「信州を紹介します」のコーナー第3回は、国宝5城のひとつ松本城です。
松本城は、長野県松本市に築城されたお城で、国の史跡として指定されています。江戸時代までに建てられて、現在まで残っている天守は12城ありますが、天守が国宝に指定されているお城は、「姫路城(兵庫県)」「彦根城(滋賀県)」「松江城(島根県)」「犬山城(愛知県)」と「松本城」の5城しかありません。
そもそも、国宝とは、「(国の)重要文化財のうち、特に優れたもの」であり、お城以外では、「中尊寺金色堂(岩手県)」「日光東照宮本殿(栃木県)」「東大寺大仏殿(奈良県)」「法隆寺五重塔(奈良県)」「平等院鳳凰堂(京都府)」「出雲大社本殿(島根県)」「嚴島神社本殿(広島県)」「大浦天主堂(長崎県)」などがあります。
さて、松本城は、下見板の黒と、しっくいの白との美しいコントラストが特徴的で、唯一の連結複合式天守である複雑な構造となっています。鉄砲による攻城戦を想定しているとみられ、石落しや狭間が多く、一方で後年に改築された際に創られた「月見櫓」という遊び心も持っています。
晴れた日には北アルプスの山々との美しい情景を望むことができます。
松本城は戦国時代の1504年に島立右近貞永さんが築城した「深志城(ふかしじょう)」が基になっているといわれています。1550年に 武田信玄さんが占領し、1582年に織田信長さんにより、武田氏滅亡、さらに同年に起こった本能寺の変などを経て、小笠原洞雪斎(どうせつさい)さんが治めました。その後、1582年に小笠原貞慶(さだよし)さんによって、「松本城」と名前を改め、松本の街を城下町として整備しました。
1590年に石川数正さんが城主となり、以降、大政奉還が行なわれた1867年までに城主は石川氏、小笠原氏、戸田氏、松平氏、堀田氏、水野氏の6家23名。が、松本城の城主を務めていました。
1634年に「月見櫓」や「辰巳附櫓」が増設され、現在でも増設された櫓(やぐら)を見学することができます。
明治時代になり、1871年には廃藩置県が行なわれ、松本藩は松本県になり、松本城の二の丸は県庁となります。また、同時に城郭の門が取り壊されはじめ、松本城の天守は当時の兵部省(ひょうぶしょう)によって管理され、お城としての機能を終えます。
1872年になりますと、松本城天守が競売にかけられ、235両1分永150文(約3000万円以上)で個人が落札しました。これを知った商人・自由民権家の市川量造さんを中心とした有志が立ち上がり、1873年から5回の博覧会を松本城天守中心に開催し、その収益と寄付金で天守を買い戻したとのことです。
1876年から1935年までは旧制松本中学校が松本城の敷地内にあり、本丸庭園を学校の校庭として使用していた時期を経て、1930年に国の史跡に指定され、これによって国が管理するようになりました。1945年に戦争が終結したあと、公園化が進められ、二の丸の緑化や博物館が設置されています。
ちなみに、松本城売店限定で松本青年会議所作成の寄付金付き「松本城マスク」が販売されています。
(2021年3月上旬の写真です)
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