2009年10月26日(月)
ふと,真夜中に目が覚める.どこかが痛いから目が覚めたわけでもなく,健康なときでも年中経験する老人特有のパターンである.まだ,午前1時.いくら何でも,ノコノコと起き出したのでは,生活のリズムが狂う.そこで,とにかくモヤモヤと色々なことを考えている内に,また,いつの間にか眠るだろう・・・・とはいえ,今のところ,身体中,特に痛いところはない.これがいかに素晴らしいことか,ベッドの中でつくづくと味わっている.
もう少し眠りたい私は,自分の頭を疲れさせるために,
「もし,私がギリシャ時代に生きていたら,ここ数日,味わった“痛み”についてどう理解しただろう?」
という愚問を発する.愚問を考えるのは,眠りたいときに,私が良く採用する方法である.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今から2600~2700年前(年代はチェックしていないのであやしい?),ギリシャの哲学者ターレスは,天は球形であると提唱している.月を除くあらゆる星は,この球形の裏側に貼り付けられている.そして,地球(視覚的には球ではなく平らなので“大地”と読んだ方がいいだろう)から月までは,地上界,月から星々がちりばめられた球形までを天上界とした.
地上界のあらゆるものは地,水,火,風の4大元素から構成されているに対して,天上界はエーテルで満たされている.そして,地上界の万物は,すべて下へ落ちる運動をする.それに対して天上界は,完全無欠な円運動をするというのである.
・・で,私は人間.だから地上界に生きている.ということは,今,病気で悩んでいる私の身体も意識も,すべて地,水,火,風の配合比率が正常値から乖離しているのが原因ということになる.俗に「病は気から」という.すると,特に正常値から乖離が大きい要素は“空”すなわち“風”ということか.だから,発症後,2~3日間は,食べ物を食べようとしても食べられなかったのだ.天地創造の神は,私の窮状を見て,“空”を与えたのだ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こんなことを,ベッドの中で,ほんの数秒の内に考えてしまう.勿論,私が天上界だの地上かだのという話を信じているわけではない.ただ,こんな屁理屈で論理をくみ上げていくと,まるで落語のようなストーリーができてしまうから面白い.
闘病記に,こんな不謹慎な話を,ぐだぐだと何時までも続けるのはふさわしくないが,私は眠れないときに,しばしば,
「金魚と茶碗はどちらが偉いか」
という命題を考える.今日は,詳述を差し控えるが,論点は,
*“偉い”とは具体的にどのようなことか
*“偉い”の評価尺度は何か(定性的,定量的,どちらでも良いが・・)
* 金魚と茶碗の“偉い”を測定するために,どちらにも共有できる測定の場とは何か
である.
まあ,こんなことをしている内に,いつの間にか,数時間,眠り込んでしまう.
そして,8時過ぎに,定番の薬と,お粥を中心にした朝食を,超ゆっくりペースで済ませる.家内は家のあちこちの掃除を始めるが,私は暫くの間,食堂の椅子に座って,自分の体調をチェックし続ける.
トイレに立つ.しぶり腹のような症状は,自覚的には全く感じないが,程度の良くない下利便である.まだ,まだ,到底,本調子に戻ったとは言えない状態である.
昨夜,就寝前に体重を計測した.結局,発症時に比較して,体重は3キログラムほど減少して落ち着いた.発症前の体重が標準値より少々オーバー気味だったので,この程度の減少自体は問題にはならないかも知れないが,ろくな運動もできずに,ただ,ただ,自宅の中で過ごしていただけなのが災いして,大切な筋肉が萎えているに違いない.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日は,朝から冷たい雨が降り続いている.
台風20号が,今日,日中から夜に掛けて,房総沖太平洋上を,発達しながら北北東に移動するようである.
明日,27日は,医師の診察を受ける予定になっている.実の所,初診の時に,いきなり胃カメラを飲んだり,点滴を打ったりで,思わぬ多額の現金支出をしてしまった.明日病院に通う現金がない.実際は,家内に工面して貰ったり,他の用途の現金を融通すればどうという問題ではないのだが・・
いくらネコ好きの私でも,ネコの真似をして,居心地の良い家でゴロゴロしてばかりでは,気力が萎えるだけだ・・今日は,一寸の時間で良いから,すこし家を離れてみようと思い立つ.
とりあえずは,大船まで出てみようと思う.
12時過ぎに,お粥中心の昼食を済ませる.それに柿,ミカンなどの果物少々.何とか違和感もなく普通に昼食を終える.家内は買い物と用事を兼ねて,出掛けてしまう.
14時頃,家から外に出てみる.
寒い.冷たい風雨が舞っている.私は防水の利いた防寒具を羽織って,8本骨の丈夫な雨傘を持って出掛ける.家の近くのバス停で,横殴りの雨を凌ぎながらバスの到着を待つ.何となくいつものようにバスに乗って大船駅に到着する.
バス停から,大船駅コンコースに通じる階段を登る.いつもなら,階段を1段1段登るのが焦れったいので,周りに人がいないのを見計らって,1段飛ばしで駆け上がるのだが,久々の今日は,他の人が階段を登るのに合わせるのがやっとである.
「ここ1週間の間に,随分と足腰が衰えたな・・・」
と,つくづく実感する.
銀行に立ち寄って,明日の治療代を引き下ろす.ついでに,11月初旬に行われる「歩いて巡る日光道中二十一宿」の参加費を旅行会社に振り込む.
「さて,どうしよう?・・・・」
最近,発売を開始したWindows 7を搭載したPCに興味があるので,ヤマダ電気に立ち寄ろうかと思ったが,体力が弱っているときに,人混みに入って,ウイルスに観戦したら元も子もなくなるので,近場の西友の店内を,適当にブラブラしただけで,帰宅することにする.
私は,ほんの一寸,町中を彷徨いただけだったのに,素晴らしい開放感を味わうことができた.まだ,まだ,正常の健康状態に戻っているとはいえないが,それでも健康ってこんなに有り難いものかとつくづく思い知らされる.
まだ,ガツガツと食べるわけにはいかないが,夕食時には,空腹感すら覚えた.
そういえば,今まで何となくガサガサに乾燥していた自分の手首足首が,いつの間にかしっとりとした肌に変わってきている.これまた嬉しい限りである.
21時頃,就寝.
(つづく)
ふと,真夜中に目が覚める.どこかが痛いから目が覚めたわけでもなく,健康なときでも年中経験する老人特有のパターンである.まだ,午前1時.いくら何でも,ノコノコと起き出したのでは,生活のリズムが狂う.そこで,とにかくモヤモヤと色々なことを考えている内に,また,いつの間にか眠るだろう・・・・とはいえ,今のところ,身体中,特に痛いところはない.これがいかに素晴らしいことか,ベッドの中でつくづくと味わっている.
もう少し眠りたい私は,自分の頭を疲れさせるために,
「もし,私がギリシャ時代に生きていたら,ここ数日,味わった“痛み”についてどう理解しただろう?」
という愚問を発する.愚問を考えるのは,眠りたいときに,私が良く採用する方法である.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今から2600~2700年前(年代はチェックしていないのであやしい?),ギリシャの哲学者ターレスは,天は球形であると提唱している.月を除くあらゆる星は,この球形の裏側に貼り付けられている.そして,地球(視覚的には球ではなく平らなので“大地”と読んだ方がいいだろう)から月までは,地上界,月から星々がちりばめられた球形までを天上界とした.
地上界のあらゆるものは地,水,火,風の4大元素から構成されているに対して,天上界はエーテルで満たされている.そして,地上界の万物は,すべて下へ落ちる運動をする.それに対して天上界は,完全無欠な円運動をするというのである.
・・で,私は人間.だから地上界に生きている.ということは,今,病気で悩んでいる私の身体も意識も,すべて地,水,火,風の配合比率が正常値から乖離しているのが原因ということになる.俗に「病は気から」という.すると,特に正常値から乖離が大きい要素は“空”すなわち“風”ということか.だから,発症後,2~3日間は,食べ物を食べようとしても食べられなかったのだ.天地創造の神は,私の窮状を見て,“空”を与えたのだ!
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こんなことを,ベッドの中で,ほんの数秒の内に考えてしまう.勿論,私が天上界だの地上かだのという話を信じているわけではない.ただ,こんな屁理屈で論理をくみ上げていくと,まるで落語のようなストーリーができてしまうから面白い.
闘病記に,こんな不謹慎な話を,ぐだぐだと何時までも続けるのはふさわしくないが,私は眠れないときに,しばしば,
「金魚と茶碗はどちらが偉いか」
という命題を考える.今日は,詳述を差し控えるが,論点は,
*“偉い”とは具体的にどのようなことか
*“偉い”の評価尺度は何か(定性的,定量的,どちらでも良いが・・)
* 金魚と茶碗の“偉い”を測定するために,どちらにも共有できる測定の場とは何か
である.
まあ,こんなことをしている内に,いつの間にか,数時間,眠り込んでしまう.
そして,8時過ぎに,定番の薬と,お粥を中心にした朝食を,超ゆっくりペースで済ませる.家内は家のあちこちの掃除を始めるが,私は暫くの間,食堂の椅子に座って,自分の体調をチェックし続ける.
トイレに立つ.しぶり腹のような症状は,自覚的には全く感じないが,程度の良くない下利便である.まだ,まだ,到底,本調子に戻ったとは言えない状態である.
昨夜,就寝前に体重を計測した.結局,発症時に比較して,体重は3キログラムほど減少して落ち着いた.発症前の体重が標準値より少々オーバー気味だったので,この程度の減少自体は問題にはならないかも知れないが,ろくな運動もできずに,ただ,ただ,自宅の中で過ごしていただけなのが災いして,大切な筋肉が萎えているに違いない.
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今日は,朝から冷たい雨が降り続いている.
台風20号が,今日,日中から夜に掛けて,房総沖太平洋上を,発達しながら北北東に移動するようである.
明日,27日は,医師の診察を受ける予定になっている.実の所,初診の時に,いきなり胃カメラを飲んだり,点滴を打ったりで,思わぬ多額の現金支出をしてしまった.明日病院に通う現金がない.実際は,家内に工面して貰ったり,他の用途の現金を融通すればどうという問題ではないのだが・・
いくらネコ好きの私でも,ネコの真似をして,居心地の良い家でゴロゴロしてばかりでは,気力が萎えるだけだ・・今日は,一寸の時間で良いから,すこし家を離れてみようと思い立つ.
とりあえずは,大船まで出てみようと思う.
12時過ぎに,お粥中心の昼食を済ませる.それに柿,ミカンなどの果物少々.何とか違和感もなく普通に昼食を終える.家内は買い物と用事を兼ねて,出掛けてしまう.
14時頃,家から外に出てみる.
寒い.冷たい風雨が舞っている.私は防水の利いた防寒具を羽織って,8本骨の丈夫な雨傘を持って出掛ける.家の近くのバス停で,横殴りの雨を凌ぎながらバスの到着を待つ.何となくいつものようにバスに乗って大船駅に到着する.
バス停から,大船駅コンコースに通じる階段を登る.いつもなら,階段を1段1段登るのが焦れったいので,周りに人がいないのを見計らって,1段飛ばしで駆け上がるのだが,久々の今日は,他の人が階段を登るのに合わせるのがやっとである.
「ここ1週間の間に,随分と足腰が衰えたな・・・」
と,つくづく実感する.
銀行に立ち寄って,明日の治療代を引き下ろす.ついでに,11月初旬に行われる「歩いて巡る日光道中二十一宿」の参加費を旅行会社に振り込む.
「さて,どうしよう?・・・・」
最近,発売を開始したWindows 7を搭載したPCに興味があるので,ヤマダ電気に立ち寄ろうかと思ったが,体力が弱っているときに,人混みに入って,ウイルスに観戦したら元も子もなくなるので,近場の西友の店内を,適当にブラブラしただけで,帰宅することにする.
私は,ほんの一寸,町中を彷徨いただけだったのに,素晴らしい開放感を味わうことができた.まだ,まだ,正常の健康状態に戻っているとはいえないが,それでも健康ってこんなに有り難いものかとつくづく思い知らされる.
まだ,ガツガツと食べるわけにはいかないが,夕食時には,空腹感すら覚えた.
そういえば,今まで何となくガサガサに乾燥していた自分の手首足首が,いつの間にかしっとりとした肌に変わってきている.これまた嬉しい限りである.
21時頃,就寝.
(つづく)