若い人はよく、
「生き甲斐がない」
といいます。
しかしそれは当たり前です。
孤立した人には
生き甲斐はない。
生き甲斐とは人間関係です。
「青春の蹉跌」 石川達三
【いま、なぜ、会則改正なのか の巻】
100人碁会の会則は、
「A41枚」に「19の条文」で出来ている。
熟読玩味すると、
重要な条文と、さほど必要のない条文が見える。
最重要条文は「第3条」である。
3、目的
囲碁を通じて、
会員相互の親睦を図ると共に、
棋力と品格の向上を目指す
ここに必要にして十分な目的が、
カチッと、したためられている。
①碁を打つこと
②交流・親睦を図ること
③棋力と品格を極めること
この順により、会をなすのであって
③→②→①の順ではない。
②と③は、①があって、その先にある。
会員数が増え、高齢化が進み、
世話人の仕事量が肥大化してきた。
当然、世話人のなり手がめっきりなくなり
自主運営組織はガタガタになっている。
会員のなかには運営協力を拒絶するという
なんとも無責任なヒトまで出てきた。
地域の碁会は互助・共助で成り立つのであり
カネを払いさえすればよい碁会所ではない。
会員が「お客」であると同時に、
「席亭(=世話人)」でなければ
やっていけない。
「碁は打ちたい。だが、人の世話はしない」
そういう人は お店(碁会所)に行けばよろしい。
そこんところを、はっきりさせるため
ウイズコロナ時代になじまなくなった条文は削り、
原点に立ち返って、碁会の存続を図ることにした。
そうすれば、世話人の仕事量は必要最小限となる。
碁が打てる人なら、誰もが担えようになる。
世話人のわたしの最大のミッションが会則改定である。
全員が一堂に会しての総会が開催できない今
必要な手続きを踏み、半年ほどの時間を掛け
しかし、必ずやり切る。なぜか?
会員の多くが高齢であり、近場で気軽に安価に
週に1回の碁会を楽しみにしている。
昭和3年生まれの最高齢の有段者も
ほぼ毎回やってきて、元気に打っている。
▼同好会の会則。碁を打つことと、さほど関係の薄い項目も多く、
世話人の仕事も複雑多岐。必要なもの以外はバッサリ削るつもりである。
▼今年5月ごろから会則改正に取り組む。
時間を掛けて「最適」を模索するつもりである。