goo blog サービス終了のお知らせ 

浄土真宗親鸞会 射水市周辺地区の紹介

富山県射水市を中心に、勉強会や講演会を開催している、浄土真宗親鸞会一支部の、日々の活動もようを紹介しています。

親鸞聖人の逞しさの秘訣

2010年01月05日 | Weblog
 こんにちは、ふじたろうです(^^)
 
 昨日の内容を続けます。
 
 阿弥陀仏に救われると、どんないいことがあるのか?
 
 親鸞聖人は教行信証に、10の幸福が獲られるのだよと、『現生十種の益』と教えておられます。
 
 今日は、その中のまず1番目、『冥衆護持(みょうしゅうごじ)の益』について、高森顕徹先生の解説を紹介したいと思います。
 
 「金剛の真心」とは四重の破人(如何なる人)から総攻撃されても微動だにもしない真実の信心ということである。五趣とは迷いの世界、地獄界、餓鬼界、畜生界、人間界、天上界の五つの境界を言うけれども、これを死後の世界のみに考えず、現在の心の中に動く五趣の苦悩渦巻く世界を金剛の真心を獲得すれば感謝と懺悔の心で明るく力強く生きぬかせて頂けることを教え八難とは地獄界、餓鬼界、畜生界、聾盲瘟痾、長寿天、辺地、世智弁聡、仏前仏後の聞法難をいい地獄、餓鬼、畜生、聾盲瘟痾の四種の難は苦に攻められるが為に教法に遇うことが出来ない。長寿天、辺地は反対に楽に溺るるが為に真実を求める心がおきない難がある。世智弁聡というのは世間的な悪智慧が発達している人々をいい、屁理クツばかり並べていて仲々仏法に耳を傾けないのである。仏前仏後は善微なるが為に、聞法の縁がないのである。これらの八難の世界を超えさせて頂き「五濁悪世の衆生の選択本願信ずれば、不可称、不可説、不可思議の功徳は行者の身にみてり」(高僧和讃)十方法界の功徳を全領するのだから自然の徳として現生に於て十種の利益を得るのである。しかし、十種といわれているが、決してこれは数量をいうのではない。十は満数で無量の意味であるから『文類聚鈔』には「また現生に無量の徳を得るなり」と教えられているし、『和讃』には「この世の利益きわもなし」とあることによっても明らかである。
 先ず冥衆護持の益とは、冥とあ、かたあかりということで、こちらからは見えないが向こうからはよく見えるという字で、丁度、スダレをつった時のようなもの、我々の方からは見えぬが向こうからは我々の一挙手一投足までよく見そなわし護って下されるということである。
 『教行信証』行巻には『十往生経』から引用して「もし衆生ありて阿弥陀仏を念じて往生を願ずればかの仏、即ち二十五の菩薩をつかわして行者を擁護してもしは行、もしは住、もしは坐、もしは臥、もしは昼、もしは夜、一切の時、一切の処に悪鬼悪神をして、そのたよりをえしめざるなり」と説き、『歎異鈔』には、この見えざるての援護と支持を「念仏者は無碍の一道なり、そのいわれ如何となれば、信心の行者には天神地祇も敬服し、魔界外道も障礙することなし、罪悪も業報を感ずること能わず諸善も及ぶことなき故に無碍の一道なり」と喝破なされた。

 みは弁円の剣の下をくぐりながら「南無阿弥陀仏を称うれば、梵天帝釈帰敬す、諸天善神ことごとく、よるひるつねにまもるなり」「南無阿弥陀仏を称うれば、四天大王もろともに、よるひるつねにまもりつゝ、よろずの悪鬼を近ずけず」「南無阿弥陀仏を称うれば、炎魔大王尊敬す、五道の冥官みなともに、よるひるつねにまもるなり」「南無阿弥陀仏を称うれば、他化天の大魔王、釈迦牟尼仏のみまえにて、まもらんとこそ誓いしか」「天神地祇はことごとく、善鬼神となづけたり、これらの善神みなともに、念仏の人を護るなり」「願力不思議の信心は、大菩提心なりければ天地にみてる悪鬼神、みなことごとくおそるなり」たくましき聖人の御一生がうなずけるではないか。

 親鸞聖人のたくましいご一生の秘密が、ここにあるようですね(^^)
 

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
たくましい親鸞聖人 (gami)
2010-01-06 06:54:18
何者にも妨げられることのないお姿は、
阿弥陀仏から頂く信心あればこそと
知らされます。

返信する