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『インド航路の発見 』 ・・・
後世、こんな言葉で語られる勇気あるチャレンジ ・・・
それを成し遂げたのが、
ポルトガルの探検家 ヴァスコ・ダ・ガマです。
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1460年生まれ (1469年という説もあり ) の
ヴァスコ・ダ・ガマは、地動説を唱えた
コペルニクス (1473年ー1543年 ) と同じ時代の人物です。
地球のことすらよくわかっていなかった時代に、
星を頼りに海の果てを目指した英雄です。
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1497年7月8日、ポルトガルのリスボンを出航した
ヴァスコ・ダ・ガマ率いる船団は、
アフリカ大陸の南端 喜望峰を越え、
およそ10カ月をかけ、
翌年1498年5月17日、南インドのカリカットに到着しました。
カリカットは コーチ の北にある港町です。
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1502年、ヴァスコ・ダ・ガマは大船団を指揮し、
再度インド南部に来航しました。
時はまだ ムガル帝国 成立以前 ・・・
群雄割拠のインドです。
この時、ポルトガルはコーチを手中に収めました。
アジアにおける
ヨーロッパ列強による植民地化の始まりです。
ポルトガルは、
いち早くコーチに (現旧市街のあたり ) Fort = 要塞を建設。
そのためコーチの旧市街は、
いまも 『Fort Kochi 要塞のあるコーチ 』
と呼ばれています。
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1524年9月、ヴァスコ・ダ・ガマにとって3度目のインド来航。
同年12月25日、ヴァスコ・ダ・ガマはコーチで病死。
植民地化に際しヴァスコ・ダ・ガマがとった作戦 ・・・
つまり、大船団で来航し
海側から圧力をかけるという手法は、
その後 ヨーロッパ列強の常套手段となりました。
そして、ヨーロッパ列強の支配は、
アジアを東へと移動していきました。
さらに、列強にアメリカが加わりました。
1853年の 『黒船来航 』 はその好例です。
地球を西へ ・・・
これまでに撮影・取材したおもしろい場所を紹介しています。
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