海底人(正ちゃん)のつぶやき

お気軽に読んでたもれ!

311は思い出したくないが,一歩づつ前へ進みましょう!

狼子野心

2007-12-17 | Weblog
人間が,犬とは仲良しであるが,狼とは相性が悪いようだ。
狼を生まれた時から飼えば,人に馴れそうだが,現実は決して人に飼い慣らされることはない。
「狼は子であっても野性を失わない」のが,狼子野心なのである。

狼の子は狼,蛙の子は蛙,ライオンの子はライオンなのだ。
それぞれ動物が持っている習性のなせる技なのだが,必ずしも名優の子は名優,名人の子は名人とはならない。
名人の子が普通の人だったり,トンビが鷹を生むこともあるのだ。
だから人生はおもしろいのかもしれない。

井上靖の「あすなろ物語」にあるように,あすなろ(翌檜)が,あすは檜になろう,あすは檜になろうと一生懸命考えて頑張っていれば,いつかは檜になれるかも知れない。(小説では悲観的ではあったが)

全国大会で優勝した監督が,「優勝の秘訣はなんですか?」との記者の問いに
「優勝するまで努力することです」と答えていたことがある。
狼は,いつまでたっても狼であり,人に馴れることはないが,凡人はいつかは名人になれるのである。

スタート地点は皆同じ,要は努力するか,努力する方法を知っているか,夢があるかで行き先が違っているだけなのでないかと思うのだが。
ただ,狼は狼の誇りを失うことがないから変わらないということもある。

なんだか難しくなってしまったのでこのくらいにしよう。

閑話休題

2007-12-11 | Weblog
短歌とも川柳とも違う,「創句」なるものがある。
永 六輔さんが提唱しており,一般からの投稿ばかりなのだが,これがなかなか含蓄のあるものが多い。
その中から

「手を洗うように心を洗いたい」
 いつも心をきれいにしていたいものです。

「人生まぜごはん」
 どこかの首相が人生いろいろと言っていましたが,人生はいろんな味がしていいですよね。

「バッティングセンターで球を見送っている」
 三振もフォアボールもないのですが,きわどいボールは見送るんですかね。釣りに行って,釣り談義に花を咲かせてしまう自分をみるとあまり強くいえないですけどね。

「『毎度ありがとうございます』と言われそうな病院の受付」
 私の親も病院通いのため,毎月支払いがあります。また来てくださいなんて言われたらどうしよう。

「たった一度しか死ねない人間の弱さ」
 アニメや映画の世界なら何度でも生き返ることはありなんだけど,生身の人間は一度しか死ねない。強い人間なんていないんだよね。

「母さんが夜なべをして妹をつくってくれた」
 妹をつくるにも夜なべをしないとならないんだ。母さんも父さんも寝てる暇がないんだねえー。

心の持ち方

2007-12-10 | Weblog
清水寺の大西良慶和上は,
「人間は善いことをできんでもいい。『あんな善いことをしたいなあ,こんな善いことをしたいなあ』と思っているだけでいい。そのかわり悪いことは思ってもいかんよ」といっていた。

こころ内に動けば,おのずと色外に現れる。

人は,心で思った方向に体が動く生き物であるらしい。
楽しいことや善いことを常に思っていれば,幸せな出来事が起きるというもの。

人の心は,賢と愚,善と悪,それぞれ併せ持っているものである。
心の持ち方でどうにでも転ぶ。ならば善いこと楽しいことに心を向かわせようではないですか。

釣りも同じなのであろうか。うまくなりたいと思えばいつかは名人になる日もあるだろう。
名人になるまで頑張ればいいのだな。うん,そうだ!

猫啼温泉

2007-12-07 | Weblog
国道118号線を水戸から須賀川に向かって行くと磐城石川に猫啼温泉がある。
裏磐梯に行く時にはいつも素通り,しかも恥ずかしながら由来はついぞ知らないでいた。

先日思い立って調べてみたら次のようである。
「今を去る先年の昔,平安中期の女流歌人和泉式部は,石川の地に生まれ,少女の頃こんこんと涌く泉のほとりにくることを楽しみとしながら美しい少女へと育っていった。式部は,「そめ」という愛猫も飼っていた。
その後,式部の美しさは広まり,一条天皇のころ都へ迎えられることとなった。都へ行くにあたって,猫は置いていかざるを得ず,取り残された愛猫は式部を慕い,病み衰えていったのである。
しかし,泉に浸かっているうち次第に元気になり,美しい猫になっていったとさ。
泉に浸かった猫が元気になったことを知った里人は,この泉水を汲んで入浴したら病気が治ったので,この里を「猫啼」と名付け,湯治場を設けた。
これが猫啼温泉といわれるようになったとのことである。」

霊泉あらたかな名湯は,隠れた温泉として現在2軒の温泉宿がある。
秘湯といわれそうだが,国道からは丸見えなのだが・・・
犬が見つけた宝ならぬ猫が教えた温泉となるのだろうか。
機会があったら入ってみよう。

禅問答その2

2007-12-05 | Weblog
第2の公案です。
「カギ穴から入ってこい」

あの小さいカギ穴からどうやって部屋に入ることができるだろうか。
迦葉尊者が弟子阿難に問いかけたのが始まりとされている。
カギ穴に目をくっつけると部屋の中はかなり見通せるもの。また,カギ穴から聞こえてくる声や音は室外にいても目をつむると手に取るように分かるものである。

カギ穴から部屋の中に入らなくても自分の心は自由に移動できるものである。
自由な心があればカギ穴などあってなきがごとし,おのれを無にすれば障害物などないものである。
すなわち,堂々とドアを開けて入ればいいということになる。
ここで言っているのは,「何ものにもとわられない自由な心」を持ちなさいということ。
暑ければ暑いように,寒ければ寒いように,金がなければないように自然のままに自由に生きる心を持ちなさいといっている。

浮き世のしがらみは必ずついて回るもの。ひとつひとつにこだわらず大全自若と過ごしたいですね。
一休さんのアニメにあった「このはしわたるべからず」で,一休さんが橋の中央を渡ったのは,とわられない自由な心の結果なんですよね。
そうです,のんびり行こうではありませんか。

前回の話になるが,人間には賢さと愚かさを併せ持っているである。その人間の賢なる右手と愚なる左手が勢いよくぶつかると「パン」と音が鳴る。人間には賢さと愚かさを併せ持っているのだから,自分は何もできないなどと悩まず,自分がもっている賢さと愚かさをよく知り,これを生かしなさいというのが答えとなっている。
なかなか自分はすてたもんじゃないと思うことですな。
がんばろう!・・・ 日本?

禅問答その1

2007-12-02 | Weblog
私は,宗教家ではないが,昔から禅に興味があって耳学問を積み重ねてきた。
禅には座禅,公案禅などあるが,入信しなくても自分で修行をすることが可能である。

その中から,公案禅(いわゆる禅問答)をひとつ。
白隠禅師が創案した
「両掌相打って音声あり,隻手に何の音声かある」
を考えてみたい。

両手をパンと打ち鳴らし,さてその音はどちらの手で鳴ったのか。というのが問題。
どちらの手で鳴ったのでしょうか。
本来は,座禅をしながら,自己の内面から答えを見つけることになる。
この答えを考えることに禅の修行の意味があるので答えは次回としたい。

ヒントは,とらわれの心を捨て去るところから発想が生まれてくる。
考え抜くことが必要であり,目的意識を持つことが一番大事なことになる。
100万円貯めたいという意識を持たないとなかなか100万円は貯まらない。
宝くじも買わなければ当たらないのだが。

人は賢さと愚かさを併せ持った生き物なのだ。