようとして先生をみたら懐中電灯つけっぱだから『まぶしい!』って殴られてました。

僕はこのタイミングしかないと思ってその絵を写真にとりました。
フラッシュたいてるし、もちろん先生に怒られ僕も廊下で正座になっちゃったんだけど、その写真がいつでも笑うことができる超スクープ写真になったのは言うまでもない。

僕らはなぜこの時代に生まれたのだろう。

2007-02-26 01:12:36 | Weblog
朝まで吉祥寺スターパインズカフェのイベントで朝方6時過ぎに家に着いた。
(オーガナイザーの遊人君ありがとう。あとユースケ君ありがとう。MATSURI TRIBE07の正式オファーまってるぜ!)
少し寝て、起きてHAYBUSA CREWの家へ田町へ。

お目当ての『PRIDE』は終わってしまっていてかなり残念。
その後、僕と大は踊り場ソウルのNEWTシャツの打ち合わせ。
やばいのが出来そうです。
他にも音楽+aの話しやPVについて話す。
大はPVマニアなので参考になる。
大の意見と踊り場ソウルのPVをとる人と全く同じ事を言っていたのがビックリだった。

その間、HAYABUSA カズ、剛ちゃん、
アキラ、リュウヤは桃鉄やってて幼いリュウヤは大人パワーにぼこられてました。


そういえば先日、福田さんという、男前でメチャクチャやさしい人なんだけど、どこマフィアみたいな人と打ち合わせをした。
僕は心の中で『アルカポネ、福田』とよんでいます。
という事がどうでもいいが、間違いなく本物です。
彼は本物です。マフィアという意味ではないよ。
イベント企画の人という意味で彼は間違いなく本物です。
少し話しただけで十分わかりました。

今月に踊り場ソウルのプローモーションビデオをとるらしいです。
4~7月にはマジでやばいイベントを沢山用意しています!
チェックだぜ!

吉祥寺LIVE

2007-02-24 15:11:48 | Weblog
夏に『MATSURI TRIBE 06』という夏FESに出た。
友達がバンドの推薦をしてくれたらそのまんま通ってしまって出させてもらった。
その夏FESのオーガナイザーのユースケ君もからんでいるイベントです。
彼は若いのに、ライムスターやらスクービードゥーやらいろいろ仲がよい。うらやましい。
イベント詳細です。踊り場ソウルは深夜1時過ぎです。よかったらぜひ。

penetrar × POTRERO Presents
 [蹴球祭vol.2]
 OPEN&START 24:00
 DOOR¥2500/ADV\2000  共に1D付
(--- foot ball party!!!!!---)
DJ :
 MARIwO a.k.a 遊人.
 Right Eye.
 山本 学.
 イシカワアツヒロ.
 上田雄介.
LIVE:
  踊り場ソウル.
 登坂亮太

『シャンデリア』

2007-02-23 20:53:41 | Weblog
寒い季節。
夕焼の空にグラデーションがかかった。
駅から少し遠い喫茶店で数人の友達とお茶をして公園をゆっくり歩いた。
海と観覧車が見えた。

ふと友達が『踊り場ソウルはシャンデリアだね。』
と言った。

そうかな~と僕は思った。

もう一人の友達は
『それいいね。』
と言った。

僕もいいかもと思った。
空を見上げると夕焼けのグラデーションは消え夜空がひろがっていた。


2007年 
6月8日(金) 
踊り場ソウルデビューアルバム発売
『シャンデリア』

CD発売ライブ
7月19日(木) 渋谷クアトロ

ぴあぴあBOM

2007-02-22 20:55:02 | Weblog
下北のQUEの横に『ぴあぴあ』という飲み屋がある。

1年くらい前に曽根君がライオンチャーチがセルだったころに客席に間違いなく893だというメンズがいて、打ち上げてすごい低い声で
『俺、CD勝ったからな....』
と言われ
『......』

という会話をしたことがある。
その後、日本の格闘技のプライドとプロレスについて居酒屋のトイレの前で朝まで話してた事がきっかけで仲良くなった。
その人は『ぴあぴあ』で働いてる人で行くといつもすごいサービスをしてくれるのでついつい行ってしまう。
昨日はそこで須田君というミュージシャンと春過ぎにやるイベントの打ち合わせをした。まだ未発表の音源をこっそりもらったから楽しみだ。

その後キナコさんのイベントを見に440へ。
PLATONのTKCことアカギさんがやってる他のバンドをみた。
ゆるゆるで素敵だった。

そんな帰り道は渋谷クアトロに向けていろいろおもしろい事を妄想してます!



いろいろもろもろ

2007-02-21 02:00:17 | Weblog
先日の日曜日、新宿東口でイベントのフライヤーをつくりたいといってくれた人と会った。
いろんな条件がお互いにあったりして、いろいろ難しい事もあるが繋がりは大切にしていきたい。
その後、新宿西口で3月4日に出る恵比寿milkのイベントのオーガナイザーの村田さんと打ち合わせ。
その次は、新宿南口でmF247からきた五十嵐さんというカメラマンと打ち合わせ。
そして歩いてBOGALOOに行って田中さんといろいろ話す。

田中という年齢不詳の男前は、小さな代々木のライブハウスの店員というだけなのにここまでいろんな事が田中さん中心に動いているという事は彼みたいな人をカリスマというのだろう。
都内に沢山素敵なライブハウスがあるが、もちろんその中の一つにBOGALOOもある。ただお金をまわしているハコではないし、おもしろいことにあそこはライブハウスがリスクを背負ってバンドにかけている。
間違いなくこれから10年で何組もここでもまれたバンドが世に出て行くだろう。
例え、CDが売れないこんな時代でも世に出て行けることが出来るだろう。
間違いないと思う。そしてこれに関しては井の中の蛙ではない。

翌日、月曜日『laff RHYRHM』のBMG最終オーディションを見に行く。
知っているスタッフが沢山いて、いろいろぶっちゃけた話をする。
僕達の事を土屋先生、澤野先生という気さくな兄ちゃんはおもしろくて期待もしてしまう。
ただ僕達は2年前その兄ちゃんに発掘された。その発掘に関しては結果うまくいかなかったが、それでもまぁいいかと思えてしまうのは未来をみているからだろう。

『laff RHYTHM』のライブ後みんなと別れ、先日のイベント『ゴーストタウンvol.6』でもおなじみのINHAと打ち合わせをかねて二人で飲みに行く。
普段のライブ後、出演者とお酒が入った時にこんな話をすることが多い。

『また何か一緒にやりましょう~!!』

正直、社交辞令としてこんな会話はよくある。
INHAとも全く同じ話をした事がある。
ただお互い社交辞令ではなかった。
お互いのフィールドは違うとはいえ、アンダーグランドで勝負する気がさらさらないお互いのわけであって、パーティーチューンという言葉がアンサーである。
これに関してはかなり先になると思うけど時がきたときに.....






踊り場ソウル!レコ発!

2007-02-20 01:07:50 | Weblog
とにかくいろいろな事があった。
いい事もあったし悪いこともあった。
思い通りになったこともあったし、ならないこともあった。
きっとこれからもそんな事の繰り返しだろう。
でも、それも悪くないなと思った。

周りの景色はどんどん変わっていくけど、想いは変わらない。
僕達と共にスペシャルな夜があることを想う。



7月19日(木)
踊り場ソウル デビューミニアルバム レコ発
渋谷クアトロ
http://www.club-quattro.com/

僕はバレー部

2007-02-19 03:00:35 | Weblog
僕は中学校でトロンボーンがふけたこともあって、吹奏楽にはいろうとしたが出席番号準で僕の前の席の津田君の誘いを受けて、バレー部にはいった。
中学校の部活とは思えないくらいきびしいところだった。
まず文武両道でテストが悪いと練習もさせてもらえない。
あと挨拶が出来なかったり、声が小さいとずっと校庭を走らされた。
あと球拾いで重心を片足にかけただけで怒られた。
そのくらい増田先生という顧問は怖かった。

僕の代はもっくんというすごい身体能力をもっている人がいて、静岡県内でも有名だった。中2の夏に僕達の代になった時、増田先生がみんなにこう言った。

『俺は悩んでいる。もしかしたらこのチームは全国をねらえるかもしれない。
みんなで話し合い方針を決めよう。』

アツイしかとりえのない僕達はもちろん全国をねらいたいと言った。
その日から鬼の練習だった。
いま振り返れば中学生なのに山梨遠征とか神奈川遠征とかよくやったものだ。
父兄会も大変だっただろう。
丁度体罰が問題になった時代だったが毎日だれか殴られていた。
でも増田先生からはどこか愛を感じることが出来た。
折りたたみの椅子がとんできたときもあったが(笑)

静岡の新人戦で僕らは優勝した。
どのスポーツでもいろいろな楽しみ方がある。
増田先生が僕らに教えたかったのは、『勝つ』という事だった。
先生に僕はこう言われた事がある。

『土屋はとにかくミスをするな。点をとれるプレイヤーはこのチームにいる。
ただそのプレイヤーをいかせるプレイヤーがいない。チームで勝つには個人を捨てる事も選択の一つにおけ。』

当時僕はこれに納得が出来なくて自分なりの葛藤があった。
ただ人間とは都合のいいもので試合に勝てば納得できるようになっていた。
それを中学生という時期にやるべきかはわからないが僕はとにかく納得できるようになっていた。

中学3年の春季大会で決勝戦で負けてしまった。
これには相当落ち込んだ。僕達とは違って、全員で攻めて全員で守るというスタイルのチームだった。平均能力で負けたという感じだった。
オフェンスもディフェンスも僕達の方が出来たが連携がずばぬけて相手の方が出来ていた。

1995年 夏。
中学校の最後の大会にでた。予選は楽勝だった。
増田先生が今までみてきたチームで間違いなく最強というだけあって、僕達は自信に満ち溢れていた。
しかし、
県ベスト4で浜松の中学校に負けた。

僕は翌日、映画館にチームメイトとジブリの映画『耳をすませば』を見に行った。
帰りにマックで高校の進路についてみんなで話した。
みんなで静岡西高校に行ってもう1度バレーをみんなでやらないかという話になった。
僕は断った。

僕は高校に進学して、バンドをはじめた。
ただその高校のバレー部がメチャクチャ弱くて、楽そうだったので入部した。
あまりにも弱いのではいってすぐレギュラーになってしまった。
すぐインターハイ予選がはじまった。
中学校とはレベルが違いすぎた。
昔のチームメイトは球拾いをしていた。
僕は弱小高校で初戦で敗退するものの試合には出れていた。
中学とは全然違った。とにかく勝てない。
中学校の時の夏の試合で戦ったチームのエースが僕と同じ高校にいる事を知って誘いにクラスまで行った。
そいつは文句をいいながら翌日やってきた。
加賀という奴だった。
少し形になった気がした。
バンドをやるつもりがバレー部に力をいれてしまった。
2年になった時僕は、部長になった。

少したって中部大会にでて予選は突破できるチームになった。
その直後、加賀がタバコで停学になった。
一緒に校長先生の所にいって試合にでれるように頼みにいった。
加賀は泣いて土下座した。

高校3年生、最後の大会の前日の最後の練習の時。
体育館のトイレで加賀に一緒に誤ってくれてありがとうと言われた。
なぜか涙が出た。

翌日最後の大会。
初戦の相手は静岡西高だった。
スタメンのほとんどが僕の中学校のチームメイトだった。
この大会で静岡西高校は全国に名をひろめることになる。
そのチームから1セットとった。
僕達は善戦はしたものの初戦で負けた。
1998年の5月の事だ。
別に悔いはなかった。
やるだけやったという感じだった。

大学でバレー部にはいった。
高校とはいろんな事が違った。
時々近所の高校の試合を見に行った。
HAYABUSAのカズが当時コーチをしているチームだった。
やっぱ何かいいなと思った。



『結果より過程が大事だという世代の時代に
かける汗とかける自信は
最高の興奮だったと気づいた。』

打ち合わせ

2007-02-18 01:56:23 | Weblog
最近は打ち合わせ、打ち合わせ、打ち合わせ、打ち合わせです。
CD、レコ発、PV、写真、映画もろもろです。
全部が意味のあるような気がします。
いろいろもめているの前進している証拠でしょう。

昨日、夢に学生時代に好きだった女の子が出てきました。
なぜか腕に包帯を巻いていて怪我してました。
ベットに彼女がよこになってて腕をかばうように寝てて、僕はイスに座りながら寝顔をずっとみてて。
そしたら目をつぶったまま彼女は何かしゃべりだして....目が覚めました。

おおお......ってなりました。
あれは確か寝言ではなかった....
そんな朝に限って朝日がまぶしいです。


パークサイド

2007-02-15 02:40:25 | Weblog
幼い頃の思い出はいろあせてなかったが最近、ふと思い出すとなぜかセピア色だったりする。
11の頃はジャンプが教科書だったし、スラムダンクを読んで思わずバスケをやってみたくなったり、ジョジョを読んで旅にあこがれたり、アウターゾーンをよんできもだめしをしたくなったり、当時ジャンプではエロ本のジャンルにされていたビデオガールを読んで実はものすごく感動したりした。

そういえば、友達の女の子と下校中にとなりのクラスの男の子にいきなり殴られたことがあった。とりあえず怒りより、え???って感じだった。
男の子は走っていなくなった。
わけがわかんなかった。
1ヶ月後の放課後、そいつが謝りにきた。
かんちがいだったと言った。
むかついた。
僕はその後引っ越した。そいつは最後の言葉も謝っていた。
何年かたって、そいつをふと思い出して何やってるのかな?と思った。

中学を卒業して、工場に就職した彼はそこで事故にあって僕達より先にいなくなってしまった。
なぜ最後に彼を許せなかったのだろう。
どうでもいいのかもしれないが、胸につかえている。

僕の家の前に公園があった。
当時僕が住んでいた家はパークサイド。
宝石箱みたいなもんだ。

最近のレポートとPLATONとポメラニアンズと犬式について。

2007-02-12 23:05:00 | Weblog
踊り場ソウルの最近のライブを少しだけご紹介してくれたのでよかったらぜひ!

mF247 music 横田さん
http://www.mf247.jp/mfevent/supported.html#070125zherthezoo

HIP LAND MUSIC CORPORATION  鈴木さん
http://www.hipland.co.jp/rimilog/2007/02/cutmanbooche.html

POMERANIANS ザッキー先生
http://blog.drecom.jp/tokyo_jap/archive/42


どうでもいい話ですが最近の土屋お勧めバンドはPLATONです。
ちまたでは噂になっていたのでとりあえずCDを買ったのですがイエスタディトワイライトはまじでやばいです。
イエスタディトワイライトもやばいですが、『ひだまり』という曲もやばいです。
あと今更ですがポメラニアンズのレインボークライマーを買いました。
『Drivin' Holiday』『カワタレボシ』は名作ですが、『いつか越えて』という曲がやばいです。やばいばっかりですが....
うまく伝えれませんが、夜、終電逃して少し歩く気になったら聞いてください。
ライトが消えたビルなんかあったらぴったりです。
東京という街にしっくりはまります。

あと犬式の新しいCDが発売延期になったのはマジで残念。
何があってそうなったのかわからないけど。
ライブも中止だし。
犬式のフロントマン三宅さんのブログをみてもいろいろあるみたいだけど。
僕はイベント『ゴーストタウン』が少しずついろいろまき込んで大きくしたいなと思っています。踊り場ソウルと同じくらい。
そう思うようになったのは犬式、三宅洋平率いる『NBSA』をみてからです。
いつか並べたらと思っています。
音楽も思想も違うけどそれでもならべたらとマジで思ってます。
東京という街に犬式というロックバンドが存在することが僕達band manにとっても糧になります。
犬式復活を待ちます。









J.B.T. WALKER VOL.1" RELEASE PARTY

2007-02-12 10:27:10 | Weblog
club asiaにJ.B.T. WALKER VOL.1" RELEASE PARTYを見に行った。
かなりお客さんもはいっていた。
最初に何人かのラッパーが出てきて、かなり盛り上がっていたが、INHAが出てきた時、ドカーン!って感じだった。
INHAは出会って1年くらいたつが、INHAの知名度を改めて認知させられる瞬間だった。
彼は今年ソロデビューも決まり、今年が飛躍の年になれば僕もうれしい。

INHAのUNCHAINより抜粋

『空を舞う鳥、まるでオードリヘップバーンのように美しい自由と踊り』

フリーダムはなかなか見つけることさえ難しいが、INHAの歌詞を聞いた時僕は幼い頃の事を思い出した。
そこで一句。

『フェンスを越えた 風がふいた  夜の闇を静かに切り裂いた
新しい街へ向かう旅立ちの話 僕達の出会いと別れの物語
夜の闇はずっと続いていくような気がしたんだ
夜の闇は結果続いていく。』


重要なお知らせ

2007-02-11 00:05:32 | Weblog
今年の1月上旬、ブログを書いたがアップしなかった。
昨日laff RHYTHMのいっちーから許可を得たので重大な発表を。
いろんな出会いがあり、別れがあった。
それでも動かなくてはいけない。
いろんな出会いがあり、別れがあった。
踊り場ソウルとlaff RHYTHMの関係などどうでもよくて最後にlaff RHYTHMのファンが何を感じるか?
どこまでやれたのか?
何をどこまでやれたのか?
band man達よ。

僕はこう思う。
シーンとはつくるものだ。
できるものではない。
そして挑戦するものだ。
もう1度言おう。
挑戦するものだ。
チャレンジするものだ。
シーンとは偶然できるものではない。


2007年 1月8日

『本日2007年、1月8日深夜です。
今日はみちよしのライブを見に下北沢ベースメントへ。
ライブはよかったけど客層があまりそっち系じゃなくて残念。

昨日BOGALOOで新年一発目のライブでした。
ライブ後お客さんもけっこう残ったので、みんなでワイワイと飲みました。
少しずつ帰りはじめそろそろ僕らも帰ろうかなと思っていたらlaff RHYTHMの連中がBOGALOOにもどってきて。

僕はなぜか死ぬのが怖くないと思っていた時期があって。
ただ少し前にいろいろあって体調がやばい時があって、これもしかしたらやばいのかな?と思ったときにやっぱ怖いなと。
僕はいつか死ぬだろう。案外70まで生きるかもしれないけど、寿命があと半分のような気もかなりする。
バンドにも命はある。

僕達には忘れられない始まりがあった以上、終わりは必ずある。
これはもはや生き様だと。

4月14日(土)laff RHYTHM解散ライブ 代々木BOGALOO』

イベント関係もろもろ募集

2007-02-10 20:24:06 | Weblog
今週はいろんな打ち合わせがあった。
6月にリリースするCDの打ち合わせやらイベントやらレコ発やら。
いろんな人がからんできていて、もちろんうまくいかない事だってあるけれどまぁそこで愚痴っても仕方がないので出来ることからやって、それをでかいことにしていこうと。メンバー一同ワイワイ、ヘイヘイしながらやってます。今月中にはいろいろ報告できればなと思います。

そうそう昨年12月、下北沢440でやったイベントのオーガナイザーのキナコさんと下北沢で打ち合わせをした。
キナコさんとはいろいろからんでいきたいもんだ。

踊り場ソウルのゴーストタウンのイベントはかなりオープンなイベントにしたい。
んで新しい血は常にばっちこいでいきたい。
あとイベントを交差させてみたい。
出演したいとか、スタッフやりたいとか、フライヤーつくりたいとか、HPつくりたいとか、なんかよくわからないけどまぜろとか、DJやらせろとか、何でもいいからからめる『もののふ』はぜひ連絡ほしい。
代々木の小さいハコでやっていたイベントがいろいろまきこんですごいやばい事にしてみたい。
大人の祭り!
興味がある人はぜひ連絡を。

土屋      fumilife@nifty.com

コーホーコーホー

2007-02-07 22:41:26 | Weblog
先日、桜木町へ行った。

品川で、HAYABUSA CREWと待ち合わせをして旅を感じるために東海道線に乗る。
負けたらデコピンというよくわからないゲームをして、混んでる電車内で騒ぐ。
着いて、ぶらぶらする。

時間をつぶして、まーちゃんと池田さんの結婚式の二次会の打ち合わせにホテルへ。
大学の友達から結婚する人たちが出てきた。
池田さんは昔はちょっと怖そうな感じだったが、おちついてやさしい感じになっていた。
というか、まーちゃんもすごい大人になっていた。
まーちゃんと池田さん以外は全員どこかに蛍光色がはいっている服を着ていた。
僕らは何も変わっていない....

打ち合わせ後、ハードロックカフェに行って、軽く飲む。
今もお金ないけど、昔はもっとお金なかったから恵比寿で終電逃した時、朝までガーデンプレイスで1本の缶ビールを飲んでいたことを思い出した。
話している内容は変わらないのにね。

まーちゃんと池田さんと品川で別れて、結婚パーティーの仕込みを打ち合わせをした。演劇の練習みたいになっていた。

その後カズがうちに泊まりにきた。
電気を消して寝るまでにカズとはいつもいろんな事を話すが最終的にいつも漫画の話になる。
その夜、夢にウォーズマンがでてきた。
『コーホーコーホー』言ってた。

翌日、焼肉を食ってカズは帰っていった。