寝たきりの父を見舞いながら考える。
神様。
人の人生において
何十年も生きてきて、
戦争も潜り抜けて、
大病をいくつもして、
頑張って手術もたくさんして
最後に来て、
人生で一番辛い状態が待っている、って
そりゃあ、ないんじゃないの?と。
人は誰しも等しく死を迎えるわけで、
それがどんなにお金持ちでも、
どんなに世の中に貢献した人でも、
犯罪者でも、
平等なのがせめてもの救いだけれど。
でも、例えば。
真面目にコツコツ生きてきた人には、
穏やかな死への時間を準備し、
他人を傷つけ続けてきた人には
苦痛を伴う死への時間を準備する、とか。
(生き方の成績順)
今までの生き方を反映できるような、
納得できる最後の時間を
与えてもらえることはできないものだろうか。
または人生の幸せと不幸の容量が
等しく決まっていて、
若い頃に苦労した人は
穏やかな最後の時間を与えられ、
ずーっと苦労せずに
穏やかに人生過ごしてきた人には、
最後に苦痛が待っている、とか。
プラスマイナスゼロになる計算なら、
納得もできるかもしれない。
(人生の苦楽、定量制度)
どうせ死ぬならピンピンコロリが
良いよねぇ、と
よく友人と話したりするけれど、
ピンピンコロリする為には
まずピンピンが大前提だから。
とりあえずなるべく
ピンピンいられるように
現段階では、
健康に気をつけるしかなさそう。
自分も苦しい。
家族も苦しむ。
そんな死じゃなくて
映画のラストシーンのような
穏やかなその時を
迎えたいものです。
続く。