Food For Five thousand 2

宣教師と妻と母の3つの帽子をかぶりながら奮闘中の宣教主婦、JCFN 尾関祐子のブログです。

人生の伴走者

2024-01-08 07:39:13 | devotional

 先日20年来の友人が遊びにきてくれた。彼女はここ数年、夫の浮気からの離婚、父親の死、転職、愛猫の死、引っ越し、と大変なところをフルコースで通ってきたが、今回会った時、とてもすっきりした顔をしていて、ずいぶん元気になっていた。我が家もここ数年彼女ほどではないけれども、大変なところを通ってきたので、彼女がこのような多くの試練から立ち直り、たくましく元気に過ごしている様子にとても励まされ、希望を持つことができた。

 人生には同じような試練や境遇を共に歩む仲間が必要だ。それは子育ての大変さを共有できるママ友だったり、同じような病気を持つ人たちや家族の集まりであったり。その人たちは、自分の人生の肩代わりをしてくれるわけではない。でも同じようなところを歩む仲間がいることで励まされ、より遠く、より高い山に登ることができるのだ。

 

 聖書の中にも同じような人生経験をすることによって励まし合った二人の女性が登場する。イエス・キリストの母マリヤとその親類のエリサベツだ。クリスマス・ストーリーは天使ガブリエルが、ユダヤに住むどこの誰でもない普通の少女マリヤに突然現れ、あなたは神の子を妊娠し、出産する、というとんでもないことを告げるところからはじまる。そして、ガブリエルは受胎告知の直後に、

「見なさい。あなたの親類のエリサベツ。あの人もあの年になって男の子を宿しています。」(ルカの福音書1章36節)

とマリヤと同じような経験をしている女性を紹介するのだ。神は、マリヤがとても一人ではこの使命の重さに耐えられないことをご存知だった。これから神の子の母となる彼女のために、同じように神の使命を果たす子どもを胎に宿した女性エリサベツを備えてくださったのだ。マリヤはその後すぐに、エリサベツの家を訪ね、3ヶ月ほど彼女の家で過ごすことになる。一緒の時間を共有する中で、ほんの半年ほど自分よりも先輩になるママ友と共に、母となる準備をし、また自分自身が神の大きな計画の一部として用いられることを少しずつ実感していったのかもしれない。

 

 イエス・キリストが人となってこの地上に来てくださったのもまた、私たち人間の伴走者となるためだ。イエスは高いところから見下ろし、人生の労苦を知らない方ではなかった。暑い時には汗をかき、お腹を空かせ、きっと風邪をひくこともあっただろう。誤解され、虐待され、最後にはもっとも惨たらしい死刑によって殺されてしまったこの神の子イエス・キリストは、誰よりも私たちの痛みや悲しみに寄り添い、私たちと共に歩んでくださる伴走者だ。

 パンデミックの後、人との関係が切れてしまったことにより鬱や自殺の問題が大きく社会で取り上げられている。このような時だからこそ、このクリスマスは人と会おう。長らく会っていない友人に連絡を取ろう。教会に行こう。イエス・キリストに出会おう。自分の人生を分かち合い、誰かに寄り添ってもらおう。そして、自分が誰かのための伴走者となることができることを喜ぼう。

(尾関祐子、JCFN北米主事)


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