先週、私の大好きなお店「クラリス」の隣「スペースセレア」にて、草場一壽さんの陶彩画の個展が開催されました。
ステキな絵をみて、自分自身がかなり癒されたし、パワーを貰うことができました。
この陶彩画、もちろん字の通り焼き物です。
釉薬を乗せては、焼きを5、6回位繰り返すとか...
ステキな絵には、そのパワーが宿っているのでしょう![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/bouquet.gif)
草場さんのブログに遊びに行ったら、ステキな話が書かれていたので、こちらでも紹介したいと思い使わせていただきます。
読んで、何かを感じてくれたらうれしいな![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_uru.gif)
66億分の1の出会い
「袖振り合うも多生の縁」という言葉があるように日本人は偶然の出会いも深い宿縁として心を通わせてきた。
たしかに世界66億の人口からすると私たちが一生に出会える人の数はその一つまみにもならない。ましてや夫婦、親子、兄弟、上司や同僚、友達、ご近所の縁はそのまた一つまみにもならない。そう考えると縁とは実に不思議なものだ。
その不思議なご縁で出会った谷川さんとおっしゃる女性が東京から佐賀に遊びにこられたので彼女を囲んで会食をした。話にも花が咲き始めたやさき、彼女の携帯電話に一本のメールがはいった。
「ごめんなさい。」と断りをいってメールに目を通し出した彼女の顔が一変し、目にはみるみる涙が溜まり、大粒のしずくとなってほほをつたっていった。
驚いた私たちは「なにかあったのですか?」とたずねると「元小学校の先生をしていた、私の友人からメールなの・・・」声を震わせながらそのメールの内容を聞かせてくれた。
[その先生が5年生の担任になった時、ひとり服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。生活記録に先生は少年の悪いとこばかりを記入するようになっていた。
あるとき、少年の一年生からの生活記録が目にとまった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強も良くでき、将来が楽しみ。」
間違いだ。ほかの生徒の記録に違いない。先生はそう思った。
二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する。」と書かれていた。
三年生では「母親の病気が悪くなり、看病で疲れ、教室で居眠りをする。」後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる。」とある。
四年生になると「父親は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう。」
先生の胸に激しい痛みが走った。ダメときめつけていた生徒が突然の深い悲しみを生き抜いて生身の人間として自分の前に立ち現れているのだ。
先生にとって眼を開かされた瞬間であった。その日の放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも一緒に勉強して行かない?分からないところは教えてあげるから。」少年ははじめて笑顔をみせた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年がはじめて手を上げたとき、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋の隅でひとり本を読んでいた少年は、先生に気づくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんのにおい!」すてきなクリスマスになった。
六年生では先生は担任ではなくなったが、卒業の時、少年から一枚のカードが届いた。「先生はぼくのお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした。」
それから六年後、またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。ぼくは五年生で先生に担任してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます。」
十年を経て、またカードが届いた。そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に殴られた経験から患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。「ぼくはよく五年生のときのことを思い出します。あのままだめになってしまうぼくを救ってくださった先生を神様のように感じています。大人になり、医者になったぼくにとって最高の先生は、五年生のときに担任してくださった先生です。」
そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座ってください」と一行書き添えられていた。]
それでメールのお話は終わっていたが、きっと先生も少年と同じように感じていたにちがいない。
「あなたこそ、私を本当の教師に育ててくれた最高の生徒でした。今でもあなたを神様のように感じています。」と・・・
その場に居合わせた全員の目から谷川さんと同様に大粒の涙がこぼれていた。
本当に出会いとは不思議なものだ。大都会の駅のホームやスクランブル交差点を怒涛のように流れる人ごみの中でさえ、先生と少年のような運命的な出会いが待っているかもしれない。
「袖振り合うも多生の縁」その縁に気が付かなければ、「縁がなかった」で終わってしまう。
人との出会いは、心の眼を開き本当の自分の姿を現し出すために導いてくれる神縁であり仏縁にほかならない。ただただここの出会いを拝み生かしきっていきたい。66億分の1の出会いにありがとうございます。
ステキな絵をみて、自分自身がかなり癒されたし、パワーを貰うことができました。
この陶彩画、もちろん字の通り焼き物です。
釉薬を乗せては、焼きを5、6回位繰り返すとか...
ステキな絵には、そのパワーが宿っているのでしょう
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/bouquet.gif)
草場さんのブログに遊びに行ったら、ステキな話が書かれていたので、こちらでも紹介したいと思い使わせていただきます。
読んで、何かを感じてくれたらうれしいな
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyob_uru.gif)
66億分の1の出会い
「袖振り合うも多生の縁」という言葉があるように日本人は偶然の出会いも深い宿縁として心を通わせてきた。
たしかに世界66億の人口からすると私たちが一生に出会える人の数はその一つまみにもならない。ましてや夫婦、親子、兄弟、上司や同僚、友達、ご近所の縁はそのまた一つまみにもならない。そう考えると縁とは実に不思議なものだ。
その不思議なご縁で出会った谷川さんとおっしゃる女性が東京から佐賀に遊びにこられたので彼女を囲んで会食をした。話にも花が咲き始めたやさき、彼女の携帯電話に一本のメールがはいった。
「ごめんなさい。」と断りをいってメールに目を通し出した彼女の顔が一変し、目にはみるみる涙が溜まり、大粒のしずくとなってほほをつたっていった。
驚いた私たちは「なにかあったのですか?」とたずねると「元小学校の先生をしていた、私の友人からメールなの・・・」声を震わせながらそのメールの内容を聞かせてくれた。
[その先生が5年生の担任になった時、ひとり服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。生活記録に先生は少年の悪いとこばかりを記入するようになっていた。
あるとき、少年の一年生からの生活記録が目にとまった。「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強も良くでき、将来が楽しみ。」
間違いだ。ほかの生徒の記録に違いない。先生はそう思った。
二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する。」と書かれていた。
三年生では「母親の病気が悪くなり、看病で疲れ、教室で居眠りをする。」後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる。」とある。
四年生になると「父親は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう。」
先生の胸に激しい痛みが走った。ダメときめつけていた生徒が突然の深い悲しみを生き抜いて生身の人間として自分の前に立ち現れているのだ。
先生にとって眼を開かされた瞬間であった。その日の放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも一緒に勉強して行かない?分からないところは教えてあげるから。」少年ははじめて笑顔をみせた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年がはじめて手を上げたとき、先生に大きな喜びがわき起こった。少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋の隅でひとり本を読んでいた少年は、先生に気づくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんのにおい!」すてきなクリスマスになった。
六年生では先生は担任ではなくなったが、卒業の時、少年から一枚のカードが届いた。「先生はぼくのお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした。」
それから六年後、またカードが届いた。「明日は高校の卒業式です。ぼくは五年生で先生に担任してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます。」
十年を経て、またカードが届いた。そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に殴られた経験から患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。「ぼくはよく五年生のときのことを思い出します。あのままだめになってしまうぼくを救ってくださった先生を神様のように感じています。大人になり、医者になったぼくにとって最高の先生は、五年生のときに担任してくださった先生です。」
そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座ってください」と一行書き添えられていた。]
それでメールのお話は終わっていたが、きっと先生も少年と同じように感じていたにちがいない。
「あなたこそ、私を本当の教師に育ててくれた最高の生徒でした。今でもあなたを神様のように感じています。」と・・・
その場に居合わせた全員の目から谷川さんと同様に大粒の涙がこぼれていた。
本当に出会いとは不思議なものだ。大都会の駅のホームやスクランブル交差点を怒涛のように流れる人ごみの中でさえ、先生と少年のような運命的な出会いが待っているかもしれない。
「袖振り合うも多生の縁」その縁に気が付かなければ、「縁がなかった」で終わってしまう。
人との出会いは、心の眼を開き本当の自分の姿を現し出すために導いてくれる神縁であり仏縁にほかならない。ただただここの出会いを拝み生かしきっていきたい。66億分の1の出会いにありがとうございます。