三毛猫フクの視点

にゃあ~(日本語翻訳↓)
(「とある猫による『のどかな分析』集」)

三毛猫フクの平和教育

2015年05月09日 | 教育

「日の君だより」~平和教育編~①

 

 4月。それぞれの学校現場では一年間の教育活動の計画を共通理解する職員会議が行われます。今年も同じようにそれぞれの担当者が計画を提案していきました。平和教育についても提案されました。しかし、産経新聞や大分県教育委員会からのバッシングにあっている大分県内の学校現場にあって、この「平和教育」という言葉自体も管理職にとっては憚るべきものらしいです。昨年(2014年)10月には大分県教委から、毎年行っている年数回の平和授業の取り扱いについて「教職員組合が関与しているような実態がないようにしなさい」旨、各市町村教育委員会を通して各学校におろされてもいたようです。これまで数十年にわたり、平和授業や児童・生徒集会(←保護者や地域の人たちとの共同のイベントもあり)を時節に応じて行ってきた、保護者や地域の方々も承知の上での大分県の平和教育です。たかだか一商業紙からの問題提起でいとも簡単にこれまでの方針をかなぐりすてる大分県教育委員会の姿勢もさることながら、それまで現場で平和教育を「熱心に」取り組んできていた各小中学校の現管理職の面々が、「翼賛側」と同じ立場に立って学校運営をしようとする実態があります。「嘆かわしい」を通り越して「怒り」を覚えます。

前置きが長くなりました。これから、自身のこれまでの取り組みについて報告することとします。

 

1、4月。年度当初の職員会議で。

 「戦争がすでにそこに迫っている」。集団的自衛権行使容認の閣議決定は、この国がすでに戦争前夜にあることを如実に示しました。法案の中身もさることながら、決定の過程たるやこの国から民主主義が捨てられてしまったことも示されました。そんな社会情勢の中の学校現場です。

(1)  私たちに放たれた「ジャブ」

 昨年10月に大分県教育委員会からの通達めいた文書があり、それなりに気を遣っての提案をしました。すなはち、「『それまで教職員組合が使っていた用語』を使わない平和教育」の提案です。それでも管理職は敏感に反応します。曰、「これまでと同じような期日に執り行うような授業や集会はまずい。」「私(たち(←教頭か?))自身も憤りを持っている。」「何とか違う形で行えないか」と。

(2)  一筋の「光明」

 それなら、と幾人かの担当者と知恵を絞らせていただきました。予て「平和教育の日常化」を標榜し、しかし諸々の事情でそれが叶わず暗中模索していた私たちに一筋の光明が見えたのです。つまり、「これまでと同じような期日(指定)」ではない平和授業、「違う形での」平和への取り組み(=日常的な平和教育の取り組み)です。

(3)  ピンチはチャンス

 「三人寄れば文殊の知恵」とは良く言ったものです。これまで5月3日の憲法記念日に合わせて1日で行ってきた平和授業ですが、それを「憲法学習週間」と銘打っての取り組みを提起しました。具体的には4月終わりから5月の始めにかけてその「週間」を設け、「各教科」・「学活などの特別活動」・「生徒集会」・「課題」、などの場で日本国憲法に関する話題を取り上げ、生徒にその存在と意義を知らせ問う、というものです。簡単なポスターも作り、校内や各教室内に掲示しました。

(4)  次に私たちに放たれた「ストレート」

 管理職も黙ってはいません。校内・各教室に掲示するポスターには、『(見出し)4月終わりから5月初めにかけて「憲法学習週間」がある』こと、「(具体的な方法)平和憲法について知ろう。」「新聞やインターネットで調べたことを仲間と共有しよう」などの項目を載せていました。ところが、彼ら(当校教頭)からこのポスターに″クレーム″がつきました。これはズバリ、「ストレート」でした。

・・・『ポスターにある「平和憲法」という語句は変えられないか』というものだったのです。

(以下、次号)