ふーが日記

我が家の愛犬(シベリアン・ハスキー)の風雅との楽しかった思い出と、新たに家族になった清雅との日々を綴った日記です。

一周忌

2015-03-28 | ハスキー
風雅が虹の橋を渡って1年が経ちました。
特に一周忌法要とかもせずに、ただ風雅の遺影といつもより長く会話をしました。
(遺影は皆さんから頂いた花をお義母さんがドライフラワーにして作ってくれたもの)

風雅を失った直後は、深い悲しみに毎日風雅と一緒だった過去に戻りたいとばかり思っていました。
それでも、我が家に笑顔を運んできた風雅のことで悲しみに浸っては駄目だと踏ん張る毎日でした。
通勤の車の中で、小田和正さんの『たしかなこと』ばかり聞いていました。風雅が病気になった後でよく聞いていた曲。

そんな時に、とりゅふママがキングフィールドに赤ちゃんが生まれる事を教えてくれたのです。
そして、清雅が我が家にやってきてくれました。
それからは清雅を育てるバタバタの中で、風雅は大事な思い出として、大事な宝物になりました。
清雅の存在が過去へばかり思いを寄せていた私を現在に引き戻してくれたのです。
思い出の中の風雅は笑顔です。亡くなったばかりの時は、病気の時の悲しい顔が思い出されましたが、今は笑顔で私達のことを見守っていてくれていると思っています。

私が『風雅はパパっ子だったけど、清雅はママっ子だなぁ』とママに言うと、
ママは『そうかなぁ、風雅もママっ子だったよ』と、譲らないんですよね(汗)
清雅はあきらかにママっ子なんだから、風雅のパパっ子は私に譲って欲しいのですけどね。
そんな訳で、風雅はママっ子で、かつ超パパっ子でしたというのが私の見解です(^^)

私が小学生の時に、死ぬのが怖い時期がありました。けっして病気や怪我をした訳でもないのですが。
自分が亡くなった後も、世界が続くのが怖かったのです。自分の存在が主体である自分を通してしか意識できなかった頃でした。
変な子だったなぁと、今更ながら思います。
風雅は亡くなってしまいましたが、私達夫婦の中で今も思い出として存在しています。
私自身の存在が消えるまで、風雅の事を思い続けていきたいと思います。
人間の脳の使われていない部分が活性化するのであれば、風雅の思い出が五感で感じることが出来るように使われて欲しいと思う今日この頃。

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