令和の10連休も、もう終わりですね。
皆さんは、どこか行かれましたか?
私はちょっと群馬の山の中を散策してきました。
そこで、たまたま「富澤家住宅」というのを見てきました。
明治期の養蚕農家ですが、土間と高床が半々という当時の典型的な農家です。
この「土間」と「高床」が混在する住居というのは、日本独特の住居形態で、「土間」は縄文、「高床」は弥生を意味しています。
もし、弥生人が支配民族としての渡来人であったなら、「土間」を混在させることはなく、高床一辺倒になるはずですが、弥生人は、大陸の色々なところから流れてきいるのですが、主に江南の長江河口域で水田稲作を担っていた倭族が黄河文明を担っていた漢族に追われ、逃れてきた人たちが多く、水田稲作を普及させながら少しづつ縄文人と混じっていった様なのです。
水田稲作が北九州から関東まで普及するのに700年ほどかかっている様ですから、縄文人達は結構、抵抗していた様なのです。
15,000年もの間、大きな争いごともなく過ごしていた縄文人には、稲作によって血なまぐさい争いを始めた弥生人達の生活を受け入れるには、確かに抵抗があったのかもしれません。
それでも、「土間」と「高床」の混在が示しているのは、平和裡にお互いを受け入れていった、という歴史なのです。
「富澤家住宅」は、そうした歴史を物語る典型的な農家で、デザイン的にも素晴らしいものがあります。
バナキューラーな建築というのは、正にパッシブデザインそのものであり、富澤家住宅は、正にバナキュラー住宅の美しさを体現した素晴らしい住宅でした。
もし、機会があったら、皆さんもご覧いただければと思います。