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熊本県に、今や全国にその名の知れた温泉郷、黒川温泉があります。
温泉旅館が20軒ほどあるだけの、とっても小さな、そしてとっても不便な山の中にある温泉郷が、
どうしてこれほど有名になったのでしょうか?
昔は、本当に小さな山中の湯治場に過ぎなかった黒川温泉。
60年代の九州横断道路の開通に合わせて、温泉観光旅館街に転換したのですが、
その効果も3年足らずで、湯布院や別府といった大型旅館を抱える温泉地に客を奪われ、
鳴かず飛ばずの状態が続いていました。
しかし、75年頃から、黒川へのUターンや婿入りが相次ぎ、
30代を中心とした旅館の二代目が集まって来ました。
彼らは都会生活の経験を活かし、観光客の立場から、新しい温泉観光の振興策を模索し始めます。
これまで統一性のなかった看板を作り替え、建物や街の施設の色を黒と茶を基本として、
町並み全体に統一性を持たせ、各旅館に露天風呂をつくり、
「入湯手形」をつくって、各旅館の露天風呂めぐりが楽しめるしくみをつくり、、、、
そんなこんなで、浴衣姿で散策するのが楽しい街づくりで、女性客の人気を集めはじめました。
黒川温泉のキャッチフレーズは、「黒川温泉一(いち)旅館」。
「街全体がひとつの宿、通りは廊下、旅館は客室」と見立てて、
全体の繁栄があってこそ、個が生きる、という理念が息づいているのです。
温泉街の通りは車一台がやっと通れるほどの狭さで、駐車場を確保するのも難しいのですが、
そんな不利な条件を、逆手にとって、団体客を誘致しない、
優良な個人客のリピーターを増やすことを目指し、
大資本による大型ホテル・旅館の進出も排除する、という徹底ぶり。
ナルホド、九州の観光地に来て中国人観光客の姿を見なかったのは、この黒川温泉がはじめてかもしれない。
私にとってはそれだけで、随分、街の雰囲気が落ち着いて見える。
写真は、通りを散策していた時に見た休憩所と、その隣に無料の足湯。休憩所には、囲炉裏があり、
浴衣姿の女性客が店先で買ったヤマメを焼いて食べていました。
皆さん、九州に行かれた時は、ぜひ一度、黒川温泉を訪れてみて下さい。
懐かしさが新鮮に感じられる居心地の良い空間が、そこにあります。
熊本県に、今や全国にその名の知れた温泉郷、黒川温泉があります。
温泉旅館が20軒ほどあるだけの、とっても小さな、そしてとっても不便な山の中にある温泉郷が、
どうしてこれほど有名になったのでしょうか?
昔は、本当に小さな山中の湯治場に過ぎなかった黒川温泉。
60年代の九州横断道路の開通に合わせて、温泉観光旅館街に転換したのですが、
その効果も3年足らずで、湯布院や別府といった大型旅館を抱える温泉地に客を奪われ、
鳴かず飛ばずの状態が続いていました。
しかし、75年頃から、黒川へのUターンや婿入りが相次ぎ、
30代を中心とした旅館の二代目が集まって来ました。
彼らは都会生活の経験を活かし、観光客の立場から、新しい温泉観光の振興策を模索し始めます。
これまで統一性のなかった看板を作り替え、建物や街の施設の色を黒と茶を基本として、
町並み全体に統一性を持たせ、各旅館に露天風呂をつくり、
「入湯手形」をつくって、各旅館の露天風呂めぐりが楽しめるしくみをつくり、、、、
そんなこんなで、浴衣姿で散策するのが楽しい街づくりで、女性客の人気を集めはじめました。
黒川温泉のキャッチフレーズは、「黒川温泉一(いち)旅館」。
「街全体がひとつの宿、通りは廊下、旅館は客室」と見立てて、
全体の繁栄があってこそ、個が生きる、という理念が息づいているのです。
温泉街の通りは車一台がやっと通れるほどの狭さで、駐車場を確保するのも難しいのですが、
そんな不利な条件を、逆手にとって、団体客を誘致しない、
優良な個人客のリピーターを増やすことを目指し、
大資本による大型ホテル・旅館の進出も排除する、という徹底ぶり。
ナルホド、九州の観光地に来て中国人観光客の姿を見なかったのは、この黒川温泉がはじめてかもしれない。
私にとってはそれだけで、随分、街の雰囲気が落ち着いて見える。
写真は、通りを散策していた時に見た休憩所と、その隣に無料の足湯。休憩所には、囲炉裏があり、
浴衣姿の女性客が店先で買ったヤマメを焼いて食べていました。
皆さん、九州に行かれた時は、ぜひ一度、黒川温泉を訪れてみて下さい。
懐かしさが新鮮に感じられる居心地の良い空間が、そこにあります。