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TV-CMおよびTVドキュメンタリー番組のディレクター & カメラマン

丸山町 歴史の忘れ形見 1

2021年01月08日 | 国内旅

かつて 山の口 と呼ばれた場所に立つ
丸山交番 ・・・
謂れがありそうな佇まいですが、
ただ交番用に建てたものだとか。



交番の横には
めずらしいかたちのポリスバイク。
坂道の多い街には
このタイプが適しているのでしょうか。



交番の隣りは、



丸山公園 ・・・



そこには、



坂本龍馬の像。
明治維新は長崎から ・・・
龍馬と グラバー のつながりが
おもしろいですね。



交番を左に曲がると史跡 『花月』 ・・・
江戸時代につくられた茶屋です。

注: 現在は料亭 『花月』 として営業中



江戸時代、官許丸山華街は、



政財界人、文化人が集う
一大社交場だったそうです。
時には南蛮人も。



花月の門の前には
『頼 山陽 が贔屓にした場所』
との石碑 ・・・



頼 山陽
(らい さんよう 1781年ー1832年)
大坂生まれの思想家、漢詩人。
江戸後期を代表する文筆家の一人。



大坂の文化人が足しげく通った丸山町。
江戸後期の先進国際都市長崎の様子が
窺えるエピソードですね。



また、史跡 『花月』 碑の横には
松尾芭蕉の弟子 向井去来 の句 ・・・
『いなづまや どの傾城と かり枕』

拙訳
『空には稲妻 ・・・
 さて、今宵はどの遊女と
 かりそめの一夜を過ごそうか』

注: 稲妻は秋の季語
   傾城(けいせい) とは遊女のこと

私は、
『かり (仮) 枕』 という言葉に
寄る辺なき人生の無常を感じます。



向井 去来
(むかい きょらい 1651年ー1704年)
俳人。 蕉門十哲の一人。
京都嵯峨野の 落柿舎
建てた人物として知られる。

歴史の点と点が、
またここでも になりました。

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2 コメント

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風情がありますね! (nasaki)
2021-01-11 02:05:53
遊女より傾城の漢字は趣がいいように思えます。かつての那覇の浮島にも思案橋があったように、遊女を傾城とこちらの史書にも記述があります。
返信する
Unknown (JFK)
2021-01-11 07:19:48
nasaki さん、コメントをありがとうございます。
沖縄は大好きな場所です。
nasakiさんのブログを楽しみにしています。
返信する

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