My GoldFish

かくすれば、かくなるものと知りながら
やむにやまれぬ大和魂 

わが祖国

2006-06-04 | 日記

気持ちが熱いうちに書く。

海外に出る度に自然と考えざるを得ないのは、自分が日本人だということ。

そして、自分が生まれ育った国はどんなに素晴らしい文化を育んできたかということ。

改めて歴史の本を開いた時に、この国が継続した歴史=文化を持っていることに驚きます。


この歳になって、後悔するのは、

語学と歴史(日本史&世界史)をもっと真剣に勉強しておけば良かったってこと。

語学は、説明するまでもありませんが、

歴史については、まさに「温故知新」です。

現在の受験制度の中で、軽視されがちな歴史の時間(私もそうでしたが)ですが、

「国際化」というならば、

せめて自国の歴史を知り、訪れた先の国の歴史を知り、出会った異国の人の国の歴史を知ることが大事だと思います。

歴史から文化は生まれます。

そんな訳で、私個人は正真正銘の日本のサラリーマンですが、高校生用の世界史の教科書で一から勉強し直します!



シェーンブルン宮殿で結婚式

2006-06-04 | ウィーン滞在記
大事なことなので、一番初めに書いておく。

平成18年5月26日(金)の日記。

今回の旅の目的。

それは、義理姉が、何と、ウィーンのナイスガイと結婚するので、

その結婚式に参列するってこと!

おまけにその場所が、ザ・世界遺産;シェーンブルン宮殿

ウィーン訪問は2回目なのだが、シェーンブルン宮殿の中は見たことが無く、

ウィーンに行く前から興奮気味。

移動中の機内でも、ウィーンの歴史を付け焼刃ながら溜め込んで、

いざ、式場;シェーンブルン宮殿へ!


結婚式は、18時スタートだったので、15時頃から、ヨメのおば様と二人で、宮殿内観光。

40部屋を見て回れるコースのチケットを購入(9€だったか?)。

いやいや、凄いね、ハプスブルク家。

贅沢極まりないわ。

特に、世界遺産の写真集で見られる、「大広間」は圧巻の一言。

他にも、当時、現代とは比較にならんぐらい異国のハズだった中国スタイルの部屋まであったりと、

西欧支配階層の権力の凄さを目の当りにしたのでございました。

不親切なのは、各部屋とも、説明書が殆ど無かったこと。

それと、カメラ撮影絶対禁止。

各部屋集中して、記憶に留めないといけません。。。

あと、観光客が滅茶苦茶多くて、大変でした。

何回「エクスキューズ・ミー」と言ったことか。

まぁそんなこんなで、宮殿観光終了。


時間も18時過ぎて、いよいよ結婚式のスタート。。。

って、、、

「ついさっきまで観光してた部屋で式やん!」

これには驚きました。ホントにたまげた。

シェーンブルンの近くに設けられた、別室で式をやるのかと思ってました。

嬉しいサプライズ


式の進行は、当たり前ですが、ドイツ語なので、私には、さっぱり不明。

でも、感激しましたね、初めてのヨーロッパ・スタイルの結婚式に。

それと、観光と違って、カメラ(ビデオ)撮影OK

いよっ!太っ腹!

そして式の最後のほうで、

ジャパニーズ・スタイルの「三三九度」(TOPの写真)。


陳腐過ぎて申し訳無いが、「すげぇ、オラ、ワクワクすっぞ!」

としか感想はございません



その後、前述した、「大広間」横の「小広間」にて新郎・新婦のお披露目会。

皆が、それぞれ、新郎・新婦を祝福する大事な時間。


その間、私はと言えば、

宮殿内撮影OKということなので、

ドサクサに紛れ、

昼間、カメラにおさめられなかった宮殿内の部屋を、ヨメのおば様ともう一周!

当たり前ですが、観光客は既にいなかったので、ジックリと観光、撮影出来たのでございます。。

衝撃のドキュメンタリー・フィルムにご興味のある方は是非我が家までお越しくださいまし。



そして、20時過ぎ。

シェーンブルン宮殿から見える、「グロリエッテ」にて披露宴開始。

当たり前ですが、こちらも初めての経験。

印象的なのが、席次が日本とは全く逆。

新郎・新婦が上座なのは一緒だけど、その真横は両方の母親、父親、その他家族で年長者から座ってました。

日本だと、親族は末席なのにね。


披露宴は、さんざん飲んだし、食べたし、楽しみました。

披露宴に来てた、マキシィ君、サラちゃん、リリーちゃんともたくさん遊びました。

終了時間は、朝の4時頃。

本当に楽しいウィーンでの一日でした。



最後に、新郎新婦の二人へ。

一杯新しい経験をさせて頂いてもらって本当にありがとうございました。

何より、心よりおめでとうございました

これからもどうぞ宜しくお願いいたします。