Food For Five thousand 2

宣教師と妻と母の3つの帽子をかぶりながら奮闘中の宣教主婦、JCFN 尾関祐子のブログです。

C-WIT16 -衝動的な生き方から、観想的な生き方へ

2016-12-08 19:38:35 | devotional
C-WITの思い巡らしの中で、「衝動的な生き方から、観想的な生き方へ」Movement from Compulsion to Contemplation
というものがありました。 (Adopted from a presentation by Jessie Vicha, 2014 Christos Center or Spiritual Formation)

それは、こんな風な感じです。

++

何かに駆り立てられるような生き方から、結果にとらわれない、柔軟な生き方へ
現実を狭い視野で見る生き方から、現実を広い視野の中に置いてみる生き方へ
自分で結果をコントロールしようとする生き方から、明け渡した生き方へ
何かに捕われた不安な心から、物事を受け入れた平静な心へ
何かにしがみつき、失うまいとする生き方から、手を離した、自由な生き方へ
いつも過去と将来を考えている生き方から、『今、このとき』を大切にして生きる生き方へ
自己に陶酔した生き方から、自己を認識している生き方へ
自分を断固として守ろうとする生き方から、必要に応じて守るが、弱みを見せることも良しとする生き方へ
自己嫌悪から自己受容へ
感情的に壁を作り、二心のある生き方から、自分、神、他者との間に親密な関係を持ち、裏表のないシンプルな生き方へ
他者とは「対処すべき存在」であると見なす生き方から、他者とは「関係を築くべき存在」であると見なす生き方へ
無秩序な願望から、神への真の渇望へ
雑然とした内的スペースから、充分なゆとりのある内的スペースへ
偽りの自己から、正直で真実な自己へ
快楽・快適さを求める生き方から、苦しみを受け入れる生き方へ
子どもっぽい生き方から、子どものような生き方へ
自分という存在の一部しか生きていないような生き方から、自分の全存在が活き活きとしている生き方へ

++

これを今改めて読んでみて、一番心に響くのは?というのを先日のJCFNスタッフミーティングでやってみました。
私は、何と言ってもこれ。

他者とは「対処すべき存在」であると見なす生き方から、他者とは「関係を築くべき存在」であると見なす生き方へ

💦

忙しくなってくると、いろいろな依頼や頼まれごとをするたびに、それをどのように「対処すべきか」とつい考えてしまう。。。。

でも、周りにいる人たちで、「対処」ではなく、本当にその人を愛し、その人と関係をつくるために行動している方々がいらっしゃるのを見ることがあり、そんなとき、その方々がなんとキリストの香りを放っていることか!!!と感動してしまいます。

EC前で忙しいから、ではなく、忙しいからこそ、イエス様にしっかりつながり、そこから聖霊様に導かれて日々の言動が決定されたいなあ、と改めて思う今日この頃です。

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