囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

生き甲斐とは何か

2021年03月20日 | 雑観の森/心・幸福・人生

 


若い人はよく、

「生き甲斐がない」

といいます。

しかしそれは当たり前です。

孤立した人には

生き甲斐はない。

生き甲斐とは人間関係です。


 「青春の蹉跌」 石川達三

 

 

 

 


いま、なぜ、会則改正なのか の巻】

 

 

100人碁会の会則は、

「A41枚」に「19の条文」で出来ている。

熟読玩味すると、

重要な条文と、さほど必要のない条文が見える。

最重要条文は「第3条」である。

 


 3、目的

 囲碁を通じて、

 会員相互の親睦を図ると共に、

 棋力と品格の向上を目指す

 


ここに必要にして十分な目的が、

カチッと、したためられている。

①碁を打つこと

②交流・親睦を図ること

③棋力と品格を極めること

この順により、会をなすのであって

③→②→①の順ではない。

②と③は、①があって、その先にある。

 


会員数が増え、高齢化が進み、

世話人の仕事量が肥大化してきた。

当然、世話人のなり手がめっきりなくなり

自主運営組織はガタガタになっている。

会員のなかには運営協力を拒絶するという

なんとも無責任なヒトまで出てきた。

 


地域の碁会は互助・共助で成り立つのであり

カネを払いさえすればよい碁会所ではない。

会員が「お客」であると同時に、

「席亭(=世話人)」でなければ

やっていけない。

「碁は打ちたい。だが、人の世話はしない

そういう人は お店(碁会所)に行けばよろしい。

 


そこんところを、はっきりさせるため

ウイズコロナ時代になじまなくなった条文は削り、

原点に立ち返って、碁会の存続を図ることにした。

そうすれば、世話人の仕事量は必要最小限となる。

碁が打てる人なら、誰もが担えようになる。

 

世話人のわたしの最大のミッションが会則改定である。

全員が一堂に会しての総会が開催できない今

必要な手続きを踏み、半年ほどの時間を掛け

しかし、必ずやり切る。なぜか?

 

会員の多くが高齢であり、近場で気軽に安価に

週に1回の碁会を楽しみにしている。

昭和3年生まれの最高齢の有段者も

ほぼ毎回やってきて、元気に打っている。

 

 

▼同好会の会則。碁を打つことと、さほど関係の薄い項目も多く、

世話人の仕事も複雑多岐。必要なもの以外はバッサリ削るつもりである。

 

▼今年5月ごろから会則改正に取り組む。

時間を掛けて「最適」を模索するつもりである。



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