「米軍基地のない平和な島」を願った日本復帰から47年目になります。
しかし、現在でも沖縄には1万8609ヘクタールと広大な米軍専用施設があります。日本中の米軍専用施設の実に70.6%。復帰後の専用施設返還面積は9283ヘクタール、約30%にとどまっています。沖縄県内には31の米軍専用施設があり、それは、沖縄県の総面積の約8%、人口の90%以上が居住する沖縄本島では約15%の面積を占めています。その規模は東京23区のうち13区を覆ってしまうほどの広大な面積です。
沖縄が本土に復帰した1972年当時、全国の米軍専用施設面積に占める沖縄県の割合は約58.7%でしたが、本土では米軍基地の整理・縮小が沖縄県よりも進んだ結果、現在では、国土面積の約0.6%しかない沖縄県に、全国の米軍専用施設面積の約70.1%が集中しています。
また、陸上だけではなく、沖縄県およびその周辺には、水域27カ所と空域20カ所が訓練区域として米軍管理下に置かれ、漁業への制限や航空経路への制限等があります。また、その規模は、水域が約54,938平方キロメートルで九州の約1.3倍、空域が約95,416平方キロメートルで北海道の約1.1倍の広大なものとなっています。
日米両政府は1996年に日米特別行動委員会(SACO)で普天間飛行場を含む11施設、5002ヘクタールの返還で合意しました。しかし、その後、全面返還が実現したのは5施設。近年では北部訓練場約4千ヘクタールが返還されましたが、6つの新たなヘリパッドの提供が条件となるなど、「沖縄県内移設」が前提の返還計画に県民からの反発は根強いものになっています。
一方、遅々として返還が進まない沖縄県とは逆に本土では次々と返還がなされました。サンフランシスコ講和条約が発効した1952年に本土に13万5千ヘクタールあった米軍基地は、1962年に3万ヘクタール、沖縄が復帰した1972年には1万9699ヘクタールまでとなっています。
1972年の時には沖縄60%、本土40%だった米軍専用施設面積の割合は現在ではさらに広がり、沖縄70%、本土30%となっています。日本復帰後に沖縄県への負担が偏る実態が数字でではよくわかります。
現在、政府は沖縄県民の民意に反して、米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への新基地建設を強行しています。嘉手納基地や普天間飛行場での負担軽減を名目に訓練移転をしても、外来機などの飛来により負担は減りません。嘉手納基地ではSACO合意に反してパラシュート降下訓練も繰り返されるなど、復帰時の県民の願いとは程遠いのが現実になっているそうです。
日本の求めに応じ、米国が普天間基地の返還に合意したのは1996年。その後の協議で、米国側が納得する移設先として浮上したのが辺野古でした。2006年には、辺野古沖を埋め立て、2本の滑走路をV字型に設置する現在の移設案で合意しました。
沖縄3日目の朝早くから、雨の中で車を北上する途中、偶然にも辺野古埋め立ての土砂搬出場所となっていると思われる名護市安和というところをとおりかかり、信号待ちで止まりました。そこは、国道沿いの出入り口に物々しい警備がされており、小さなプラカードを掲げている方が見かけました。
雨の上がった午後に辺野古へと向かいました。沖縄県の細かい地理が頭に入っていない私の目にいきなり、異様な風景が入り込みました。
何かの出入り口をふさぐように、10人近くの屈強な身体の警備員が小雨の中で後ろ手に組んで、蟻の這い出る隙もないように、真正面を向いて、乱れも見えずに一列に並んでいます。その姿から、背筋が凍りつくような緊張を感じました。
そこから数10m行ったキャンプ・シュワブ・ゲート前にも警備員の姿が見られ、道路を面した反対側には抗議行動の拠点となっているテントが多数建っていました。
キャンプ・シュワブを過ぎ、辺野古の信号を街側へ行きますと、「welcome」と掲示された小さな塔がありますた。静かな街中をとおって海沿いを目指していきます。少し行きますと、辺野古地区の南端、辺野古の海を見下ろす台地に佇む石碑がありました。
この石碑は「平和の塔」は日中戦争から太平洋戦争までの犠牲者を合祀し鎮魂と冥福を祈り、終戦50年を機に、設立されたものだそうです。そして、その後ろの海は辺野古の海です。
このクレーンの向こう側が埋め立てられてしまいます。
日米両政府が普天間基地の返還で合意して約20年。辺野古への移設を巡って、政府と沖縄は繰り返し協議をしてきましたが、主張の隔たりは埋まっていません。
2018年9月の県知事選挙で、移設反対を掲げた玉城氏が圧勝し、期待が高まった沖縄県。対話による解決を求めた玉城知事に対して、安倍総理大臣も会談に応じました。しかし、会談が終わると、政府は中断していた辺野古での工事を急遽再開します。沖縄県との協議は続けるとする一方で、土砂の投入に向けて準備を進めたのです。こうした政府の対応に、当然、沖縄県では反発が広がっています。
辺野古移転はやむを得ないことかも知れません。それでも、基地の問題で対立を続けるのではなく、政府と対話することで今後の沖縄ビジョンを明確にしていくべきだと考えます。ですから、力を持っている政府の今回のやり方には一方的であると考えます。安倍総理は自分の任期中に既成事実として起きたいと考えているのでしょう。
また、この辺野古に作られる基地が本当に必要なのか。どうして、本質的なところから解決しないのか、不思議でなりません。
ちなみに、この問題、全国ではどう受け止められているのか、NHKが2018年12月に行った世論調査では、政府が予定どおり移設を進めるという方針について、賛成が22%、反対が30%で、どちらとも言えないが40%でした。
今後、大きなポイントになるのが2月24日に沖縄県で実施される県民投票でしょう。9万人を超える沖縄県民の署名を受けて沖縄県が実施を決めたもので、辺野古の埋め立てに「賛成」「反対」「どちらともいえない」かを3択で問います。
沖縄は沖縄戦で多大な犠牲を強いられ、さらにアメリカの統治時代には本土にあったアメリカ軍基地の多くが沖縄に移転されました。その過重な基地負担は今も変わらず、軍用機の事故や軍関係者による事件に長年苦しんできました。
つまり、日本の安全保障のためのしわ寄せを受けてきたのです。だからこそ、沖縄だけの問題にせず、日本全体で基地負担の問題を考えてほしいというのが、沖縄の訴えなんです。
私は今、沖縄に住んではいません。だからと言って、他人事で済ませることはあまりにも無責任だと思います。移設工事を進める政府、基地負担に反発する沖縄県民。この問題は、私たちが暮らす日本という国のすべての人に関係する安全保障に帰属するものです。
他人事にせず、自分自身の問題として考えていかなければならない、そう思います。