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情報のパンくず置き場

ログ14

2020-05-19 22:26:15 | 日記
ポール・A・チシュ (Paul A Czysz)

エアブリージング推進の熱力学スペクトルについて
体マッハ飛行体制における高速機のエネルギー解析
AJAX技術の先進的なSSTO設計コンセプト

https://medium.com/@timventura/paul-czysz-on-hypersonic-aircraft-suborbital-spaceplanes-92ed10537ee6

空軍士官のポール氏は彼の同僚が90年代初頭に、研究開発テスト基地の一つを訪問した際、財務報告書に「オーロラ(SR-91)」への高額な予算項目があるのを見たと話した。彼は、このマッハ6の超音速機が存在すると考えている。

「存在するだろうね。作るのに魔法なんてのは必要ない。60年代半ばにマクドネル・ダグラスで一緒に働いていたグループが当時作っていたと確信していたよ。」

「私たちはライトパターソン空軍基地のメル・バック (Mel Buck) 氏のために2つの超音速機の模型を作り、圧力測定、力の測定、熱伝達率を得るためのサーマルマッピングのテストを行ったんだ。低速からマッハ6 – 8まで私たちはこれらの模型で1,300時間以上の風洞試験をしたんだ。」

[ 技術的には少なくともオーロラは軍需品の一部になるかもしれません。今までにこのような航空機が本当に現役であるという証拠を見たことがありますか? ]

「作られたのかどうか、それは大きな問題だね。ある人が教えてくれたんだ『私は昔一緒にあなたと仕事をしていました。あなたが見覚えのある機体の隣に立っていますよ』という奇妙な電話が夜中にかかってきて、それで電話は切れたんだ。恐らくオーロラについては噂通りだと思うよ。」

[ このような奇妙な電話は、超音速航空宇宙工学におけるあなたの驚くべき経歴を考えれば、理にかなっているのではと思います。1986年のチャレンジャー号の悲劇の後に、レーガンがスペースシャトルの後継機と称して宣伝した、国家航空宇宙機プロジェクトの主任科学者としてのあなたの役割は、全盛を誇っています。] 

「私は1958年にライトパターソン空軍基地に入軍した。スプートニクが打ち上げられたときには全員が再配属されたけど、私の場合は飛行力学研究所の人たちと一緒に高温超音速テスト用の風洞に配属されたんだ。メル・バックは航空機側の責任者の一人で、ディック・ニューマン (Dick Newman) とアル・ドレイパー (Al Draper) は超音速グライダー側で、今日私たちが宇宙船/宇宙探査機(Spacecraft) と呼んでいるタイプを乗り物として研究をしていたんだ。」

「私が63年に退職してマクドネル・エアクラフト社に就職したとき、最初に関わったのは超音速インパルス風洞だった。空軍基地でマッハ12 (14817km/h)の機体のテストをしていたんだ。66年には先進設計グループに加わり、そこで私が取り組んだプロジェクトの1つは、マッハ6 (7,408km/h) の超音速機で、戦闘状況下では燃料補給をせずに約1,500海里(2,778km)、航続距離約4,000海里(7,408km) を飛行するものだった。
これにはいくつか異なるバージョンがあって、一つは米国沿岸から発射された潜水艦の弾道ミサイルを撃墜するためのもので、もう一つは基本的にGIUKギャップ(海戦上のチョークポイント)を通過してくるソビエト船を妨害するためのものだった。」

「マッハ6の迎撃機をニューヨーク地区から飛ばした場合 GIUKギャップに到達するまで、 最速のソビエト船でさえ約10マイル(16km) 以上の移動できなかっただろうね。だから単純なレーダー感知でも最終確認した位置情報を利用して航空機は3.5Gで旋回することができ、最後のレーダー感知点の周辺を一周して探していた船を見つけることができる。この機体にしてはなんら難しい操縦ではありませんよ。マッハ6の迎撃機はF-15のフルアフターバーナー時よりも3.5Gでの旋回時の燃料消費量が少ないんだ。船を最終確認した位置へ迅速に到達し、周りを旋回して飛行することができる航空機を持っているということだね。船の向きが変わろうがその捜索範囲内にいることに変わりはないので、即応性の高い武器としても非常に有効だ。」

[ 超音速機のコンセプトに関しては、敵ミサイルから逃げる必要性から生まれたのではないかと思っています。U-2(偵察機)の戦略は単に高く飛ぶことだったようですが、オーロラは別の解決策としてより速く飛ばそうとしているのでしょうか? ]

「それはミサイルを負かすことではなく応答時間(応答の待ち時間)の問題だよ。例えばキロフのような巡洋艦は側面速度(船舶の最大速度)で約32ノット(60km/h)、つまり時速32海里で航海することができ、巡洋艦は約6マイル(9.6km) 水平線から離れているので機体に乗っていなければ見えず、見つけるためには巡洋艦が遠く移動してしまう前に探知ポイントに到達しなければならなない。」

[ つまり、最後に確認した探知先にたどり着くまでに4~6時間かかると船の捜索範囲の半径が大きくなってしまい、それだけ探すのが難しくなるということですね。 ]

「そう、応答時間が遅いと、あなたは目的物を見つけることはできない。 船は完全にあなたの検索範囲外になるね。しかし、もしあなたが45分とか1時間半でそこにたどり着くことができれば、船はあなたが最後に知っている位置を中心に飛行しても船は円の中にいることになる。さて、このマッハ6航空機のもう一つの用途は、弾道ミサイルの迎撃だ。潜水艦が海岸沖に現れて弾道ミサイルを発射したとしても、超音速キルミサイルを搭載した適切な種類のマッハ6航空機を持っていれば、上昇中の弾道ミサイルに命中させることができる。」

「これらはエアターボ・ラムジェットエンジンを搭載したもので、Pratt&GEの設計でした。我々は海軍用のマッハ4の甲板発射迎撃機とマッハ12の機体を持っていました。
これらは【超音速研究施設調査(Hypersoni Research Fracilities Study)】と呼ばれるNASAの研究に使われてました。地上試験施設 - 飛行試験施設を比較して、どちらが運用可能な高速航空機を作るために多くの情報を提供してくれるかを確認するもので、地上試験施設は非常に高価かつ部分的な問題にしか対処できなかったため、飛行試験機が圧勝したんだ。」

[ 興味深いです。実際にテストされた機体で、これまでに超音速機が到達した最高速度はどれくらいなんでしょうか? ]

「少なくとも公の場では超音速施設の研究は完了していなかったのでわかりませんね。しかし、機密コミュニティの中に我々よりも遥か先の研究を進めていたかもしれないプログラムが存在していたんだ。X-7はロッキード社のスクラムジェット研究機で、砂漠に突き刺さって再復活した機体は、おそらくマッハ7か8を超えていたと思う。私のグループは、マッハ12を超えた航空機エンジンをテストしていた。トンネルがまだ稼働していたときにタラホーマ(テネシー南部の都市)の下でマッハ20か22まで行ってたいくつかの超音速滑空機データがあったよ。」

[ この過程でテストパイロットを亡くしたことについて話していますよね?あなたが言っていたことを覚えています超音速での空気力学は非常に直感的でないと…。 ]

「いえいえ、実際にテストパイロットを失ったわけではないよ。(直感について)私が言及していたのは超音速飛行シミュレータでの訓練中の空気力学のことだ。マッハ8~12のスクラムジェットでは、機体底部がエンジンになっていて、エンジンがより多くの推力を出すためには、エンジンの占有面積を増やす必要がある。F-15が搭載されているエンジンへの気流を制御することで、推力水準のポテンシャルをコントロールすることができるんだ。これは可変占有入口面積を取得する方法だよ」

「だからスクラムジェット機の推力を上げようとするならば、その機首角を大きくしなければならない。2~3度だけね。それにもかかわらず、スロットルを進めると機首が上がってくるので、それは何か問題があるからだと考えるパイロットにとっては 非常に直感的ではないだろうか。」

「シミュレータでは、パイロットは機首を上げているのではなく、スロットルを前進させていた。ラム圧縮エンジンからより多くの推力を得るためには、捕捉面積を大きくする必要があり、捕捉面積を大きくする方法は機首を引き上げることだ。そして、機体の底面全体がエンジンなので、補足面積が増える。」

[ 1993年にビル・スウィートマン(Bill Sweetman)のポピュラー・サイエンスの記事が出るまで、ほとんどの人はオーロラの噂にも気付いていなかったでしょう。記事 "真珠の紐"ではUFOが北カリフォルニアの上空で西風に飛行していると報告され、その後しばらくしてカリフォルニア州南部を飛行して戻ってきたと書かれており、これはオーロラの存在を証明する外部燃焼エンジンの証拠ではないかと思った熱狂的なオーロラのファン達の間で話題になりました]

「”鎖状のドーナツ”というのが一般的な言葉ですが、これはスウィートマンが話していたUFOの報告よりもずっと前にさかのぼります。私たちが関わった航空機は、少なくとも64-65年にさかのぼる。60年代半ばにマクドネルの先進設計グループにいた時には、このような航空機を作ることができると確信していた。これを作ることができたんじゃないかとね。まったく挑戦することすらできなかったでしょうが。」

「”鎖状のドーナツ”なんて基本中の基本でしかない。フレッド・ビリック(Fred Billick)がジョンズ・ホプキンス大学でスクラムジェットを走らせていたのを見たことがあれば、何が起こっているのかがよく分かるはずだ。絶対に安定した衝撃圧縮エンジンは存在しない。大気のわずかな変化や他の変数が衝撃波をエンジン内部で前後に移動させ、圧縮率をわずかに変化させる。その結果、排気光が脈動して、フレッドが作っていたようなエンジンになるのです。魔法のようなものはない。」

[ さて、このような超音速機は、従来の戦闘機の迎撃機よりもはるかに大きく、あるいは重くなるのでしょうか? ] 

「マッハ6の迎撃機はX-15(音速実験機)のような構造ではない。この機体は鉄合金製のホット構造を使用しており、空力熱負荷のヒートシンクとしての役割を果たしていた。我々の機体は軽量なアルミ構造の上に金属製の熱保護システムを搭載していたので、熱エネルギーのほとんどが宇宙空間に放出されてしまい、DC-9(小型ジェット旅客機)程度の重さで飛行していた。これらの機体は特別大きくもなく、重くもなく、長さは60フィートから70フィートのオーダーでした。これは一人用戦闘機のためのもだったが、多人数乗務の長距離輸送機であれば、ボーイング747 (全長:76m / 重量:約448t)に匹敵する大きさと重量のものが必要になるかもしれないね。」

[ そうですね、大型機の設計は、1980年代後半に取り組んだ超音速旅客・貨物輸送のための国家航空宇宙機(NASP)プロジェクトの目標に近かったのではないでしょうか? ]

「まぁNASPが何を目指していたのかはよくわからんね。76年頃から83年頃まで、私はマクドネルでいくつか特別プログラムに関わっていた。1983年の7月の最終日、私は木曜日に外出していて、週末には帰国するため翌日出発することになっていた。ある取締役から電話があって「たまたま用事があってここにいるんだ」と言われた。「君はまだ家に帰らないで、明日、空軍基地で会おう、セプルベダ(スペイン-レオン州) の航空宇宙会社で昼食を食べよう。そうだな、月曜までには家に帰れるかもしれないよ。」」

「だから私は空軍基地で昼食をとっていたんだが、ハロルド・オストロフ(Harold Ostroff)がビジネススーツを着た軍人と民間人のグループとテーブルに座っていて、私がテーブルに近づいていくと、彼は他の人達の方を向いてこう言った「皆さんにマクドネル先進航空宇宙プログラムの新しい責任者を紹介します」私は何も知らなかったので彼が話している人を探してみて、やっと私のことだと分かったんだ」

「そうやって知ったんだ。ハンティントンビーチ(カリフォルニア南部の都市)の副プログラムマネージャーがいたのだが、そこにエアロジェットのグループ、ドン・キッシンジャー(Don Kissinger)、マイク・ハーメル(Mike Hamel)、ロン・サンボルスキー(Ron Samborski)がいて、1946年に特許を取得したエアターボ・ラムジェットについて話していた。」

「数日後、私はエアロジェット社に出向き、エンジン設計についてのブリーフィングを受けに行き、帰国後は空軍のTAVプログラムの提案を行った。しかし、一番の目玉は、ハンティントンビーチの人たちと一緒に、2段式の軌道上の機体を提案したことだった。1段目はエアターボラムジェットでマッハ6か7くらいまで飛んで、その後スクラムジェットでステージングして、軌道上に展開するロケットを作るというものだ。」

「これについては、どれだけ早く飛行させたいかによって、いくつか異なるコンセプトを持っていた。ハンティントンビーチにいたジョー・シャーギ(Joe Shergi) という人は、「トスバックブースター」と呼ばれるコンセプトを持っていた。それはアポロカプセルのように見えたよ。熱シールドエンジンが搭載されていて、上段を分離した後、これは反転して逆噴射し、発射場に投げ返すから全てを回収することができる。」

「私たちは、2段式宇宙輸送機の機体として、2~3つのコンセプトを説明していた。最初は利用可能なすべての機材を基にして、すぐに作ることができた。それは「トスバックブースター」の上に超音速機のFDL-7Cを載せたものだった。その後、マッハ7から8程度のエアターボラムジェット一段目に移行し、その後、マッハ12程度のスクラムジェット一段目に移行した。」

「私たちはタイタン社からラリー・フォーゲル(Larry Fogel) という人を雇った。彼は実際にB-52中隊を運用しているSAC(戦略航空軍団) のすべての基地を視察して、NASPの機体を持っていたらどうするのか――どのように使用しているか、どのようにメンテナンスしているか、などを尋ねた。私たちは、戦略航空司令部が見積もったこれらの機体運用コストについて、データベース全体を構築した。推力の大きさ、必要な推進剤の量、エンジンの再利用回数など、最初に持っているすべての数字を彼らに伝えたところ、従来のB-52中隊と比較した運用コストの見積もりが返ってきた。それは非常に興味深いものだった...。
私たちはこの情報をワシントンDCでの報告書に利用した。そこでダン・グリックマンと一緒に仕事をしていたスコッティ・クロスフィールドに出会ったんだ。その結果、最終的に完成したのが初段機であるマッハ6の大型機だ。これが、技術を検証するための実演機として試験機を開発することにつながったんだ。
この試作機は、NASPがどのように3つの主要な任務を果たすことができるのかを示すために作られた。1つは単純にマッハ6の乗客輸送機として、2つ目は空軍のためのマッハ8戦略爆撃機として、そして3つ目は上段ロケットと組み合わせて低地球軌道に投入するというものだった。

[ このテクノロジーは航空機とスペースシャトルの境界線を曖昧にしているように聞こえますね、あるいは本当に宇宙船かも知れない。 ]

「シャトルは航空機じゃないね。あんな乗り物は絶対に作りたくないよ。これまでに設計された最高の機体は、空軍の飛行力学研究所(the Air Force Flight-Dynamics Lab) から生まれたものだ。ドレイパーは、NASAに話を聞いてもらおうと、大変な努力をしたが、彼らはアドバイスを頑なに拒否した。最初からNASAは、横暴なあらゆる種類の狂気的な設計の思い付きを持っていて、そしてそれがシャトルで終わっていたんだ。マッハ22からゼロに至るまで、本質的に安定していて、熱保護システムがすでに開発されていた本物の超音速機は、シンプルに廃棄されたんだ。」

「シャトルが設計されていた時でさえ、これらは全く新しいアイデアではなかった。58年から68年の間に国防総省が関わっていたが、当時の大統領が「軍事システムは軌道に入らない」と決定してたため、これらは破棄されたんだ。当時の政権は宇宙の軍事化を死ぬほど恐れていて、宇宙に行くものはすべて民間人でなければならないということになり、NASAがすべてを引き継いだんだよ。」

「空軍にはXLR-129と呼ばれるエンジンがある。プラット&ホイットニー社の人が書いた本に載っていて、自動車技術者協会で購入できる。XLR-129はLOX - 水素エンジンからの推力が約58万ポンド、室圧が3500psiだった。」

「スペースシャトルのメインエンジン(SSME)がフルパワーになるまでに約38ヶ月かかったのに対し、このエンジンはオーバーホールなしで40回燃焼され、約3.5ヶ月でフルパワーになった。XLR-129エンジンは、空軍が宇宙開発から撤退した際にNASAに寄贈されたんだ。設計図、エンジン、それに関連するすべてのものは破棄され、プラットの本のその章の最後の一文には、"NASAは、現在のエンジンの契約者たちを困らせたくなかったので、これらをすべて破棄した "と書かれているよ。」

[ 現在のNASAのシャトル計画の問題点を考えると、次世代のシャトルの設計にこのような機材を使う日が来るかもしれないと思いますか? ]

「レーガンの商務次官補(イノベーション、技術、生産性担当)の一人に、D・ブルース・メリフィールドという人がいたが、彼の考え方は非常にロシア的なものだった。ロシア人は実験室のアイデアを試作品工場にして、それを機能的で運用可能な兵器類に変換している。」

「メリフィールドの考えでは、アメリカの欠点は、技術を応用するための準備にプロジェクトを利用して、新技術が適切に成熟するまでの時間が十分に与えられてはいない、というものだった。メリフィールドは、野球選手と同じように、技術を開発して機能的に使えるようにするためには「二軍」が必要だと常々主張していた。日本人はこれをやっているし、ロシア人はこれをやっていた。
私がマクドネル・ダグラスにいたときにやっていたことは、「マック爺さん」がハードウェアの専門家だったこともあって、大きなアイデアをどうやってサンプルやプロトタイプを作って、運用コンセプトを実現できるかどうかということだった。マッハ6型機を設計する際、年に3回しか飛ばせない研究開発機を作るというNASAの戦略には従わなかった。私たちが開発したのは、B-52と同じように運用機能を持った機体だった。
1964年に有人軌道実験室のために開発した補給機は、11台の運用機と3台の予備機で構成されてたんだが、その11台は15年間、年間100回の飛行していた。これが1964年の産業能力であり、魔法なんて必要としてない。では、それをシャトルと比較してみなさい。」

[ NASPのデザインは本当に美しいデザインです。これはシャトルにもできたことですし、そうあるべきだったのではないでしょうか? ]

「NASPの参考として使用されたベースライン機は、マクドネル社製で1963年製マッハ 12のスクラムジェット搭載機だった。私たちの古い資料をいくつかまとめているから、58年までのものも含めてあなたのウェブサイトに掲載することができますよ。古いマッハ6機を見ると、すぐにオーロラだと言うだろうが、そうではなく、マッハ6有人超音速戦闘機と呼ばれていたんだ。」

[ NASPの図式を見ていて気になったのは、機首が丸くなっていることです。 ]

「丸いわけではない・・・二次元的。機首には鋭いウェッジがある。マクドネル・ダグラスのオリジナルの超音速機には尖った機首があり、それは円錐体をベースにしていた。リフティングボディだったが、機首は尖っていた。当時の低騒音機はすべて尖った円錐形だった。しかし、どんな参考書でも、尖った円錐と尖ったウェッジとの波動抵抗を調べてみると、ウェッジは尖った円錐の3よりも3の平方根を持っています。同じ角度にある2次元のウェッジは、円錐よりも抗力が小さいのだ。飛行力学研究所のディック・ニューマンとウィル・ハンキー、イギリスのジャック・パイク、そしてボーイング社の副社長であるボブ・クレーガーと一緒に、59年と60年頃に2次元の機首を開発した。横から見ると点のように見え、上から見ると丸く見える。しかし、これは丸い機首ではなく、2次元の機首で、ウェッジなんだ。」

「ここでの全体的な考えは、抵抗を少なくすること。特にエアブリーザーの場合は、できるだけ抗力を小さくしたいものだ。トップを横切る直線か、力の法則かは議論の余地がありますが、誰の理論に基づいているかによって様々な種類がある。しかし、それはやはり二次元機首だ。」

[ 超音速機の関して、このようなものが兵器の一部として認識され、将来の航空戦力の大きな構成要素となることはあると思いますか?より高速な航空機の必要性は常にあるように思えますが、今日の技術の状態は異なる方向に向かっているように思えます... ]

「さて、スコット・クロスフィールド、ガス・ワイス、そして私がワシントンDCの航空宇宙クラブ(aerospace club) にいたとき、我々はサンディ・マクドネルのために、我々が空軍に提案していたデモステーターについて話したチャートをまとめた。これはカッパーキャニオンが開始される前から始まっていた。マッハ6で約40人を運ぶことができ、軍事物資を運ぶためにマッハ7の能力があり、適切な装備があれば、ロケットのブーストとエアブリージングエンジンを搭載して、軌道上の速度まで到達させることができることを示す実演機として使用することができる。

私たちはそれを軌道上に乗せるつもりはなかった。 ほぼ軌道上の速度まで上げて、反対側に戻って滑空するつもりだった。私たちは座ってこのコンセプトについて話していたが、スコッティが「オリエントエクスプレス」という名前を思いついた。

最初のB-70の提案をさかのぼって見てみると、コンセプトの一つとして、マッハ3輸送機が商業者-旅客者を死なさずに運べることを示すために、燃料を胴体から取り出すというものが提案されていた。水素タンクを取って塞いで、代わりにメタンで空力機として飛ばせるようにすれば、タンクの中には40〜50人くらいは乗れるスペースがある。タンクは液体水素を冷やすために作られているので、人々を22度まで保温することは問題ではなかった。評論家は「人々は燃え尽きる」と言い続けていたが、それは真実ではないね。彼らはマイナス232度の水素を保持するように設計されたタンクの中に座っているんだ。」

[ マッハ3の商業輸送機の話をしているんですか?沿岸から沿岸までの飛行時間はどのくらいなんですか? ]

「いや、B-70プロジェクトはマッハ3.2で、我々のはマッハ4.5だった。あなたが話している西岸から東岸の時間は短すぎる。上昇には一定の長さの時間がかかり、下降には一定の長さの時間がかかるように。極端な例を使ってみよう。マッハ12で飛ぶのを可能にする最短距離は約5,000マイルだ。マッハ2.5では2,500マイルが実用的かもしれない。これ以上のグラフはないが、それぞれの距離に対して、最短時間を与える速度があるという考え方だ。」

[ それは基本的には上昇加速して適正な高度に到達することですよね? ]

「難しいのは減速することだ。速度を落としすぎて吸気口にエアショックがあると、エンジンが始動しなくなるから。つまり、減速するのには加速するのに比べて2倍の時間がかかるんだ。」

[ 超音速機の操縦性についてですが、かなりの操縦性があるのでしょうか、それとも飛行速度が速すぎてうまく操縦できないのでしょうか?]

「機動性があるので、これで負荷率を上げることができ、マッハ6のストライク偵察機がGIUKギャップの上を飛行していても、3.5Gの旋回を難なくこなすことができる。速くなればなるほど難しくなる、それは、迎角(AoA) によって温度が上昇するため、非常に注意が必要だがマッハ6では問題ない。」

[ 私が質問した理由は、オーロラに関するポピュラー・サイエンスの記事で、この機体はカリフォルニア州全体の長さを使って旋回していたとの憶測があったからです。私の記憶が正しければ、その「UFO」はサンフランシスコ上空を西に向かっていて、サンディエゴ上空に戻ってくるのが目撃されたとされています。]

「マッハ12かもしれないが、マッハ6ではない。マッハ6でGIKUギャップ内のスポットの上を飛んでいた場合、直径150マイルか200マイルのターンをすることができる。ターンを行うためにバンクアップしたときに、センサーは地面を真っ直ぐ下に向けていることになる。」

[ 超音速機からの武器の配備を考えたことはありますか?何か問題はありますか? ]

「いや...彼らはケリー・ジョンソンに賭けていた。彼は独自のシステムを設計して全く問題なくYF-12から6ミサイルを配備した。私は、あのグループのような航空宇宙技術者や航空技術者出会ったことがない。彼らのようなモデルはなくなってしまった。人々はもうそんな風には考えることはできない。彼らは問題解決者だった。」

「彼らはベータ・チタニウムを使って多くの先駆的な仕事をしてきたが、それを扱うのは非常に難しいものだった。ケリーが最初にこの材料で構造部品を作り始めた時、最初に行った100個の鍛造品のうち、1個の部品が動作しただけで、残りはゴミだったそうだ。そして3ヶ月後、彼が試した100個の部品のうち、彼は94個の部品を手に入れた。彼は問題を解決するために外部の専門家や請負業者を呼び寄せたのではない。解決策を考え出したのは彼のチームだった。実際にSR-71(ブラックバード) プロジェクトで経験したことを話すと、今の環境では中止になってしまうだろう。」

[ 印象的な同僚たちですね。あなたが「見覚えのある機体」の隣に立っていた人達から、深夜に電話がかかってきても不思議ではありません。彼らが引退した今、そのことについて話し合ってくれるかどうかを確認するために、後から追求したことはありますか?]

「いや、私の知っている関係者はもう生きていないし、今の関係者は黙っている。」

[ これらのプロジェクトはまだ進行中で、知っている人は誰でも秘密保持契約で縛られているからだと思いますか? ]

「今日の航空機を設計しているのは、全く新しい若い世代の技術者たちだということを覚えておいてください。もしこれらの航空機が存在するとすれば、今日のB-52のパイロットは、B-52が導入された時にB-52を飛ばし始めた人の孫のようなものだ。

だから、今そこにあるどんな種類の秘密の航空機であっても、新しい任務を担う全く新しいグループによって設計され、飛行している。それは過去35 - 40年の間、技術的には実現可能だったのですから。」

ログ13

2020-05-19 22:25:50 | 日記
マーク・G・ミリス  Marc G. Millis

オハイオ航空宇宙研究所 上級研究員
マーク・ミリスは、革新的な宇宙飛行、星間航海を実用的なものにするような画期的な宇宙飛行の探索に関する国際的な権威である。2010年にNASAを退職し、実用的な恒星間飛行に向けた進歩を加速させるための非営利団体であるタウ・ゼロ財団に多くの時間を割くようになった。- 政府、産業界、学術界だけではできない研究と公共教育を拡大し、実用的な恒星間飛行に向けた進歩を加速させることを目的とした非営利団体。

重力制御宇宙ドライブや超光速飛行などの概念を扱った、初の学術書「推進科学のフロンティア」(AIAA 2009)を創刊したことは、大きな成果である。この本は、25 人の著者の寄稿をまとめたもので、既知の物理学と望まれるブレークスルーとを比較し、そのような高い物理学に向けた次の実用的な研究段階を選択するためのものである。

ミリスは推進物理学に加えて、イオンスラスタ、実験室の計測器、ロケット監視用電子機器、極低温推進剤装置、さらには自由落下航空機の飛行を誘導するコックピットディスプレイまでも設計した。

1976-1982 : Nasaケネディ宇宙センター 学部研究生
1982-2010 : Nasa グレン研究センター 推進物理学者・航空宇宙技術者
2006-2018 :タウ・ゼロ財団 投資者
2011-2016 : オハイオ航空宇宙研究所 客員研究員
2013-2015 : アメリカ空軍工業大学 非常勤研究員
2017/2019 : ドレスデン工科大学 客員教授
2019-      :オハイオ航空宇宙研究所 主任研究員

ログ12

2020-05-18 17:33:55 | 日記
ジョン・G・クレーマー John G. Cramer

ワシントン州シアトルのワシントン大学名誉物理学教授。

ブルックヘブン国立研究所の重イオン衝突型加速器(RHIC)においてのSTAR(Solenoidal Tracker At RHIC)実験や、スイス・ジュネーブのCERNの素粒子加速器などで活躍。

1961-63年にインディアナ大学で博士研究員を務めた後、1963-64年に同大学の助教授を務め、1964-68年にワシントン大学の助教授、1968-74年に准教授、1974年に正教授に就任した。1964-68年にはワシントン大学の助教授、68-74年には准教授を務め、1974年には正教授に任命された。

クレーマーは、2007年から2014年にかけて、「量子の非局在性」が切換え可能な干渉縞を用いて観測者間の通信に利用できる可能性を研究した。

ジョン・クレイマーは、査読付きの科学誌で約300の科学論文を発表しているだけでなく、アナログ・サイエンスフィクション&ファクト誌に「Alternate View」というコラムを2号ごとに定期的に執筆している。また、1986年7月には、ホイーラー・ファインマンの時間対称性理論から着想を得た「量子力学のトランザクション解釈」(TIQM)の論文を発表している。

ハードSFジャンルである『Twistor』(1989年)と『Einstein's Bridge』(1997年)という2つの小説を発表している。シアトル地域で開催された大規模なSF&ファンタジー大会であるノーウェスコンでは、2010年の科学者主賓を務めた。

クレイマーが マセマティカを使って作成したビッグバンの音のシミュレーションは,2003年末や2013年に主流報道陣の注目を集めた。このシミュレーションは「Alternate View」の記事「BOOMERanG and the Sound of the Big Bang」(2001年1月)に起点している。この音を「真夜中に家の上を地上100フィートから大きなジェット機が飛んでいるようなもの」とクレイーマは表現している。

量子力学に関する著書『Quantum Handshake』は
量子もつれ、非局所性と取引(2015年)は、Springer Verlag社から出版され、交流解釈の包括的な入門書となっている。

他に『老化は治るのか』など

ログ11

2020-05-18 17:32:36 | 日記
マキシム・ソイ    Maxim Tsoi

テキサス大学オースティン校物理学科教授。
ロシアのモスクワ物理工科大学(1993年学士号取得、1995年修士号取得)とドイツのコンスタンツ大学(1998年博士号取得)を卒業後、ミシガン州立大学IBMアルマデン研究センター、マックス・プランク研究所(世界トップクラスの学術研究機関)および国立科学研究センターのグルノーブル強磁場研究所で技術スタッフの博士研究員を務めた後、2003年にテキサス大学オースティン校の教授に就任した。研究テーマは、伝導電子/界面相互作用、メゾスコピック構造におけるスピン偏極輸送、ナノマグネティズム、スピントロニクス。

スピン伝達トルク(STT)の実験的研究の先駆者で、磁性多層膜を用いた実験でSTT現象を初めて実証した。マイクロ波を用いた点接触実験は、STTナノオシレーターの最初の証拠となった。交換バイアススピンバルブを用いた実験は、反強磁性(AFM)材料におけるSTTの最初の証拠となり、全AFMスピントロニクスへの第一歩となった。

スウェーデン王立工科大学ストックホルム校から「ラグナー・ホルム・プラケット」(2002年)、国立科学財団CAREER賞(2006年)を受賞。

ログ10

2020-05-18 17:30:35 | 日記
トッド・C・ハフナゲル Todd C. Hunagel

材料科学科(DMS)の教授で、機械工学を兼任。構造材料(人工物において強度を担っている構造材)、ナノマテリアル、X線散乱、3次元微細構造、金属に焦点を当てた研究をしている。ミシガン工科大学で金属工学の学士号を取得し、スタンフォード大学で材料科学と工学の修士号と博士号を取得。1996年にジョンズ・ホプキンス大学に着任。

1994 - 1996::スタンフォード大学、材料科学・工学、助教授代理
1996 - 2002:ジョンズ・ホプキンス大学、材料科学・工学助教
1998       :MRSECサマーインターンアドバイザー
1998 - 現在:学術顧問、MSE
1999 - 2002:ボルチモア・ポリテクニック・ハイスクールの指導者
2013年 - 現在:WSE機械工学科教授

研究分野
非結晶およびナノ結晶材料
計算材料科学
材料の機械的性質
金属ガラスの合成
固体中の相転移
物理金属学
シンクロトン放射線
透過型電子顕微鏡(TEM)
X線回折