こんばんは、ふじたろうです(^^)
先週末のことになりますが、この日は支部のFさん宅で高森顕徹先生の御法話をビデオで聴聞しました。
ちなみにFさんは、支部で最も家庭法話の施主をされており、テレビ座談会を含めると今月は5回です。
さて、この日は親鸞聖人の御和讃
「釈迦弥陀は慈悲の父母
種々に善巧方便し
われらが無上の信心を
発起せしめたまいけり」
について聞かせて頂きました。
奇しくも、翌日の座談会でもこの御和讃を通してお話くださいました。
「無上の信心」とは、私たちの人生の目的である、本当の幸福のことです。
私たちが本当の幸せになれるのは、阿弥陀仏やお釈迦様の、巧みなご方便によるのだと、教えていただきました。
御法話の中では、こんな古歌が紹介されました。
「父は打ち 母は抱いて悲しめば 変わる心と子や思うらん」
子供を悪戯をした時、お父さんは子供をパシッと叩いて叱ります。
子供は「お父さんは僕のことが嫌いなんだ(><)」と泣き出します。
するとお母さんがその子を抱いて「よしよし」と慰めてくれます。
子供は、「お母さんは自分のことを愛してくれているんだ(^^)」と思うでしょう。
子供にとっては、お父さんとお母さんは、心が違うように思えますが、本当は二人とも、子供のことを大事に思う気持ちは同じです。
一般に、父親は厳しく、母親は優しく、子供を躾け、そのおかげで子供は真っ直ぐに育っていくと言われます。
優しさばかりでもいけないし、厳しさだけでも、ダメなのでしょう。
無上の信心という子供を産むのは、阿弥陀仏というお母さんとお釈迦様というお父さんであると、言われています。
なぜ、お釈迦様が父親なのでしょう?
お釈迦様の教えは、「悪いことはするな。善いことをしなさい」という厳しい教えだからですね(><)