こんばんは、ふじたろうです。
久々の更新となりました。
昨日の大地震に、日本全国が騒然としています。
被災された方々には、心よりお見舞い申し上げますm(_ _)m
今回の大津波で、集落ごと波に押し流され、漂流している人が多くあるとのことです。
私たちが生きる姿も、ちょうど空と水しか見えない大海原に放り出され、漂流しているようなものだと言えるでしょう。
そんな私たちに、懸命に泳ぎ方のコーチをしているのが、政治、経済、科学、医学、芸術、文学、法律の役割と言えないでしょうか。
より快適に、より長く泳ぐために、お金や財産、地位や名誉、家族や恋人といった丸太や板切れを手に入れようともがき、すがりついています。
津波や火災によって家や財産、家族を失った人は、すがっていた丸太や板切れがクルリとひっくり返ってしまったということです。
新聞やテレビの報道を見ていると、こういった丸太や板切れを失ったことばかりを大問題としています。
しかし最も肝心なのは、
「何処に向かって泳ぐのか」
「なぜ、生きねばならぬのか」
ではないでしょうか。
必死で手に入れた丸太や板切れを失うことも、悲しく辛いことには違いありませんが、丸太や板切れは泳ぐ為の手段です。
船や陸地のある方角が判らなければ、どれだけ懸命に泳いでも、沢山の丸太や板切れを手にしていても、最後は溺れ死ぬしかありません。
救助の大船があることと、その方角を明らかに示すのが、仏教の役割であり、受け持ちなのです☆
平凡な生活のまどろみが破られる、
とはこういうことを言うんでしょうね。
まことあることなし、の世の中で、
まことを教えられている真実の仏教を
はやく聞きぬかなければと知らされます。
日中に地震があったことだけを知り夕方にニュースを見て我が目を疑いました。
これは本当に現実なのか・・・・
悪夢ではないのか・・・・
初めて見る大地震に言葉も失い、何もかもが総崩れになる様を、ただ呆然と見つめていました。
日頃から聞かせていただいている通り私自身も、この世は無常と判っていても自分の身に降りかからないと実際には解るものではないとハッキリ知らされました。
仙台に住む親類は連絡が取れず、栃木の大切な家族は電化製品や家財道具が壊れたと言っておりました。
全てのものと別れていかなければならない・・・・
たった何メートルの違いで津波で流されていく家屋と何一つとして壊れていない家屋、その差こそ因果の道理なのだと思いました。
しかし、全ては相対の幸福、真の幸福になる道は仏教にしかありません。この地震で尊い命が助かった人達に仏法を聞いていただきたいと念ずるばかりです。
ブログの更新がなかったので、病気でもされているんだろうかと心配していました。
久しぶりの更新を見て、安心しました。