私のドラゴンズ好きの原点はこの人。
東京、目黒生まれの父は小学3年生のとき35円を持って
後楽園球場にジャイアンツの応援に行きました。
ところが、ジャイアンツの選手にサインを求めても無視。
しかし、その時の中日選手(名前はわからないそうです)が
ボールをくれたことをきっかけに「転身」
自分の野球チームまでもドラゴンズブルーに染め
関東出身で何でドラゴンズ・・・・と言われるほどのドラキチになりました。
子供の頃の私たち兄弟は、観たいテレビがあっても野球しか見せてもらえない。
中学1年の初めて神宮球場に連れて行ってもらった私は
某速球投手に一目ぼれ(年齢がバレるまで想像して)
以来、学生時代はドラゴンズの関東遠征となれば
選手の出迎え、毎試合観戦、選手の見送りをする日々。
いつしか○選手に、いつも入場券を発券していただくようになり。
○選手は自宅に遊びに来てくれて、父は大喜び。
使わなくなったグランドジャンバーなども時々いただくと
それを着て飲みに行くのが大好きでした。
その頃から父と一緒にナゴヤ球場には良く通いました。
もちろん、近年は、ナゴドにも。
でも私と同じ、飛行機嫌いだから沖縄キャンプは誘っても一度も行かなかったぁ(笑)
私たちも療養期間の2年はキャンプには行きませんでした。
2人でも野球を見くと何がって
負け試合が見えてくると、球場は居酒屋状態になるか
または、「帰る」と言い出す。←私は最後まで見たいから困る。
晩年、通院の時の会話ももっぱら「ドラゴンズ談義」
入院すれば東海ラジオが聞こえる高周波ラジオを手元に置き
寝てもさめてもドラゴンズ、ドラゴンズ。
解説は、とにかく冷静で的確。
選手の特徴も良くわかっていてあいつは使えないとか
あいつはどうだ・・こうだ・・・案外当たってる
ドラユニと通院にずっと使っていたドラゴンズのバックを納棺。
父の2年7ヶ月にわたる療養生活が2月23日に終わりました。
野球の季節になりましたね~
もう、春はすぐそこっ