2009年10月27日(火)
発症以来,10日目.かかりつけの医師の診断を受けてから丁度1週間目.今日は,医師の診断を受ける日である.いわば,今回の急性胃炎のエピローグが飾れるかも知れない日である.
私はいつもよりは2時間ほど遅く,朝,6時頃,起床する.
我が家の2階から,雲一つない快晴の空に富士山がクッキリと見えている.もし,私が健康だったら,今日は,間違いなく,塔ノ岳に向かっただろう.
塔ノ岳に行けないまでも,今朝の体調は,決して悪くはない.まあ,まあの,空腹感もある.ただ,ヒョッとして,胃カメラを飲むことになるかも知れないので,今朝の朝食は抜きにする.
9時30分頃,梶原の某クリニックへ向かう.医師からどんな診断が下るかが気がかりである.
待合室で,15分ほど待ってから,私は医師の診断を受ける.
「その後,どうでしたか?」
と医師が私に質問する.
「・・・当初の2~3日間はとても苦しかったです・・・でも,ここ2~3日は胃の痛みは全くありません.ただ,腸の回復が遅くで,まだ激しい下痢の状態が続いています・・・」
私は,説明し忘れる項目がないように,病床でとり続けたメモを見ながら,医師にこれまでの経緯を,簡潔に説明する.
医師は,
「では,今飲んで貰っている薬は,これでヤメにしましょう.これから胃腸の調子を回復するために,ピロリ菌の退治をしましょう.」
「・・・ピロリ菌ですか?」
「そう.一昨年の検診の時と比較すると,今,随分とピロリ菌が増えましたね」
「・・・」
「幸いなことに,今のところ腫瘍や潰瘍はないので,ピロリ菌を退治すれば,胃腸は大分良くなるでしょう・・・」
「分かりました.よろしくお願いします.」
「では,第1段階として,一般的なピロリ菌治療を1週間続けます.多分,これで80パーセントのピロリ菌は退治できるでしょう.もし,退治が困難な種類のピロリ菌が検出されたら,その時点で,対処方法を考えましょう・・・」
私は,クリニックで処方箋を頂いてから,梶原の処方箋薬局に向かう.薬局では,白衣を着た3人の女性が忙しそうに動き回っている.どの方が薬剤師かは分からない.あるいは全員が薬剤師かも知れないが,そんなことはどうでも良い.1人の方が,
「FHさん.この薬の飲み方は結構ややこしいので,説明します・・」
と言って,私を待合室の片隅に座らせる.
「明日の朝から治療開始ですね」
と念を押してから,説明をしてくれる.
説明によると,かなり強い抗生物質2種類と制酸剤を1日2回(朝食後と夕食後),1週間飲み続ける・・・というものであった.強い薬なので,胃腸の具合が悪くなることもある.そのときは医師に相談せよ.
今日は素晴らしい天気.
治療と薬の手配を終えた私は,このまま家に直帰するのは勿体ないなと思う.そこで,梶原,笛田,深沢辺りを暫く散策してから帰宅することに決める.
梶原住宅地を抜けて,藤沢鎌倉道路に突き当たる.この辺りに立ち並んでいた大手企業の社員アパート群も,不景気が続いたせいか,随分と少なくなってしまった.私が向かし勤務していた会社の社宅も,いつの間にか取り壊されて空き地になっている.今度は,その空き地に,T薬品関係の施設が建設されるようである.
その辺りを2時間ほど歩き回っていると,足の裏が,
「お前さんの重たい体重を支えるのは,もう嫌だ・・」
と言い出す.足の裏に何となくペタペタとした疲労感が出始めている.
私は,いきなり無理をしてはいけないと思ったので,この場から家に直帰する.
午後も引き続き素晴らしい天気である.
引き続き,近場を散策しようかと思ったが,いくら,一応,快癒したとはいえ,まだ,まだ,完全に元に戻ったとはいえない体調のまま,急に歩き回るのも問題なので,午後は久々の読書三昧で過ごす.
夕食は,豆腐など消化の良い食材中心のメニュー.
いつもは家内の食事時間の半分ぐらいの時間でサッサと済ませていたが,この病気になってからは,逆に家内の食事時間の倍以上も掛けて,モソモソと食べている.
でも,やっと何処も痛くない状態になったので,とても,何となく,とにかく笑顔が出るほど嬉しい.
“普通って,こんなに良いことなんだな~ぁ・・・!”
私は普通のありがたさを,心底から実感している.
************************
私の闘病記録をまとめると.次の図のようになる.
私の急性胃炎も,一応,治癒したので.この闘病記も,今回で終了する.明日からのピロリ菌退治については,別の機会に,このブログに掲示することにしたい.
(おわり)
発症以来,10日目.かかりつけの医師の診断を受けてから丁度1週間目.今日は,医師の診断を受ける日である.いわば,今回の急性胃炎のエピローグが飾れるかも知れない日である.
私はいつもよりは2時間ほど遅く,朝,6時頃,起床する.
我が家の2階から,雲一つない快晴の空に富士山がクッキリと見えている.もし,私が健康だったら,今日は,間違いなく,塔ノ岳に向かっただろう.
塔ノ岳に行けないまでも,今朝の体調は,決して悪くはない.まあ,まあの,空腹感もある.ただ,ヒョッとして,胃カメラを飲むことになるかも知れないので,今朝の朝食は抜きにする.
9時30分頃,梶原の某クリニックへ向かう.医師からどんな診断が下るかが気がかりである.
待合室で,15分ほど待ってから,私は医師の診断を受ける.
「その後,どうでしたか?」
と医師が私に質問する.
「・・・当初の2~3日間はとても苦しかったです・・・でも,ここ2~3日は胃の痛みは全くありません.ただ,腸の回復が遅くで,まだ激しい下痢の状態が続いています・・・」
私は,説明し忘れる項目がないように,病床でとり続けたメモを見ながら,医師にこれまでの経緯を,簡潔に説明する.
医師は,
「では,今飲んで貰っている薬は,これでヤメにしましょう.これから胃腸の調子を回復するために,ピロリ菌の退治をしましょう.」
「・・・ピロリ菌ですか?」
「そう.一昨年の検診の時と比較すると,今,随分とピロリ菌が増えましたね」
「・・・」
「幸いなことに,今のところ腫瘍や潰瘍はないので,ピロリ菌を退治すれば,胃腸は大分良くなるでしょう・・・」
「分かりました.よろしくお願いします.」
「では,第1段階として,一般的なピロリ菌治療を1週間続けます.多分,これで80パーセントのピロリ菌は退治できるでしょう.もし,退治が困難な種類のピロリ菌が検出されたら,その時点で,対処方法を考えましょう・・・」
私は,クリニックで処方箋を頂いてから,梶原の処方箋薬局に向かう.薬局では,白衣を着た3人の女性が忙しそうに動き回っている.どの方が薬剤師かは分からない.あるいは全員が薬剤師かも知れないが,そんなことはどうでも良い.1人の方が,
「FHさん.この薬の飲み方は結構ややこしいので,説明します・・」
と言って,私を待合室の片隅に座らせる.
「明日の朝から治療開始ですね」
と念を押してから,説明をしてくれる.
説明によると,かなり強い抗生物質2種類と制酸剤を1日2回(朝食後と夕食後),1週間飲み続ける・・・というものであった.強い薬なので,胃腸の具合が悪くなることもある.そのときは医師に相談せよ.
今日は素晴らしい天気.
治療と薬の手配を終えた私は,このまま家に直帰するのは勿体ないなと思う.そこで,梶原,笛田,深沢辺りを暫く散策してから帰宅することに決める.
梶原住宅地を抜けて,藤沢鎌倉道路に突き当たる.この辺りに立ち並んでいた大手企業の社員アパート群も,不景気が続いたせいか,随分と少なくなってしまった.私が向かし勤務していた会社の社宅も,いつの間にか取り壊されて空き地になっている.今度は,その空き地に,T薬品関係の施設が建設されるようである.
その辺りを2時間ほど歩き回っていると,足の裏が,
「お前さんの重たい体重を支えるのは,もう嫌だ・・」
と言い出す.足の裏に何となくペタペタとした疲労感が出始めている.
私は,いきなり無理をしてはいけないと思ったので,この場から家に直帰する.
午後も引き続き素晴らしい天気である.
引き続き,近場を散策しようかと思ったが,いくら,一応,快癒したとはいえ,まだ,まだ,完全に元に戻ったとはいえない体調のまま,急に歩き回るのも問題なので,午後は久々の読書三昧で過ごす.
夕食は,豆腐など消化の良い食材中心のメニュー.
いつもは家内の食事時間の半分ぐらいの時間でサッサと済ませていたが,この病気になってからは,逆に家内の食事時間の倍以上も掛けて,モソモソと食べている.
でも,やっと何処も痛くない状態になったので,とても,何となく,とにかく笑顔が出るほど嬉しい.
“普通って,こんなに良いことなんだな~ぁ・・・!”
私は普通のありがたさを,心底から実感している.
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私の闘病記録をまとめると.次の図のようになる.
私の急性胃炎も,一応,治癒したので.この闘病記も,今回で終了する.明日からのピロリ菌退治については,別の機会に,このブログに掲示することにしたい.
(おわり)