私の通訳のはしくれデビューは、"LA and Kentucky"だった。
場当たり的な感じだったけれど、ここで醍醐味を感じていた。
その後、フルタイムで組織に身を置いている時は、なかなか
都合がつかずに出来なかったが、ちょっとの間フリーで動ける
時期があり、そこでたまたまいろんなチャンスが舞い込んで
来ることになる。
海外の子供達が交流するキャンプ、スポーツの世界大会、
アメリカ政府の防衛関係、 . . . 本文を読む
転職を経験してきたおかげで、苦手だったコンピューターも、
少しずついろんなソフトを使えるようになり、なんとか時代に
着いて来られてるかもーーー!?と思っている。(暢気な者だ)
フリーランスで英語講師や通訳(単発)を経験した後、人や
組織が恋しくなって、ある機関で働かせてもらったことがある。
海外の特に途上国と関係のあるその機関では、大学時代の
先輩が一人通訳として働いていたので、存在は知っていた . . . 本文を読む
コネとか管理職の力量で自分の人生が左右されるなんて、
もうまっぴらごめんだ!と勝手な思い込みですっぱり退職。
生徒達には申し訳ない気持ちもあったが、もう残る気持ち
は持てなかった。慕ってくれていた生徒達は、突然のこと
にも関わらず、花束やらプレゼントやらを用意してくれて、
送別会もしてくれた。どうもありがとう。
さて、思い切って現場を離れたはいいが、せっかく貯めた
資金を使って留学するとかは頭に . . . 本文を読む
私が異動した二校目は地方の小さな町。といっても、その辺
では、一番便利な町だった。自然が豊かという点では、まず
自慢できたと思う。子供達も純朴な子が多かった。前の学校
であったような陰湿ないたずらはなかった。だからといって、
大変でなかったわけではない。。。むしろ、もっと根が深い
問題が、この町には存在していた。
町が特定されてしまうので、細かい描写はしないが、ここは
本当に日本ですか?と、疑い . . . 本文を読む
通訳になりたいという希望を目標に変えることなく、叶えるための
努力をしなかった学生時代。。。この差は後に大きかったと思う。
何よりも、就職活動の時に自分のやりたいことがわからなかった。
通訳は今でも一番好きな仕事だ。でも、それで食べていくには、
日々精進が必要。私なんぞ「まだまだ×100」だ。通訳の仕事に
憧れを持ち続けたまま、リサーチ会社の総合職とか、他の民間
から内定をいただいていた。当時はバ . . . 本文を読む