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毒を喰らわば、皿と机と胃薬もご一緒に。

生まれた時から人生消化試合。

死して屍拾う者無し。

2008-01-05 03:18:01 | 考察編
飯時のテレビで死刑の是非をやっていた。
解決の見ない話題ではあるが。

死刑制度は世界的に見て減少傾向にあるそうな。
だから何?とも思うが。
大勢に流されて我も我もと右向けっ右じゃダメでしょうよ。

俺は死刑は無くすべきではないと思っている。
日本で死刑宣告を受けるのは専ら程度の酷い殺人罪の時くらいだろうし、
死刑なくなったら殺し得の殺され損になりかねん。
こっちは絶対刑罰で死ぬ事がないって分かれば、そりゃ殺す側に回る奴も
ちらほら出てきておかしくないだろう。これだけ事件が氾濫してるんだし。

この手の話題でよく耳にするのが、
「死んで楽になるよりも、生きて罪を償うべし」「死んだらお終い」
といった類のものだが、これには常々疑問である。
と言うのも、安っぽい言葉である以上に、矛盾が感じられるから。

死んだらお終いと言っておきながら、死後は安楽であると言う観念がおかしい。
死んだらそれこそ何もないんだから、苦楽もへったくれもあるまい。
死刑で楽になれるのは、加害者でなく被害者の遺族だよ。

よく言うでしょ、「命は平等」だから1=1でトントンにするべき。
殺したらその命で償う。これでようやくトントン。
殺人に拘る不法行為はこれに+αだから、死ぬ前に遺族に対し、
あらゆる面での充分な謝罪を済ませた上での話。

死刑は人道に反するとか、倫理的にどうとか。
それを言う前に、死刑を宣告された背景を考えて欲しいものだ。
大抵の場合は人道に反して非倫理的な事をやらかした結果の自業自得だろ。
刑罰としての死に、必要以上に意味を持たせるべきじゃない。
命は尊いとか、そういう精神論はここでは一旦横においておけ。

大体、死刑反対の筆頭国からして、銃が横行する社会で、
警官も犯人が逃亡ないし怪しい素振りを見せれば発砲するんだから、
死刑云々の前にどれだけ人が死んでいるんだと。
あの国の言う事はどれもこれも説得力がない。


ところで、現在の日本の死刑執行は3~5人の執行官が同時にボタンを押す事で、
受刑者の立つ床が抜け、絞首刑に処せられるというやり方。
これなら誰のボタンで床が抜けたか分からないという仕組みだ。
とは言っても、こんな仕事まともにはやってられないだろう。
辞退や辞職を願い出る人も珍しくないんだとか。

こうやって責任の所在を曖昧にする事で執行官の重責を紛らわせるのなら、
もういっその事思い切ってやって頂きたい。
例えば新宿とか六本木とか、とにかく人がひしめき合ってる様な都市を
全国からランダムで選出し、その街の一角に「押さないで下さい」と言う
プレートを添えたボタンを設置する。
こうすれば誰かが絶対押すだろう、これをもって死刑執行。

或いは、遺族にボタン押させればいい。
俺だったらこれ幸いと思いっきり押してやるだろうな。
法によって復讐が禁じられているんだから、コレ位してやっても良かろうに。
しかしこれやると、恐らく恨みの限りを込めて拳を叩きつけるだろうから、
ボタンの消耗が半端でないだろうな。

旧態依然とした、加害者保護が目立つ現行の法は、正直もう限界だろう。
あくまでも被害者救済の原則に立ち、その経済面・精神面他あらゆる対応を
踏まえた整備を進めるべきじゃないだろうか。
死んだ人は実名報道でやんややんやと騒がれ、遺族はインタビューに撮影にと
落ち着かせてもらえないのに、加害者は場合によっては匿名で情報の大部分が
保護される。これはちょっといびつでないかい?

日本は死刑を正しく効果的に用いている、という事をアピールして、
独自の文化として死刑制度を貫いて頂きたいものである。


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