中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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東海道五十三次宿場巡り全15回第8回(20)

2007年11月30日 05時50分30秒 | 街道:東海道五十三次


             東海道五十三次宿場巡り全15回第8回(20)
                   第8回:箱根関所から三島まで
              2007年11月5日(日)(つづき)

<山中城趾へ>

■峠の地蔵

 10時29分に箱根峠(836m)に到着した私達は,ここでほんの数分トイレ休憩を取った後,10時34分に,自動車道の西側を併行して三島方面に下る旧東海道に入る。そして,ほんの1分ほど広場の端を通る散策路を歩き「峠の地蔵」に到着する。道の傍らにはユーモラスな石の彫像が並んでいる。彫像の脇には箱根縁の俳句や歌が刻まれている。ここで10分ほど休憩になる。

                     (つづき)           
                       ↓ 

                      <地形図1>
                  ※磁北線の間隔は1km
                   プリントすると良く見えます。

 ここから先,三島までの街道は,これまで一度もあるいたことのない道なので,どんな所なのだろうと興味をそそられる。もう,11月だというのに,直射日光が眩しくて暑い。一同日陰に実を潜めて,休憩を取る。傍らに「静岡県にようこそ」と書いた大きな立て看板が建っている。

       <道標>                   <熊笹に囲まれた道>

■接待茶屋跡
 10時53分に峠の地蔵を出発する。例によって,大げさに,
 「エイ,エイ,オー・・」
と大きな掛け声を挙げてから・・・
 暫くの間,静かな旧街道の小径が続く。
 10時59分,「兜岩」と書いた立て看板の前を通過する。辺りは背丈の2倍ほどもある笹藪の中である。藪の中の小径を下り続ける。

                <接待茶屋跡>

 11時07分,一旦自動車道に出るが,数分で,再び旧東海道の静かな道に入る。
 11時10分,「接待茶屋跡」と書いた立て看板の前を通過する。辺りは平坦な杉林である。私達以外には人影が全くない。近くに接待茶屋の説明を書いた立て札が建っている。

    <路傍の道標>                   <素晴らしい散策道>


                        (つづき)
                          ↓


■兜岩
 接待茶屋の直ぐ先に,深い木立の中に「兜岩」(745m)がある。傍らに建てられた説明文によると,豊臣秀吉が小田原攻めの祭に,この岩の上に兜を置いて休息したという伝説があるようである。
 それにしても,先ほど通過した「兜石」の立て看板があった場所と,随分と離れている理由が良く分からない。

                     <兜石の説明文>

■念仏石
 11時12分に兜岩から先へ進む。ほぼ平らな林の中をノンビリと歩き続ける。そして直ぐに「この先明治天皇小休止跡碑」と書いた案内板の前を通過する。どこが小休止場所なのか判然としないまま,11時23分に「念仏石」の前を通過する。ここは旅の行き倒れを供養した場所のようである。

                     <念仏石>

■雲助の墓
 鬱蒼とした林の中を下り続けて,11時47分,「雲助の墓」(560m)に到着する。雲助徳利の墓である。徳利を思わせる彫刻が施された石の墓が建っている。
 旅行社の案内文によると,「箱根の雲助」は,悪者の代表のように言われているが,実際は箱根の坂道を登れない弱い女性や病人の世話をした善人だという。雲助の本名は久四郎。西国大名の剣道指南役だったが,大酒飲みのため事件を起こし追放になり,雲助の仲間入りしたという。雲助をいじめる武士を懲らしめたり,読み書きができたりで,雲助仲間から慕われていたという。
  
                          <雲助の墓>                                    <諏訪神社>

 
                     <山中城趾絵図>

■山中城趾
 雲助の墓を出発して間もなく,私達は,一旦,自動車道に出る。自動車道路沿いに,11時49分に諏訪神社の前を通過する。そして,11時50分,山中城趾に到着する。ここで昼食を摂ることになる。
 ガイドから,城趾の何処で昼食を摂っても良いとの指示があったので,展望の良い一番高いところまで登ってみることにする。遊歩道に沿って,三の丸跡から田尻の池を越えて,小高い丘の上に登る。芝生が一面に広がっている。芝生の縁の小高い丘に登り,そこで昼食を摂る。私達以外にも沢山の観光客が訪れている。
 
     <山中城趾>                 <山中城趾にある柴切地蔵跡>

 日陰で昼食を摂っていると,だんだんと寒くなる。そこで,丘の下の芝生に移動して,休憩をとる。
 昼食後,城趾の中を見物しながら,集合場所の方へ移動する。ここは小田原北条氏が築城した出城だという。戦国時代の末期に豊臣秀吉に攻め立てられて落城した。

                 <史跡山中城跡の説明文>

<松雲寺へ>

■笹原新田一里塚
 12時49分,私達は,例の奇声,
 「エイ,エイ,オー・・」
を叫んでから,山中城趾を出発する。時々自動車道と交差するが,石畳が残る旧東海道に沿って,坂道を下り続ける。
 13時14分,私達は笹原新田一里塚に到着する。周辺に大きな木が生えてこんもりとした塚がある。塚の周りにはギコギコとした木の根がのたうっている。
 
                                   <笹原神殿一里塚>

■下長坂(こわめし坂)と三ッ谷新田発祥の地
 私達は道幅の狭くてやや急な下り坂の舗装道路に沿って,三島へ下り続ける。ここは「下長坂(別名:こわめし坂)」と呼ばれるところである。道路の両側には長閑な風情の民家が並ぶ。
 13時24分,箱根旧東海道の説明文の前を通過する。気のせいかもしれないが,静岡県側に入ってから,懇切丁寧な説明文が随所に建てられていて,歩いていても大変気分がよい。
 13時25分,三ッ谷新田発祥の地を通過する。
 ノンビリと集落の中を歩き続けて,13時28分,私達は明治天皇史跡として有名な松雲寺に到着する。ここで休憩を取る。


                 <三ッ谷新田発祥の地>


                           (つづく)



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