【リーダーにも知性と教養を、そして仁徳を
~ このごろ、なんだか 軽すぎる
~ ♪ 気楽に行こうよ 俺たちは の巻】
大正5年、夏目漱石は新進作家2人に2通目の手紙を書いた。
千葉の旅館に滞在していた芥川龍之介と久米正雄に宛ててーー。
「此手紙をもう一本君らに上げます。
君らの手紙があまりに溌剌としてゐるので、
無精の僕ももう一度君らに向つて何か云ひたくなったのです。
云わゞ君等の若々しい青春の気が、老人の僕を若返らせたのです」
この年、漱石は49歳で亡くなる。
文豪は、これから開花するであろう後進に
あせらず根気よく修業をするよう説いた。
ヒトはとかく馬になりたがる。
速さを、そして活躍と賞賛を求めたがるものだ。
が、牛のように超然と、ひたむきに努めよ
といったものだ。
「鈍牛」
こうあだ名された硬質の政治家が、この党を率いたことがあった。
読書家のクリスチャンとして知られ、「戦後政界指折りの知性派」との評もあり。
志半ば、首相在任中に急逝した大平正芳(1910~80年)その人である。
教条的あるいは空想的なイデオロギーが一定の支持を集めるなか
ある意味、無思想ながら日本の風土に妙になじむ党派には
個性的で尖がった鬼才、秀才が集まっていた。
今となっては、むかしのことだが……。
2021年は辛丑(かのとうし)――